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鳴神山とヤマトタケル(=台与)

  • tootake
  • 7月26日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月27日

第755話


鳴神山は群馬県桐生市にあります。山頂付近に雷神岳神社が鎮座しています。古くからの山岳信仰の対象となってきました。 雷神岳神社の祭神は、日本武尊(ヤマトタケル)です。三峯神社系統に属するとされ、神の使いとして狼(御狗)像が祀られています

赤と黄色のマフラーを巻いた2体の狼像があり、地元の人々に親しまれています


鳴神山は、カッコソウ(絶滅危惧種)の自生地としても知られ、春には保護活動が行われています。山頂からは日光連山、富士山、秩父連峰などの360度の大展望が楽しめることでも人気です。


鳴神山は「雷の通り道」とも呼ばれ、別名「雷神山」とも言われています

山岳信仰の対象として、自然の力(雷・風・水)と神霊が結びついた場所とされてきました

神社の存在は、山そのものが神域であるという古代的な自然崇拝の名残を感じさせます

雷神岳神社の狼像は、三峯信仰と関係があります。


三峯神社(埼玉県秩父市)は、日本武尊が東征の際に山犬(狼)に導かれたという伝承を持ちます。狼は境界の守護者、山の神の使い、水源地の守り神としての象徴性を持ちます。

神社名の「三峯」は、周囲の雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の三山に由来します。


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・ヤマトタケルは台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与

神岳神社の「雷」はタケミカヅチ(建御神)のことです。タケミカヅチは台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!!

・山犬(狼)に導かれたというエピソードは、空海が高野山を開いたときと同じです。


空海が唐から帰国後、真言密教を広めるための聖地を探していたとき、山中で、白と黒の犬を連れた猟師に出会います。空海が「修行の道場にふさわしい場所を探している」と伝えると、猟師は「犬たちに案内させましょう」と言い、犬たちが先導する形で山道を進みました。この地が現在の高野山であり、空海はここに真言密教の根本道場を開くことを決意しました。空海を迎えた山人は丹生明神で、丹生明神は、丹生都姫=台与です。


狼は境界の守護者、山の神の使い、水源地の守り神としての象徴性を持ちます。

台与は、水の神(水分:みくまり)でもあります。水の神(みずはのめ、たかおかみ)は、水を各々の田んぼに水を配分する農業神とされています。


鳴神山が「雷の通り道」と呼ばれることから、雷神=水神=山神という自然信仰の重層性が見られ、狼像はその象徴的な存在とも言えます。


群馬県桐生市にある鳴神山の麓に流れている渡良瀬川・利根川の治水を行ったのかもしれません。渡良瀬川は、利根川と合流し、太平洋へと流れているのですが、下流には香取市と

鹿島市があり、香取神宮と鹿島神宮が利根川を挟んで相対する場所に鎮座 しています。


この地は 古代の頃、交通の要衝であり、蝦夷との争いの最前線であった場所に、朝廷が日本屈指の武神である二神を東方の守りとなるように、鹿島神宮、香取神宮に鎮座させた と伝えられています。しかし、鹿島神宮の武甕槌大神=台与と香取神宮の経津主大神=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は利根川の治水工事を行っていたのだと思います。


ヤマトタケルについては、今までに下記のような記事を書いています。


第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社では、茨城県の鹿島香取神社の隣には那珂川が流れており、たび重なる大洪水をおこしています。台与が、河川の洪水を防ぐために各地で土木工事を行ってきたことをに述べています。


関連項目:第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2

    :第679話:伊豆美神社~東京都狛江市


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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5件のコメント

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暇な年寄り
7月28日
5つ星のうち1と評価されています。

台与=ヤマトタケルの発想が極端で矛盾が多すぎます。

台与=臺輿(タヨ)です。台の旧書体が臺です。この字はタイ・ダイとしか読みません。魏志倭人伝には壱の旧字体が使われています。この字はイチ・イツです。トとは読みません。下に豆が書かれていた為、トウと読みたかったのでしょう。そう読めば、邪馬壹國=ヤマト国と読めるからです。残念ながら、ウィキペディア(Wikipedia)概要下段に書かれていますが、陳寿は魏志倭人伝を書くにのに当時最新の情報である梯儁張政などの魏使の報告書や魏の公文書だけでなく、先行する『「漢書地理志』や『山海経』など古い文献や『魏略』が参考にした元資料、遼東公孫氏の記録など時代が異なる雑多な資料を組み合わせた為に整合性が取れていない部分や文書の意味が取りにくく、前述の様に読み手に誤解や混乱を招いている。

のように、元資料には臺が使われています。では 何故元資料と違っているのでしょうか。魏志倭人伝は、陳寿が死んだ後に実家に残されていた草稿(草書体)を皇帝に命じられた華南伊と洛陽令という2つの役職の人たちが、皇帝に上げるため 公式文書として篆書体(てんしょたい)に書き写した時 似たような文字は、草書体文字を誤読したものと考えられる。

因みに 南と東は全く違う。

陳寿の草稿の元になった魏志・魏書・魏略や司馬懿の史記から、引用した文面が見られ 魏志倭人伝は、各記録の寄せ集めだと分かります。その為、行程が無茶苦茶になっているのです。元になった魏書・魏略には、邪󠄂馬臺國と書かれています。このことを新井白石は知っていた となります。通詞今村英生が、当て字(仮字・借字)のルール(1音で読む。字の意味は解しない〔悪・愛・亜・安 すべてです〕。ハ行はワ行に変換して読む)を使わなかったからです。聞かれた分けを知らず 聞かれたから答えただけで、 タイと読んだのです。正しくは、ヤマタかヤマダです。

ヤマダ=山の田 と読めば朝倉の山田(長田)が浮かびます。ここには、麻氐良布神社(マテラ神社)があります。この字の中の布と須の草書体が同じなことで須を間違えたのでは?との指摘です。

ヤマタと読めば、八岐大蛇が浮かびます。仮定として、この暗殺事件が本当で、古事記の記載で事実が歪められ 筑紫にて卑弥呼がスサノヲに殺された。天照大御神=卑弥呼ですので、天照大御神が、岩戸に隠れた=岩戸で死んだ。部族長たち(小国王たち)が争い 新しく新女王台与を共立した=天照大御神が、復活した。台与=天照大御神でもあるが、クシナダヒメでもあります。クシナダヒメの記紀での記述が後に無いのは、天照大御神と表現されていた為です。

ヤマタノオロチの尾から出てきたのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)別名;草薙の剣(『日本書紀』では「草薙剣」「倶娑那伎能都留伎」]、『古事記』では「草那藝之大刀」(八俣大蛇退治時)「草那藝剣」(天孫降臨、ヤマトタケル時)と表記される)です。糸島市前原町の上町向原遺跡から出土した約120㎝の太刀が1本発見されています。魏帝から2本貰っていたので、それの1本が草薙剣の可能性を否定できません。〔卑弥呼=アマテラスの弟(月読命)が、伊都国の一大卒であったので、1本を月読命が貰った。〕もう一人の 登場人物 クシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫、稲田媛、眞髪觸奇稲田媛、久志伊奈太美等与麻奴良比売)の存在です。童女(をとめ)で巫女であった。事を考え 台与=臺輿(タヨ)=クシナダヒメとしました。

もう一つ重要なことは、【南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸】の前にが書かれている。【南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸】の前にもが書かれている。その上、投馬國と邪馬壹國の順番が入れ替わっている。

投馬國と邪馬壹國までの距離は、帯方郡からの距離であり且つ引用した元が違っている。と言うことです。帯方郡から末廬國までが水行十日で1万里です。末廬國から陸行1月の距離に女王国があります。多くの先生方は中国の文献から1日陸行=20㎞と言われますが、道路も整備されていない+川が多い道のりを裸足で歩くのにそんなに早く進める筈はありません。草木茂盛、行不見前人を蛇・毒虫・狼・熊・棘を警戒しながら 重要な詔+印綬+下賜品を届ける使命があります。自供自足+安全第一で進むのには1日4㎞くらいでしょう。1月陸行=120㎞前後と考えます。中には水行が早いのに無理して陸行を選択する先生も居られますが、現実離れした推測です。

重要な場所は不弥国です。ここまでしか帯方郡の使者は行っていません。距離・方角を計算しますと大宰府にあたります。詳しくは、アメーバーブロブtoyomi-k-1043のブログ 距離の違和感参照。

因みに 投馬国へは、帯方郡から末廬國~長崎~天草~有明海に進み 妻郡から吉野ケ里あたりと予想します。井上悦文氏によれば鹿児島とのことですが、【自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳】との記載から女王国より投馬国は北に無ければなりません。私は、女王国は、夜須・甘木・朝倉・杷木あたりと考えています。吉野ケ里は北ではありませんが、西です。地図が無い時代ですので、少し北と感じたのかもしれません。書き順を入れ替えたのは、水行十日、陸行一月の後に水行二十曰では、矛盾を感じた為と思われます。

邪馬壹國は、女王が都とするところで、住んでいたのは不弥国です。邪馬壹國は直轄領です。不弥国から三笠川を使えば弟の居る伊都国まで半日で行けます。政など外交を司る弟(月読命)と祭事を司る卑弥呼=日の巫女 の意思疎通は重要です。遠く離れていては、国の安全は保てません。


大胆な仮説ですが、これだけは言えます。邪馬台国=ヤマタ国と読んでください。


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tootake
8月08日
返信先

貴重なご意見ありがとうございます。

邪馬台国=ヤマタ国ということと、ヤマトタケルが台与であることは無関係です。

どうか矛盾している点をご指摘ください。


編集済み
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tootake
7月26日
5つ星のうち5と評価されています。

新撰姓氏録の左京皇別によると、車持公は、上毛野朝臣と同じ祖先であり、豊城入彦命の8世の子孫、射狭君の末裔

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tootake
7月25日
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tootake
7月25日
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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