八郎太郎(2):八郎潟
- tootake
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更新日:2 日前
第1074話~ダイダラボッチ(7)
米代川を下った八郎太郎は一夜の宿を求めて歩き回り、天瀬川(三種町天瀬川)で、年老いた夫婦に宿を提供してもらいます。八郎太郎はお爺とお婆に、泊めてくれたことのお礼を述べ、明日の朝、鶏が鳴くと同時に大地が割れ、ここが大きな湖になると老夫婦に告げます。翌朝、鶏*が鳴くと同時に轟音が響き渡り、水が溢れました。八郎太郎の姿は龍になり、そして大地は瞬く間に湖となったのでした。お婆は、天瀬川の反対側の芦崎(あしざき)(三種町芦崎)に飛ばされてしまいました。お爺は天瀬川の南の夫殿権現(おどどのごんげん)に、お婆は芦崎の姥御前神社(うばごぜんじんじゃ)に祀られるようになりました。そして、この両地域では鶏を禁忌とし、鶏を飼うことを禁じるだけでなく、鶏や卵を一切食べませんでした。 こうして、現在の位置に八郎潟が誕生し、八郎太郎はここを永住の地としたのでした。
姥御前神社(山本郡三種町芦崎字芦崎)の祭神は、手名槌神(てなつち)です。
テナヅチ・アシナヅチは、スサノオのヤマタノオロチ退治に登場する櫛名田比売の両親です。第946話:テナヅチ・アシナズチ:稲田宮主簀狭之八箇耳では、テナヅチ、アシナヅチは台与とウツシコオとしています。
*鶏については、第1019話:事代主と鶏:闘鶏神社で書いたように鶏は、事代主と関係しています。事代主はスサノオ=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。~第275話:事代主もウツシコオ
八郎潟を安住の地とした八郎太郎でしたが、八郎潟は冬に凍る湖でした。冬も凍らない湖はないかとあちこち訪ね、男鹿の北浦に冬も凍らない一の目潟があることを聞いたのでした。そして、一の目潟を冬の間の棲み家にしようと考えたのでした。 困ったのは一の目潟の女神でした。自分一人では八郎太郎にはかないません。そこで、京都出身の弓の名手であった武内弥五郎真康(たけのうちやごろうまさやす)に八郎太郎を追い払ってくれるように頼んだのです。女神様は真康に、八郎太郎を追い払うことができるのであれば、雨乞いのお札を授ける約束をしたのでした。
一の目潟は、秋田県男鹿市北浦西水口一ノ目潟にあります。武内弥五郎真康の「武内」は武内宿祢の「武内」です。武内宿祢はスサノオ=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。
~第324話:武内宿禰はウツシコオ!!
一の目潟の女神も雨乞いをすることから、台与だと思われます。台与は稲作の神です。
西木村(仙北市)神成沢(かんなりざわ)には、辰子という美しい女性がいました。辰子は永遠の美しさを手に入れようと、神成沢と田沢湖との間の山の中腹にある大蔵(おおくら)観音)に毎晩願掛けをしました。そして成就の夜、観音から田沢湖のそばの泉を飲めば、永遠の美しさを得られるというお告げを受けました。辰子は泉を探し求め、ついに発見し、水をすくって飲んだのでした。すると辰子は、龍の姿に変わってしまいました。
八郎太郎は、辰子に惹かれ、田沢湖へ毎冬通うようになっていました。辰子もその想いを受け容れますが、ある冬、辰子の元に前回:ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎で登場した南祖坊が現れて、辰子を巡って再度戦い、今度は八郎太郎が勝ちます。それ以来八郎太郎は冬になる度、辰子と共に田沢湖に暮らすようになったとされています。
ところで、この三湖伝説は、元々は近畿で作られた話なのです。
室町時代の1407年(応永14年)に三国伝記には三湖伝説の元になったと思われる説話が記録されています。
播州書写山*の辺りに、釈難蔵という法華の持者が弥勒の出生に会いたいと願い、3年間参籠して祈ったところ、千日目の夜「ただちに関東に下向して、常陸と出羽との境にある言両(ことわけ)の山に住むならば、弥勒の下生に値遇できるであろう」との夢告がありました。その山に行くと、頂には円形で底知れない深さの池があり、その畔で法華経を読誦していると、年のころ18、9の女性が毎日現れて聴聞します難蔵が不思議に思っていると、女は「私はこの池の主の竜女で、「この山の三里西にある奴可*の山の池にいる八頭の大蛇が奴可の池に住み、もうやってくる頃です」と言います。難蔵は、法華経を頭上に置いた。すると、難蔵の姿はたちまち九頭竜と変じ、八頭の大蛇を退治します。
この「釈難蔵」は「南祖坊」に相当し、「八頭の大蛇=ヤマタノオロチ」は「八郎太郎」に相当します。
*播州書写山は、第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山で書いたように台与・ウツシコオと関連のある地です。
*奴可(ぬか)は、糠部で第1072話:ダイダラボッチ(5):久慈で八頭の大蛇(ヤマタノオロチ)がいるとした場所です。
※龍は暴れ川であると同時に、水の神でもあります。龍は台与・ウツシコオです。
このエピソードでも、川の氾濫が述べられており、このことから、ダラボッチが、日本各地の河川の改修工事を行った呉の勝=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ・台与の一族であることと関連しています。
第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎
第1069話:ダイダラボッチ(2):太平山~秋田県
第1070話:ダイダラボッチ(3):稲村神社
第1071話:ダイダラボッチ(4):弥五郎どん
第1072話:ダイダラボッチ(5):久慈
第1073話:ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎
三湖伝説では、観音、法華経などと仏教にも関連のある言葉がしばしば出てきます。台与は暴れ川の改修工事を行うとともに仏教の布教にも力を入れていたのだと思います。
~第539話: 仏教伝来異聞 第683話:善光寺~本田善光は台与
<観音信仰と台与>
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
八郎潟 株式会社 船川タクシー




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E6%B2%BC_(%E4%B8%89%E7%A8%AE%E7%94%BA)
蓮沼
<台与シリーズ>
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