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黒姫山:黒姫は台与

  • tootake
  • 7月22日
  • 読了時間: 5分

第751話 


黒姫山は、長野県上水内郡信濃町にあります。南東方向より見た整った姿から郷土富士として信濃富士とも呼ばれています。斑尾山、妙高山、戸隠山、飯縄山とともに北信五岳のひとつに数えられています。山頂には黒姫弁財天を祀る祠があり、古くから信仰の対象とされています。黒姫というお姫様の悲話伝説があり、山名の由来になったと言われています。


<黒姫伝説>

永正3年の春、黒姫の寝室に近付く一人の美少年が現れたという報告を受けた高梨盛頼は、その少年を捕らえるよう家臣らに命じるも逃げられてしまう。盛頼は自ら馬に乗って後を追い、名剣で少年の片腕を切り落とした。すると空は嵐となり、30か所余りの池が決壊し*、日野城は流されてしまった。噂では、岩倉池・硯川の黒龍*が黒姫を慕って通ったものの、名剣によって本来の力を発揮できず、そればかりか傷を負わされてしまったことで竜王の怒りに触れ、岩倉池を追われたうっぷんを晴らそうとしている、ということである。

真山城に撤退した盛頼は、風雨が収まったところで人々の救出策を講じた。領内での酒造りを禁じて米穀を確保するとともに、佐久からも食糧を調達した。政頼は祖先の盛光が信仰したという湯殿山の神社*を参拝し、夢のお告げにより黒龍の居場所をつきとめる。一方、盛頼の夢の中には流されたはずの黒姫が現れ、名剣を欲した。黒姫は盛頼から名剣を授かると、山の中の池に潜む黒龍を退治し、そのとき流れた血が赤川となった。その山は黒姫山と呼ばれるようになり、美女が水の上で歌を詠む姿や、雨乞いに応えて雨を降らせるといったことも伝わる。黒姫伝説 - Wikipedia


黒龍の住処とされる「岩倉池・硯川」について、現在の国土地理院の地図を参照しても志賀高原周辺には「岩倉池」を確認することはできまませんが、硯川という川名については熊の湯温泉(長野県下高井郡山ノ内町大字平穏)付近にて確認することができます。


*嵐となり、30か所余りの池が決壊し、、、黒龍を退治し~これは、台与が各地で治水を行ったことはこのブログで何度も述べています・

*岩倉池・硯川の黒龍が黒姫~黒龍は氾濫する川のことです。台与は淀川で大規模な治水工事をおこなっています。

・政頼は祖先の盛光が信仰したという湯殿山の神社を参拝し~湯殿山で祀られている少彦名命と瀬織津姫が祀られているのも、少彦名命と瀬織津姫が台与だからです。


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このブログでは、すでに黒姫は台与としています。~第509話:黒姫~真黒比売命・迦具漏比売


黒姫についてAIで文書を作成してもらいました。

  • 古事記では迦具漏比売命が景行天皇の妃として登場し、子に大碓命・小碓命(ヤマトタケル)を産んだとされます。

  • 一方、日本書紀では応神天皇の妃として「黒姫」が登場する記述があり、時代的に矛盾が生じます。

  • このため、学界では「同名異人説」「神格の重層化説」「編纂時の政治的意図による混同説」などが議論されています。

  • 長野県の黒姫山や黒姫神社など、地名・神社名に「黒姫」が残る地域では、土地神・山神・女性神としての信仰が根強く残っています。


このブログでは、景行天皇=ヤマトタケル=応神天皇としていますので、時代的に矛盾は生じません。~第578話: 景行天皇(第12代)と神夏磯姫 第581話:応神天皇(第15代)は台与 第439話:ヤマトタケルは台与 


ところで「黒」となにかというと、第508話:桑田皇女と奈具遺跡書いた奈具遺跡の地名は京都府弥栄町部奈具の黒はないでしょうか。奈具遺跡で出土した玉(水晶玉・ガラス小玉・碧玉製)が奈良県の鍵・唐古遺跡で出土した玉との関連があると思われ、調査されています。鍵・唐古遺跡は孝霊天皇の黒田庵戸宮の近くで、ヤマトトモモソ姫は7歳までこの地にいたとされています。ヤマトトモモソ姫は台与(豊)です。~倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ


田庵戸宮にいた姫なら黒姫(真黒比売命・迦具漏比売)とよばれても不思議はないでしょう。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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4件のコメント

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