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天忍穂耳尊は饒速日!?

  • tootake
  • 2024年9月12日
  • 読了時間: 3分

第438話 #天忍穂耳尊 #台与 #ニギハヤヒ #ニニギ #アメノオシホホミミ


天忍穂耳尊は素戔嗚尊(スサノオ)が天で自身の清い心を示すために生んだ五皇子の長男であるとされています。日本書紀によると素戔嗚尊は姉の天照大神の前で「自分の心が清らかならば男神が生まれ、そうでなければ女神が生まれる」と誓約(うけい)を行い、五皇子を生んだ。誓約に勝ったので正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と名付けました。「正哉吾勝」「勝速日」天忍穂耳尊の名前の一部となっています。


天忍穂耳尊は高皇産霊神の娘である栲幡千千姫命との間に瓊瓊杵尊をもうけました。

高皇産霊尊はこの孫を葦原中国の主にしようと画策します。(日本書紀:神代紀第九段)しかし天忍穂耳尊の事績は無く、系譜上のみの神となっています。


古事記だと葦原中国平定は天照大神が天忍穂耳尊を降臨させるために行われ、実際に天忍穂耳尊が天降ろうとする場面があります。しかし下界は物騒だとして天忍穂耳尊は途中で引き返してしまいます。大国主神から国譲りがされると再び天忍穂耳尊に降臨の命が下りますが、天忍穂耳尊はその間に生まれた息子の瓊瓊杵尊に行かせるようにと進言し、瓊瓊杵尊が天降ることになります。これが天孫降臨です。


天忍穂耳が素戔嗚の子であるというのは保留して、上記を要約すると、

・本来は天忍穂耳尊が葦原中国=邪馬台国=ヤマトの大王になるはずであった。

・しかし高皇産霊尊(ウツシコオ(内色許男命)スサノオ)自分の孫に当たる瓊瓊杵尊(ニニギ:瓊瓊杵尊)をヤマト(邪馬台国)の王に即位させたということになります。


瓊瓊杵尊(ニニギ)は13歳で卑弥呼の後を即位したと魏志倭人伝に書かれている台与であることは既に述べました。第437話:台与の物語


天忍穂耳尊は孝霊天皇=饒速日(ニギハヤヒ)だとすればすべての話が繋がります。


紀ノ國の名草から出て来た熊野水軍のリーダーとなったヒコユキ(ヒコサチ)(内色許男命)は、饒速日が支配しているヤマト(大阪府高槻市)にやってきて、一時紛争はあったもののヒコユキの姉を饒速日に差し出し配下につきます。優秀であったヒコユキは巨椋池の周辺の内里と居を構えウツシコオのと呼ばれます。姉はウツシコメで孝霊天皇(=孝元)=饒速日の后となります。やはり優秀であったためヒメミコ(卑弥呼は萬幡豊秋津師比売)呼ばれます。


ウツシコオは但馬・亀岡の開発を行い孝霊天皇(=孝元)=饒速日の宰相となります。参照:第339話:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!

実力をつけたウツシコオは孝霊天皇=饒速日を殺害します。参照:第373話:孝霊天皇クーデター事件

ウツシコオは長脛彦です。第213話:長脛彦の物語

そして姉のウツシコメ(卑弥呼)をも排除し(参照:第366話:狗奴国と女王国、瓊瓊杵尊(ニニギ)=台与をヤマト(邪馬台国)の大王に即位させます。


正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、正哉吾勝勝速日天忍尊、忍命とも表記します。饒速日は骨にされてしまったのです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



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