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卑弥呼と銅鐸(2):農耕と狩猟

  • tootake
  • 9月11日
  • 読了時間: 5分

更新日:9月12日

第802話


前回:卑弥呼と銅鐸(1) でも書いたように銅鐸が作られなくなったのは、概ね3世紀中頃(西暦250年頃)と考えられています。これは弥生時代の終盤にあたり、銅鐸祭祀が急速に衰退し、代わって古墳時代が始まる時期と重なります。つまり、卑弥呼が亡くなって、台与が邪馬台国の大王に即位した年代と見事に一致するのです。


銅鐸に描かれた絵画モチーフは、弥生人の世界観を映す鏡のような存在です。今回は農耕と狩猟のどちらが多いかという視点から、銅鐸について調べてみました。このブログでは、台与(=大歳=饒速日)が稲作を促進してきたとしています。卑弥呼の時代(銅鐸をまだ使っていた時代)には、稲作の絵を描いた銅鐸が、よりも狩猟を描いた銅鐸よりも多いのではないかと思ったからです。~第483話:饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 


しかし調べた結果は、農耕をモチーフとした絵画のついた銅鐸の方が狩猟をモチーフを絵画よりもついた銅鐸の方が多いことが判明しました。


🧮 絵画銅鐸における農耕 vs 狩猟モチーフの比較

🧑‍🌾 農耕モチーフ(多数派)

臼を搗く人物:稲の脱穀儀礼

高床式倉庫:収穫物の保管

工字型道具を持つ人物:水田の整備・測量の象徴

稲穂・水辺の生物(カエル・トンボ・カマキリ):水田環境の描写

魚をくわえる亀など:水辺の豊穣

👉 これらは、稲作の過程や水田の生態系を表現しており、銅鐸が農耕祭祀に用いられたことを強く示唆しています。


🏹 狩猟モチーフ(少数派)

鹿を追う人物と犬:狩猟の場面

鹿の背に矢が刺さる描写:仕留めの瞬間

猪に吠える犬と人:猪退治(田畑を荒らす存在)

猿・狸のような動物:山の精霊や境界的存在

👉 狩猟の絵も存在しますが、農耕と結びついた呪術的文脈(例:鹿の血に籾種を浸す播磨国風土記の伝承)で描かれることが多く、単なる食料獲得ではなく祭祀的意味合いが強いとされます。


📊 結論:農耕モチーフが圧倒的に多い!!

絵画の構成や頻度から見ても、農耕に関する場面が主軸であり、狩猟は補助的・象徴的に扱われています。


しかし、農耕(稲作)を描いた銅鐸も多数存在するということは、卑弥呼の生きた時代(弥生時代末期)が「農耕社会への転換期」であったことを物語っています。狩猟は自然との境界を示す儀礼的行為として残りつつ、社会の中心は稲作へと移っていったのです。


ちょうどその時期に邪馬台国(ヤマト)の大王に即位した台与は、農耕の推進に力を注ぎ東北地方にまで及んでいたと思います。台与の事業は、ヤマトタケルの東北遠征として、語り継がれるようになったのだと思います。


また銅鐸に呪術的な要素があるとすれば、銅鐸をすべて廃棄することにより、より科学的で合理的・効率的な稲作を促進したのだとも思えます。


北限の前方後円墳は岩手県奥州市の角塚古墳です。築造時期は、6世紀前半(古墳時代後期)で、ヤマト王権の影響が東北地方南部まで及んでいたことを示す重要な遺構です。

この時期、畿内ではすでに前方後円墳の築造が終息していたため、角塚古墳は「地方における王権模倣」の象徴とも言えます。角塚古墳は「王権の周縁における象徴的建築」として、まつろわぬ民との境界線を可視化する装置とも言えるかもしれません。


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これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



ree

 
 
 

1件のコメント

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tootake
9月10日
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