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地名から読み解く邪馬台国


開聞岳と枚聞神社
第1057話 開聞岳(かいもんだけ)は、薩摩半島の南端にあり、古来より鹿児島に入港する船の目印となっていたため、錦江湾の「海門(かいもん)」であったといいます。 しかし、開聞の本来の語源は「ひらきき」とされます。 神話によると、瓊瓊杵尊*(ににぎのみこと)がこの地を訪れた際に「われ今にひらに来たりき(今まっすぐにここへ来た)」と言ったことが由来とされ、その言葉から「ひらきき」という地名が生まれました。時代とともに「ひらきき」は「かいもん」と呼ばれるようにな ったのです。 その名残として、山の麓には「枚聞神社(ひらききじんじゃ)」があり、山頂にはその奥宮が祀られています。現在では神社のみ「ひらきき」と読み、山は「かいもん」と呼ぶのが一般的です。 開聞岳(かいもんだけ): 薩摩冨士とも言います。枚聞神社は鹿児島県指宿市開聞十町にあり、古来海洋・航海の神として崇められてきました。 大正14年8月の「枚聞祭神調書」によれば、枚聞神社は後鳥羽天皇の頃から後陽成天皇の慶長4年までは、和田都美神社と称せられていたと伝えており、当時の祭神は和田都美神(わだつみ)
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5月24日読了時間: 5分


高地性集落~阿知須町(周防)
第1056話 高地性集落とは、弥生時代に平地から比高差のある山頂や丘陵の尾根上に形成された集落のことで、周囲の平野や海を見渡せる位置にあります。水田耕作には不向きな場所に立地するため、農業生産よりも防御や情報伝達の目的が重視されたと考えられています。全国で約700ヶ所の高地性遺跡が確認されており、そのうち住居跡が発掘されているのは約200ヶ所です。 高地性集落が、最初に発見されたのは明治34年(1901年)です。瀬戸内海を周防灘(すおうなだ)を見下ろす山口県阿知須(あじす)町引野のカンガラ山(貝殻山)の山頂に貝殻が散布していることを聞いた山口県の考古学者である篠原市之助氏が当時の雑誌「考古学」に投稿しました。 このカンガラ山は引野遺跡とされ、関心は、これまでもっぱら貝塚にのみ向けられてきました、昭和51年に行った調査によって初めて貝塚に伴う集落にスポットがあてられていました。 兵庫県の会下山遺跡は:弥生時代中期後半の集落で、見晴らしが良く、周囲の村や人々への情報伝達に利用された可能性があります。 香川県の紫雲出山遺跡は、標高352mの丘陵上に位置
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5月23日読了時間: 6分


河合神社~京都&安曇野
第1055話 第1050話:葵祭と三社祭という記事を書いたときに、読者の方から情報をいただきました。ありがたいことです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「賀茂建角身命=八咫烏=スサノオ」なんですね。 下鴨神社の摂社『河合神社』にある『任部社』(古名 専女社)(とうべのやしろ、とうめのやしろ)は、御祭神:八咫烏命(やたがらすのみこと)です。八咫烏に『命』が付いてます!「専女=稲女」で食物を司る神のことだそうで、『小烏社』と合祀されたらしいです。「小烏=八咫烏」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 河合神社=任部社(とうべしゃ/とうべのやしろ:京都市左京区下鴨泉川町)は、京都府京都市左京区にある賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社・河合神社の境内末社です。 以前は、専女社(とうめのやしろ)と呼ばれていました。この「専女(とうめ)」という言葉には、「稲女」の意味があり、古くから食物を司る神として信仰を集めています。 専女=稲女=台与です。 河合神社(川合・川會)については、第5
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5月22日読了時間: 6分


水戸:茨城県の邪馬台国(4)
第1054話 水戸という地名は「水の門」に由来し、那珂川(なかがわ)*と千波湖に挟まれた台地の出入口を意味しています。水戸は、の「戸」は、那珂川の舟運や水路の出入り口という地形的特徴に由来しています。古くから海や川の水の出入口を「みと」または「みなと」と呼ばれていました。15世紀ごろ江戸氏がこの地域を支配するようになると、那賀郡の一部を「水戸」と呼ぶようになり、江戸氏の時代には「江戸」とも併用されていました 。 水戸の始まりは、大和朝廷から東国に派遣されてきた建借間命*(たけかしまのみこと)とされています。建借間命は軍船を率いて霞ヶ浦に入り、鹿島・行方地方、さらに那珂川流域一帯を切り開いたとされています。那賀国*は、当初いまの水戸市飯富付近を根拠としたとみられ、これが水戸の始まりとされています。 飯富には、この地方で最も古いとされる安戸星古墳がありましたが、発掘調査(1981年)ののち整地され、いまは駐車場になっています。 飯富(いいとみ)には、水戸地方で最も古い神社の一つ大井神社*があります。祭神は最初に水戸地方を治めたとされる建借馬(間)命で
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5月21日読了時間: 5分


太郎坊阿賀神社:阿賀神社
第1053話 阿賀神社(あがじんじゃ)は、滋賀県東近江市小脇町にあります。太郎坊宮(たろうぼうぐう)や太郎坊阿賀神社の通称で知られています。 太郎坊宮には、夫婦岩(めおといわ)と呼ばれる左右にそびえる男岩と女岩があり、幅は約80cmしかありません。ここを通ることで願いが叶うとされ、悪い心を持った人が通ると岩に挟まれるという伝説も残されています。742段の石段: 麓から本殿まで続く石段の途中にも、数々の巨岩が点在しており、修験道の霊山としての歴史と神秘的な雰囲気を体感できます。 太朗坊(太郎坊)とは、天狗の名前です。天狗がスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米であることは、第888話:開口神社の天狗 第889話:鞍馬寺の真実:牛若丸は、、、で書いています。 阿賀神社の祭神は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。 相殿神 - 蛭子大神、天満大神、大将軍大神、日吉大神、十禅師大神、清水大神、五社大神(天皇宮・十禅師権現宮・神明宮・岩神宮・八幡宮)です。これらの神々は、いずれもウツシコオ、台与のこ
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5月20日読了時間: 6分


桃太郎伝説の真実:阿宗神社
第1052話 前回:稲背入彦命は桃太郎書いた白国神社(兵庫県姫路市白国)の近くに、阿宗神社(あそうじんじゃ:兵庫県たつの市誉田町広山)はあります。たつの市は姫路に隣接しています。ここも播磨国揖保郡(*下記)です。 祭神は、神功皇后(じんぐうこうごう)で、配祀神応神天皇(おうじんてんのう) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)、息長日子王(おきながひこのきみ)です。 阿宗神社は、かつては揖保郡太子町立岡の地にあり、岡の峰八幡宮と称したといいます。立岡の近くには「阿曽」の地名も残っています。斑鳩寺(いかるが寺)が祭祀を司ってきたとされます。揖保郡太子町や斑鳩寺については、第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町 第535話:佐比の岡~兵庫県太子町で書いたように聖徳太子=台与と関係の深い地です。 阿宗神社が鎮座していた阿曽の郷は、古くからタタラ製鉄と鋳物が盛んで、タタラ製鉄技術を百済から伝えたのが温羅 (うら)と言われています。五十鈴=台与は鉄の神です。 ~第216話:五十鈴姫は鉄の神 第185話: 金屋子神は五十鈴姫 温羅は、桃太郎が退治した鬼の名前で
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5月19日読了時間: 5分


稲背入彦命は桃太郎
第1051話 稲背入彦命は、第1046話:佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)で登場しました。滋賀県野洲市にある兵頭大社の社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇は皇子・稲背入彦命(いなせ・いり彦)に命じて大和国穴師(奈良県桜井市穴師、穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬したといいます。八千矛之神は日吉大社(大津市)から亀に乗って琵琶湖を渡り、そこから鹿に乗ってやってきたといいます。そして稲背入彦命=台与と同一人物でしょう。と書きました。 姫路市内にある白国神社があります。この白国(しらくに)については、播磨国風土記:飾磨の郡:新良訓(しらくに)の条で、新良訓と名づくる所以は、昔、新羅の国の人、来朝ける時、この村に宿をとったから「白国」と名付けられたとあります。 白国神社の祭神は稲背入彦命と阿曾武命(あそたける)と神吾田津日売命(かむあたつ姫)の三柱です。 社伝によれば、今を去る千七百年の昔、景行天皇の皇子である稲背入彦命が、大和から当地(白國)へ下向された時に宮殿を構えて統治された。とあります。 新羅の国の人というのは、スサ
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5月18日読了時間: 4分


葵祭と三社祭
第1050話 葵祭(あおいまつり:正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行われます。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことを指していました。 ちなみに賀茂御祖神社(上賀茂神社)の祭神は、賀茂建角身命はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。賀茂は神。建角身命は八咫烏(ヤタガラス)であることは、周知の事実です。 ~第592話:彦狭知の物語4~八咫烏 第593話:彦狭知の物語5~賀茂建角身命 賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神は、賀茂別雷大神は、台与です。雷=イカヅチ=ミカヅチ=タケ(建)ミカヅチです。 第441話:タケミカヅチは台与で書いたように、上賀茂神社と下賀茂神社の配置は、鹿島神宮(茨城県)と香取神宮(千葉県)の配置と同じです。 香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が賀茂建角身命=スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米で、鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカズチ)=台与です。経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の「経津:ふつ
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5月17日読了時間: 5分


佐伯氏と隼人:佐伯部と蝦夷(3)
第1049話 佐伯部または佐伯直を祖とする佐伯氏は、讃岐、伊予、安芸、阿波に封じられたとされています。具体的には、古墳時代の中頃に播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に佐伯部がみえます。 佐伯氏の分布をみてみると、 丹波(桑田・船井)、摂津(住吉・難波)、大和(宇智・吉野周辺)、熊野・紀伊沿岸です。 これらの地名は、このブログでしばしば登場しています。 丹波の桑田については、 ・出雲大神宮は、丹波国桑田郡にあります。~第1005話:出雲大神宮:丹波と邪馬台国(4) ・第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)では、桑田郡は、丹波国の中心地で、倭彦王(やまとひこのおおきみ)が居た場所であることを書きました。 ・第508話:桑田皇女と奈具遺跡では、桑田皇女は台与であることを述べています。 住吉は、邪馬台国の最も重要な拠点地です。~第112話:底・中・表筒男命~住吉大社 第920話:秦王国は大阪 熊野・紀伊沿岸は、台与・スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のホームタウンです。~第543話: 熊野の神々は、、、 大和の「宇智」は、「うち=
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5月16日読了時間: 5分


佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)
第1048話 #兵頭大社 #佐伯直 前回:佐伯部と蝦夷(1)で書いた佐伯部を率いていたのが、佐伯氏です。 日本書紀によれば、部民としての佐伯部は、もともと東国人の捕虜(蝦夷)であったが騒がしいことを理由に景行天皇の命で、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に送られたのがその祖であるとの起源を伝えています。これらを統率したのが佐伯直人物です。 佐伯直(佐伯連)→佐伯氏→佐伯部ということです。 新撰姓氏録には、針間別佐伯直は、景行天皇の皇子・稲背入彦皇子の後裔氏族で、成務天皇の時代に同皇子の子である御諸別命(針間別命)が播磨国に封ぜられて以来、氏名を「針間別(はりまわけ)」とし、応神天皇が播磨国に行幸した時に、同国の佐伯部を御諸別命の子である針間国造の伊許自別命(阿良都命)に伴造として管掌させるとともに、「針間別佐伯直」と改賜姓したが、天智天皇9年(670年)の庚午年籍作成に際して、「針間別」の3字を除いて「佐伯直」と称するようになったとあります。 ・針間別の「針間:はりま:播磨」は呉の勝が移動した地です。呉の勝は、紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田
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5月15日読了時間: 6分


佐伯部と蝦夷(1)
第1047話 佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つです。ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を平定する際、捕虜となった現地人(蝦夷・毛人:えみし)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したものです。 佐伯部は、「叫ぶ」に由来するとされてきました、常陸国風土記:茨城郡条には、土着民である「山の佐伯、野の佐伯」が王権に反抗したことが記されています。 他にも、「障(さへ)ぎる者(き)」で、朝廷の命に反抗する者の意味、また景行天皇紀に「騒い」だとあることに着目し、「大声を発して邪霊や邪力を追いはらったり、相手を威嚇するといった呪術的儀礼に従事」するのが彼らの職掌で、佐伯部は「サハグ部」で、あるいは、聞きなれない言葉を話すので「騒(さえ)ぐ」ように聞こえたことに由来するとする説もあります。 日本書紀によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が東征で捕虜にした蝦夷を初めは伊勢神宮に献じたが、昼夜の別なく騒いで神宮にも無礼を働くので、倭姫命によって朝廷に差し出され、次にこれを三諸山(三輪山)の山麓に住まわせたところ、今度は大神神社に無礼を働き
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5月14日読了時間: 4分


靭(うつぼ):御霊神社
第1046話 大阪と邪馬台国 前回:世田谷と瀬田:地名から読み解く邪馬台国で書いた御霊神社(ごりょうじんじゃ)の祭神は、大友皇子でした。御霊神社は大阪市中央区淡路町にもあります。ここの祭神は、津布良彦神、津布良媛神です。津布良(つぶら)とは、大阪湾岸の圓江(つぶらえ)で、現在の靱(うつぼ:大阪市西区靱本町)です。 靱は、かつての靱塩干魚市場のあるところでした。靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていましたが、1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に閉鎖され、1945年の大阪大空襲で一帯は焼け野原となってしまいました。 圓江(=靱)で行われた八十嶋祭(大嘗祭の翌年に行われる)の祭場とされた圓神祠(つぶらしんし)に、瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神が祀られると、社はやがて圓神社、圓江神社、津村神社と呼ばれるようになり、摂津国津村郷の産土神社となります。この当時の御霊神社は大阪市西区靱本町にある楠永神社の近辺にあったといいます。 津村郷は、難波津の一部として古代より開けたところで、内蔵寮領等目録(宮内庁書陵部所
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5月13日読了時間: 5分


世田谷と瀬田:地名から読み解く邪馬台国
第1045話 先日(5月9日)、ブラタモリで成城のことについて放送していました。 成城が世田谷区であることを知りました。 世田谷は、第679話:伊豆美神社~東京都狛江市で書いた狛江市に隣接しています。 狛江市と、京都府相楽郡の伊豆美と非常に関係の深い地であることを書きました。 この記事を書いたときには気づいていなかったのですが、相楽郡の伊豆美は「美豆」で台与のことです。~第1025話:映画国宝と天知迦流美豆姫 東京都狛江市にも伊豆美神社があります。 東京都の伊豆美神社の近くには多摩川が流れています。延喜式には多麻郡の字であらわれ、のちには多磨郡とも表記され、「たま」「たば」と読まれたことから、地名の由来は、丹波が転訛したもの、かつて麻が多い地域であったという伝承があります。丹波については、第999話:脱解王の神話(1):多婆那国~第1013話:扶桑国は投馬国(丹波・但馬)で台与との関係を書きました。 ところで、滋賀県大津市には、瀬田という地名があります。琵琶湖から唯一流れ出る川が瀬田川です。瀬田には古いお寺や神社がたくさんあります。...
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5月12日読了時間: 5分


邪馬台国と牛
第1044話 前回:ワカフツヌシ:出雲と台与(10)では、「ワカフツヌシは牛飼神とされています。」と書きました。 風説ではワカフツヌシは、牛を飼育する技術に長けている牛飼神として信仰されており、現在の出雲大社本殿には和加布都努志命(ワカフツヌシ:若布都主)と耕牛の神像が心御柱の側に祀られています。日本では牛が出雲を中心に中国地方で数多く飼育されており、牛飼神とされるワカフツヌシの信仰圏と重なっていることが論じられています。 ~飼牛のすゝめ - 国立国会図書館デジタルコレクション このブログでは、牛はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米のキーワードとしてきました。 ・スサノオ=ウツシコオは牛頭天王として祭られています。 ・頭に角が生えた人=ツヌガアラシヒト=アメノヒボコはウツシコオです。 おそらくウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は戦の時、角(ツノ)のついた兜をかぶっていたのでしょう。 ・事代主=賀茂建角身命(たけつのみ)=八咫烏です。 ~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、 ・先代旧事本紀は、日子寤間命の同
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5月11日読了時間: 5分


ワカフツヌシ:出雲と台与(11)
第1043話 ワカフツヌシは台与 出雲国風土記の秋鹿郡の大野郷条と出雲郡の美談郷条にワカフツヌシなる神が登場します。 ワカフツヌシは、和加布都努志、和加布都怒志、若布都主、若経津主)などと表記されています。布都(ふつ:経津)はウツシコオのことです。 *普都大神の「普都:ふつ」は、経津主神(ふつぬし)の「ふつ」で、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオの事です。 彦太忍信命は、孝元天皇皇子で、武内宿禰の父または祖父とされています。武内宿禰はウツシコオです。日本書紀では「彦太忍信命」、古事記では「比古布都押之信命」と表記されます。これにより布都=経津=太に同じであることが分かります。 経津主神(ふつぬし)=太主=天太玉命=彦狭知=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ=難升米です。~彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神 ワカフツヌシは「若い方の布都(ふつ)主」ということは台与といういうことです。 古事記では建御雷神(タケミカズチ)と経津主神(布都主神)は同様の神らしく 「建御雷之男神またの御名、建布都神、豊布都神」とあります。タケミカズチは台与です。 ~
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5月10日読了時間: 5分


多具・多伎・多久:出雲と台与(10)
第1042話 #アジスキタカヒコネ 出雲国風土記には次のような記述があります。 楯縫郡に、阿遅須枳高日子根(アジスキタカヒコネ)*の后・天御梶日女の命が、多具の村においでになって、 多伎都比古の命をお産みになった。 *阿遅須枳高日子根(アジスキタカヒコネ)は台与です。~第874話:高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与 多伎は、多具(あるいは多久)のことのようです。 多伎都比古の命の御霊代である石神は、日照り続きで雨乞いをした時は、かならず雨を降らせられたといいます。多伎(たき)は、 瀧(たき)を連想させます。 愛媛県今治市古谷に多伎神社(たきじんじゃ)があり「瀧の宮(多伎宮)」と呼ばれています。伊予国内神名帳には「正一位 多伎不断大願大菩薩」とあります。 社殿は頓田川の支流・多伎川の畔にあり、周囲には30基余りの古墳が群集しています。多伎川を遡った山頂近くに川上巌(かわかみのいわお)と呼ばれる磐座があり、奥の院とされる。雨乞いに霊験があると伝えられ、もとはこの磐座信仰に始まると考えられています。 先ほどの石神とは、この川上巌(かわかみのいわお)
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5月9日読了時間: 4分


勝氏:出雲と台与(9)
第1041話 #物部神社 #勝氏 #八束水臣津野命 勝という姓で、すぐ頭に浮かんでくるのは、勝海舟です。私の世代では、座頭市でおなじみの勝慎太郎でしょう。 勝氏(かつ/すぐり)は、日本の氏族、姓のひとつですが、勝氏は百済の帰化人系の氏族といわれ、西文氏(かわちのふみうじ)の末裔で、大和の勝氏は西漢氏の庶家ともいわれています。 また、因幡・讃岐・紀伊・伊勢・駿河では秦氏の同族とされ、秦氏の中には「…勝」と称する氏族があると指摘されています。勝氏は秦氏と同族とする文献もあります。 ~伊藤信博「桓武期の政策に関する一分析(1)」名古屋大学『言語文化論集』26巻2号、2005年、8頁。 近江の勝氏は物部姓の系統と伝わっています。寛政重修諸家譜の勝氏系図では物部尾輿の末裔で近江国坂田郡勝村の勝冠者季時の後裔市郎左衛門時直を祖とするといいます。 物部尾輿は、第989話:羽束物部:物部氏について(8)で登場しており、矢作・倭鍛部・羽束物部*といった箭(弓矢の竹の部分)の製作に関わった氏族と物部氏との密接なつながりが明らかとなっています。物部尾輿や守屋はこれら.
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5月8日読了時間: 5分
邪馬台国 第1001話~第1040話
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5月7日読了時間: 3分


楯縫2:出雲と台与(番外編)
第1040話 前回:楯縫:出雲と台与(8)で書いた茨城県稲敷郡美浦村郷中にある楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は、普都(ふつ)神話の聖地の結び付きから竹来阿彌神社(下記)と関係が深く、往古は信太郡東西の総社として一宮二宮を称し、ともに永和元年(1375年)の円密院寺社供僧等言上状に「庄内第一之惣廟」と書かれています。楯縫神社は信太郡一宮として、旧郡域一帯では筆頭の格式にあり、普都主命*の神輿(みこし)を霞ヶ浦を介して阿彌神社に渡御する古式祭(鹿島神事*)も行っていました。 *普都主命(経津主:ふつぬし)はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米(台代の父親)です。~第589話:彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神 ※楯縫の由来 普都大神は、葦原中国平定の後、木原(茨城県稲敷郡美浦村)で甲楯を脱ぎ、高来里(茨城県稲敷郡阿見町竹来)で登天した。甲楯を脱いだことから「楯脱」の地名が生まれ、後に「楯縫」になりました。社地には「楯脱山」の地名が残っています。 新編常陸国誌は「祭神:彦狭知命*と云伝ふ、郡中東33村の鎮守にして、即本郡の一宮
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5月7日読了時間: 6分


楯縫:出雲と台与(8)
第1039話 楯縫郡(たてぬいぐん)はかつて、島根県(出雲国)にあった郡です。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、出雲市の一部(小境町、坂浦町以西かつ斐伊川、東林木町、西林木町、別所町、唐川町、猪目町より北東)にあたります。 楯縫という固有名詞は、どこかで聞いたことがあります、茨城県稲敷郡美浦村郷中に 楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は、(信太郡木原村)にあります。古名は信太郡一宮。美浦村信太にも同名の楯縫神社があります。 参道は国道125号現道に面していますが、境内は奥まった場所にあります。巨樹林立する樹叢に、長大な参道が通り、奥部に社殿を構えています。境内は茨城県指定自然環境保全地域です。常陸国風土記の信太郡の条の普都神話に描かれています。普都大神*が楯を脱いだ地、すなわち「楯脱(楯縫)」の聖地とされています。 主祭神は、普都主命(普津主神、普都主大神)です。 配祀神は、大己貴命二座、須佐之男命、宇迦魂命二座、皇産靈命、市杵島姫命、熊野加夫呂岐命です。境内案内板では記紀神話における經津主神の事績を紹介し、普津主神、普都
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5月6日読了時間: 5分
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