宇佐氏と辛嶋氏~宇佐八幡宮
- tootake
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第899話
第895話:宇治神社と宇治上神社で、宇治神社は、宇治は菟道からきたのであり、それは兎(ウサギ)から来たと公式に説明されています。
そして、大分県にある宇佐神宮の宇佐も兎であるとされています。
~宇佐(菟狭)氏の末裔で、戦前まで宇佐八幡宮(宇佐神宮:大分県)の宮司を務めた家のご子息である宇佐公康氏は、菟狭は兎(ウサギ)から来た氏族名だと述べておられます。
宇佐氏は菟狭津彦命を祖とし、宇佐八幡宮の神主家で、古くは宇佐国造家でした。欽明天皇の時代に諸石が八幡宮を勧請したのにはじまり、元明天皇の時、沙門法蓮が医術にすぐれた功によって、一族とともに宇佐公の姓を賜わったといいます。
宇佐家伝承によると、宇佐家のウサとは月のウサギから来ています。宇佐家の一族はかつて菟狭族と呼ばれ、月神を信仰していました。月の満ち欠けや昼夜の別を目安に、月読(ツキヨミ)*や暦(コヨミ)の知能を持った氏族で、肉眼で見える満月の表面の濃淡がウサギに見える事から、月をウサギ神として信仰し菟狭(宇佐)氏と名乗ったと、「古伝が伝える古代史」できっちりと説明されています。これは、東出雲王国伝承でも引用されています。
そして宇佐公康氏は、菟道稚郎子の父親である応神天皇は、菟狭氏の族長であり、宇佐で生まれ中央に進出して政権を樹立したと言われます。そして宇佐氏と物部氏の血筋であるそうです。*月読は秦氏(=ウツシコオ・台与)です。~第898話:ツキヨミの正体(2):壱岐・対馬
宇佐氏は、記紀にみえる神武朝の菟狭津彦命を家祖とし、宇佐国造を世襲したとされ、菟狭津彦命の父は、高皇産霊尊の子の天活玉命の子です。天活玉命は、先代旧事本紀では饒速日命に随行した三十二神の一柱で、新撰姓氏録では恩智神主の祖と伝えています。
*恩智神社は、大阪府八尾市恩智中町にあり、神使は兎とされています。~第818話:泉町(2):恩智神社(八尾市)
奈良時代に八幡神に朝廷の権力が及ぶと、宇佐八幡宮にも神宮司が設置されます。当初は大宮司職は和人の大神氏(おおが)が、祭祀は渡来系氏族の辛嶋氏(からしま)が掌握していたが、道鏡事件が起こると大宮司職が空席になった為、宇佐池守が任じられるところとなったとされています。
・大神氏は、568年(欽明天皇29年)に豊国に入り、鷹居社を建立した大神比義(おおがのひぎ)が祖としています。大三輪氏(おおみわうじ)、または三輪氏(みわうじ)は、大和国磯城を発祥とし、大物主神*を祖神とする氏族です。つまり、宇佐八幡宮の大宮司職はヤマト(近畿)から来たのです。大神比義の父は三輪身刺(大田田根子:大神神社の祭祀主)の子孫です。*大物主神は台与です。~第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!
・辛嶋氏(からしまうじ)は、日本の古代氏族の一つで、宇佐八幡宮の社家の氏族でした。辛島・韓嶋とも。姓は勝*(すぐり)。一般的に、辛嶋氏は渡来系氏族であるとされており、辛嶋氏の系図では素戔嗚尊の子・五十猛神の末裔となっています。
*五十猛神(イタケル)は台与です。~第736話:イタケルは台与(1)
*勝とは、播磨国風土記にある「昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」とあります。播磨の太田とは、前号で書いた斑鳩寺のある兵庫県太子町のことなのです。~第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町
大分県にある宇佐八幡宮の大宮司職は、大神氏(おおみわ=三輪)→辛嶋氏→宇佐氏となっていますが、いずれも台与と関連のある氏族です。
※これまで、このブログで書いてきたことを統合しますと、
呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ・台与の一族=邪馬台国です。
菟狭は兎(ウサギ)から来た氏族であるのも、台与=菟道稚郎子(=聖徳太子)と関連があるからです。第378話:猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都では、「宇都宮二荒山神社の社伝では「宇都宮」という地名はこの神社に由来するものとされています。一宮(いちのみや)の訛りという説、遷座したことから「移しの宮」の転という説、「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説、豊城入彦命が東国の総監として此処に住し国がよく治まったことから「宇津くしき宮」と呼ばれそれが「うつのみや」に転じたという説など諸説がありますが、やはり、内里(京都府八幡市内里)のウチが由来というのが一番しっくりします。内里はウツシコオ(内色許男命)・ウツシコメ(欝色謎命)姉弟の拠点地の一つです。
内里(〒 614-8227)は宇治(菟道)の近くです。
関連項目:第379話:宇佐神宮・北辰の神・豊日別宮
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




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