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泉町(3):弓削神社(八尾市)

  • tootake
  • 9月28日
  • 読了時間: 6分

第819話


前回の泉町(2):恩智神社(八尾市)に続き今回も八尾市です。


古代の八尾は物部氏の勢力圏で、武具製造集団がいたとされています。八尾は「矢尾(やお)」に由来すると説もあります。


古墳時代には豪族が生駒山麓に多数の古墳を築造し、特に、高安千塚古墳群は全国的にも知られています。心合寺山古墳(しおんじやまこふん)は中河内最大の前方後円墳で、甲冑や鏡、埴輪などが出土しています。


弓削神社(ゆげじんじゃ)は、同名神社として2社があり、上の弓削神社は、八尾市東弓削、下の弓削神社は八尾市弓削町にあります。ともに八尾市泉町から弓削神社まで約5Kmほど離れています。私の住む枚方市の近辺(吹田市、宝塚市、 門真市、 八尾市)には泉町という地名があります。これらはすべて台与に関係している地なのです。このブログでは、泉(いずみ)という地名は台与と関係のある地であることを見てきました。~第812話:泉国:大鳥大社 第811話:白浜神社・三島大社~伊豆


延喜式の神名帳に記載されている祭神2座の内容も詳らかではありませんが、日本三代実録に見える河内国の弥加布都命神・比古佐自布都命神に比定する説があります。河内志では東弓削の弓削神社を弥加布都命神に、弓削町の弓削神社を比古佐自布都命神にあてています。また弓削町の弓削神社は江戸時代に「府都大明神」と称されており、関連性が指摘されています。なお関連記事として、古事記では建御雷神が授けた刀(布都御魂)の別名として「甕布都神」・「佐士布都神」とあります。


・弥加布都(わかふつ)命神は、若経津主ということです。経津主大神はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ですので、若経津主は台与です。

・比古佐自布都命神(ひこさじ・ふつ)の比古佐自は「ひこさち」=ウツシコオです。

第589話:彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神 では、彦狭知(ひこさち)=経津主神(ふつぬし)

・建御雷神(タケミカヅチ)は台与です。~第441話: タケミカヅチは台与!!


※「府都(ふつ)」は「太」のことで、太秦の「太」でもあり、Futu=Utu=内、鬱

つまり、鬱色雄命(=ウツシコオ(内色許男命))の鬱、内です。


弓削神社は、古代の河内国においては枚岡神社(東大阪市、河内国一宮)・恩智神社(八尾市、伝河内国二宮)に次ぐ格式を持った神社でした。しかしその後は衰退し、現在は上記の2社が鎮座する。両社の本社・分社関係などは詳らかでなく、大和川の氾濫被害に伴う村移動や分村で変遷が生じた可能性が指摘されています。


・弓削神社 (八尾市東弓削)の祭神は、饒速日命で弥加布都命、品陀和気命、宇麻志麻治命、天日鷲命、比古左自彦命、菅原道真も祀られています。

・弓削神社(八尾市弓削町)の祭神も主祭神は、饒速日命で、可美麻治命、天照皇大神も祀られています。天照皇大神は、もともと 二俣にあった天照皇太神社の合祀したものです。


弓削神社が、二つあるということは、第785話:伊勢神宮の秘密(2):内宮と下宮がある理由 第730話:氷川神社と氷川女体神社 第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社などでように書いたように、このブログでは、大きな神社の近くには同じような大きな神社があることを見てきました。上賀茂神社と下賀茂神社、鹿島神宮と香取神宮などです。ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=ヒコサチと台与を同じ神社に祀るのを憚ったためでしょう。

当初は、弓削町にある弓削神社は、比古左自彦命=彦狭知(ひこさち)=経津主神(ふつぬし)=ウツシコオを祀った神社で、東弓削町の弓削神社は、台与のためのものでしょう。

大和川の氾濫があったので、台与とウツシコオは、大和川の河川工事を行ったのです。

ちなみに饒速日(ニギハヤヒ)も台与です。


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※各地にある弓削部、弓削神社

弓削部は、古代の日本で弓を製作する氏族です。物部氏と関係が深い氏族です。


・備前(岡山県)は、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣を収めたという石上布都魂神社があり、この近隣には様々な職能集団が形成され、その中の一つに岡山県久米郡久米南町の「弓削」があります。第770話:斬蛇の剣と草薙剣~備前の尾張では、スサノオがヤマタノオロチを退治した際に用いた剣:斬蛇の剣は吉備で造られたと書きました。

・岡山県美咲町の本山寺を天永元年に開いた人物として、弓削師古の記述が見られます。また吉備弓削部には吉備弓削部虚空がいます。~第533話:弓削部虚空

愛媛県喜多郡内子町*石畳甲にも弓削神社があります。(下記:写真)

弓削(ゆげ)の由来は大伴武日命が「靱部(ゆきべ)」を賜ったという伝承に基づいています。日本武尊が東国平定の帰路、甲斐国(現在の山梨県)酒折宮に駐留した際、従者である大伴武日命に「靱部(ゆきべ)」を賜ったと伝えられています。ヤマトタケルも台与です。大伴武日命はウツシコオでしょう。~ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮


内子町の内もウツシコオの内です。


<和泉町>


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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1件のコメント

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tootake
9月27日
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