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ダイダラボッチ・大人弥五郎

  • tootake
  • 2025年1月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年1月15日

第561話 #ダイダラボッチ #大人弥五郎 #邪馬台国 #台与(豊)


ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人です。

山に腰かけ海の水で顔を洗う程の巨駆を誇ったといいます。


宮崎県に伝わる伝承では「洪水で川の土手が決壊し村人が困った時、軽々と持ち上げた大岩で塞いでくれた」「川の水を大岩でせき止め、村人に自分の草鞋を100足作るように要求(悪ふざけ)をした」「高い山に登り、雲をかき回して雷が鳴るのを鎮めようとして村人を驚かせた」など、一般の人間達とは、時に助け時に困らせるなどしつつ、概ね友好的な関係を築いていた巨人とされています。


山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられています。


秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった(鳥の海の干拓伝説)。


昔、東信濃は湖の底だったが、デイラボッチは「岩鼻」という山を砕き水を排出し、平地を作った。


茨城県水戸市大足(おおだら)は、土地の西南にあった山のおかげで村は一日の半分は日陰になり、日が早く暮れてしまい困っていた。そこでダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウと呼称)は村人のために山をどけてあげた。しかし、山をどけた跡の土地がえぐれてしまい、雨が溜まるようになったので、川をつくり沼底をさらって水が流れるようにした。


これらのことから、ダイダラボッチとは、台与(豊)=秦氏の稲作事業のことだと思います。台与(豊)=秦氏は、各地で河川の氾濫を防ぐ工事や池を埋め立てるなどの大規模な工事を行っています。~第339話:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!


第459話:hidemaru3375.com/post/台与と秦氏では、下記のように書いています。

茨田堤や堀江を築いたのは秦氏です。


「又秦人(はたひと)をえたちて茨田堤及(また)茨田三宅を作り、又丸邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波の堀江を掘りて海に通し、又小椅江(をばしのえ)を掘り、又墨江の津を定めたまひき」


秦氏が台与の後ろ盾になり、両者が協力したことによってヤマト=邪馬台国は、大規模な土木工事ができるようになり、亀岡の干拓(参照:秦氏と大山咋神 丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!)や香川県で農地の開墾、開拓を行い四国の人々に食料を安定して供給することができたのです。参照:大宜都比売(おおげつひめ)は台与


ダイダラボッチは、大太郎坊(だいだらぼう)とも表記し、九州では大人弥五郎(おおひとやごろう)と呼ばれれています。東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)という地名があり、この「太田窪:ダイタクボ」というのが訛ってダイダラボッチになったのだと思います。太田は、呉の勝(すぐり)のことです。

猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命の6座と同体異名の神であるとされています。この6坐の神はすべてスサノオウツシコオ(内色許男命)です。~第254話:興玉命も内色許男命


弥五郎どん(やごろうどん)または大人弥五郎(おおひとやごろう)、弥五郎様(やごろうさま)とは、南九州地方、主に宮崎県と鹿児島県に伝わる伝説の巨人(大人伝説)。


弥五郎のモデルとなった人物は、言い伝えでは、弥五郎とは奈良時代の720年(養老4年)に勃発した「隼人の反乱」の際、律令政府に対抗した隼人側の統率者であったとする説が最も広まっています。後にこの戦いで敗北した隼人達の霊を供養する放生会が行われたが、これが現在の「弥五郎どん祭り」の起源となったとされています。

隼人は呉の勝です。~第304話:隼人族は呉の勝


弥五郎は、300歳の長寿を生き、大臣として6代の天皇に仕えたとされる伝説上の人物、武内宿禰であるとする説があります。武内宿祢はスサノオウツシコオ(内色許男命)です。~第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>







 
 
 
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