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泉国:大鳥大社

  • tootake
  • 9月21日
  • 読了時間: 5分

第812話


和泉国(いずみのくに)は、大阪府南部のことです。南は紀伊、東は大和と河内、北は摂津と 接しています。略称は泉州(せんしゅう) 。現在の地名で言うと、泉佐野市、泉南市、 阪南市、熊取市、田尻市、三崎市、 貝塚市などです。


もともとは「泉」一字で表記され、「和泉」となったのは、和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令により国名を二字にする必要があり、佳字の「和」を付与したものにしたためです。927年の延喜式には、和泉には1つの主要な神社と52の小さな神社があると記されています。主要な神社はとは、現在の堺市西区にある和泉の一宮である大鳥大社です。


大鳥大社は、大阪府堺市西区鳳北町にあります。大鳥大社は、日本武尊(ヤマトタケル)を祀っています。ヤマトタケルは西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定した後、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去します。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだとされています。


このブログでは、前回:白浜神社・三島大社~伊豆でも書いたように、「イズ」という地名は台与に関係した地としています。

・木津川(きづがわ)は、三重県および京都府を流れる淀川水系の支流です。この木津川は、かつて泉川(いずみかわ)と呼ばれていました。伊豆(いず)という地名のもとになったなったのは泉川(いずみ)のいずです。木津川(きづがわ)周辺には、椿井大塚山古墳、玉川鉱山、大住など邪馬台国と関わりのある重要な川です。


泉国も台与と関係の深い地であり、そのため大鳥大社が建てられたのでしょう。

ヤマトタケルは台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与


また、神武天皇の神武東征の中でも泉国に関する記事があります。

神武天皇は台与です。~第566話:神武天皇と橿原神宮  

古事記・日本書紀ではナガスネヒコに反抗されて矢を受けた五瀬命がその傷を洗った場所が血沼海(ちぬのうみ)です。和泉地方の古名は「チヌ」(茅渟、血沼、珍)です。また、神武天皇の別名である佐野(狭野)は泉佐野とする説もあります。~第59話:高師小僧~大阪府高石市


大鳥大社の元来の祭神は大鳥連の祖神である大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)でした。一時期天照大神が祭神とされるようになり、その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着したそうです。大鳥連は中臣氏で天児屋命を祖神としています。つまり大鳥連祖神は天児屋命ということになります。天児屋命は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です~ 第349話:天児屋命はウツシコオ!!


延喜式の分類では、和泉は重要性の点で「劣った国」(下国)の一つにランク付けされていました。これは、どういうことかというと、泉など「イズ」の付いた地について言えることで、「イズ」の付く地名の場所は、ウツシコオと台与が定住したのではなく、一時的に宮を置いた(居住)した地であると考えられます。


そして、泉国には、ヤマトタケルの白鳥伝説の地に建つ和泉国の一之宮だけでなく、堺(和泉国)に生まれ民衆布教と東大寺の大仏勧進で日本初の大僧正となった行基(ぎょうき)が生まれた場所でもあります。行基の生家とされる家原寺には行基が築いた土塔(どとう)があります。土と瓦を積み上げた十三重の仏塔で、瓦には一枚ごとに築造に携わった人々の名が記されていました。民衆による民衆のための祈りの塔で、日本のピラミッドとも呼ばれています。無数の瓦が陽の下で輝く姿のインパクトは絶大です。


行基は、なぜかこのブログに予期せず登場します。行基の初出は、第625話:大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)で、この回では、「行基が掘削指導した貯水池としては、昆陽池(昆陽池公園内、兵庫県伊丹市)、久米田池(大阪府岸和田市) などがあり、また狭山池(大阪狭山市) 日本最古のダム式貯水池(溜池)を改修しています。台与が河川の治水工事を行った場所には、必ずと言ってよいほど行基が来て寺を建立しています。~第679話:伊豆美神社~東京都狛江市



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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2件のコメント

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tootake
9月20日
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