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幻の景初四年~三角縁盤龍鏡

更新日:4月18日

第61話


京都府福知山市の広峯15号墳から出土した三角縁盤龍鏡には、景初四年五月丙午の銘が入っていました。これは大問題で、大論争を引き起こしました。何が問題かというと景初三年に魏の明皇帝は崩御しています。「景初四年」というの存在しない年だからです。


大論争というのは、邪馬台国近畿説と九州説の対立です。

畿内説派は、鏡は品質の良さから中国製と考えており、九州説派は「景初四年」は卑弥呼が魏に朝貢を行なった景初三年の翌年に当たり、本来、改元で正始元年でないとおかしいと主張しました。


中国では正史として扱われた『三国志』の中の魏書に、倭人について描かれた部分があり、それが有名な『魏志倭人伝』ですが、その中で、景初3年(239)、邪馬台国の女王、卑弥呼が魏に使者を送り、魏の皇帝から「銅鏡百枚」を下賜されたと記されています。


三角縁神獣鏡がその銅鏡百枚にあたるとして、鏡が卑弥呼探しのツールになっていたのです。その後、研究が進み三角縁神獣鏡はすべて国内で作られたものだということが分かりました。


ところで注目すべきは、「景初四年」三角縁盤龍鏡に書かれている銘文です。


位至三公 母人詺之 保宣子孫 寿如金石兮

「役人がこれ(この鏡)を持っていると、その位は三位に至る。

母さんがこれを持てば、子孫が長く続く 寿命は金石のごとし」

漢文の教養のなかった鏡職人が、自分で考えた銘文ではないかとされています。


ところで、前回触れた和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市上代町)の景初三年(239年)画文帯四神四獣鏡には「位至三公」がカットされ、「保宣子孫」だけが書かれています。


当時17歳の少年だった森浩一氏は同志社大学文学部教授となり、和泉黄金塚の鏡は「景初四年」三角縁盤龍鏡をもとにして作られたもので、役人の部分をカットしてたのは被葬者は女性でその人にふさわしい鏡を国内で作ったのだろうということです。

景初四年の鏡は、日本国内で正始元年=240年に上垣内憲一先生の言われるところの呉の鏡職人:呉の勝(スグリ)によって作られたのでしょう。


 銘文にある「母人」は「おかあちゃん」という意味の俗語だそうです。ギスギスした邪馬台国近畿Vs九州説の人たちは、銘文については触れていません。私は「おかあちゃん」と聞いてなぜかほっとしました。

               {参考文献}謎の四世紀 上垣内憲一


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



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