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地名から読み解く邪馬台国


大々杼(オオド)国と台与~大阪市平野区喜連
古代ロマンへの扉を開く旅へ 皆さん、こんにちは!歴史の不思議にワクワクする日々を送っていますか?今回は、私が最近見つけた、とても興味深い歴史の断片についてお話ししたくて、筆を執りました。なんと、あの有名な倭国の時代に思いを馳せることができる、古代「大々杼国(おおどこく)」の痕跡が、私たちの住む大阪の地にあるようなんです!しかも、その場所は大阪市平野区の喜連(きれ)。なんだか、身近なところに眠る歴史のロマンに、胸が高鳴ってきませんか? 古代の神秘、大阪・喜連に息づく 楯原神社の社記によれば、あの継体天皇も、この「大々杼」という地と深い関わりがあるようなんです。継体天皇は、近江の息長大々杼王(おきながのおおどのおう)の子である彦主人王(ひこうしのおう)と、大々杼の息長沙彌王(おきながのさみのおう)の娘、真若郎女(まわからぬし)の間に生まれたとされています。そして、その誕生の場所が、なんとこの「大々杼郷」の百々石城宮(ももいわきのきゅう)だったとか!だから「大々杼命(おおどのみこと)」とも称された、という記述があるんですよ。なんだか、壮大な物語が目に浮
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2月23日読了時間: 6分


多田銀銅山~猪名川町
多田銀銅山~猪名川町の隠された歴史~ 皆さん、こんにちは! 歴史のロマンを追い求める旅、今回わたしが訪れたのは、兵庫県と大阪府の境に位置する、緑豊かな猪名川町です。この町は、都市近郊にいながらも、大野山のような美しい山々や、猪名川の清らかな源流といった、四季折々の自然を感じられる素敵な場所なんですよ。 さて、この猪名川町には、古くから「多田銀銅山」という、歴史の深淵に触れられる場所があるんです。皆さんは、この銅山について、どれくらいご存知でしょうか? 多田銀銅山は、大阪平野の北に広がる北摂の山並みに、十数km四方にも及ぶ広大な鉱脈地帯として存在していました。ここで本格的な採掘が始まったのは江戸時代の寛文年間からですが、実は、そのルーツはさらに古く、奈良時代にまで遡るという伝説もあるんですよ。なんと、東大寺の大仏様を造るための銅を献上したのが始まりだとか! 想像するだけで、ワクワクしてきませんか? 文献に残る初めての記録は、1037年頃の能勢採銅所設置の記事だそうです。長い年月をかけて、採掘場所や規模、担い手を変えながらも、銀や銅が採掘され続けてい
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2月22日読了時間: 6分


菊理媛神(ククリ姫)と白山信仰
第965話 菊理媛神(ククリヒメ、キクリヒメ)は、加賀国の白山を始め全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)のことです。 菊理媛神を白山比咩神にしたのは、 泰澄です。 霊亀2年(716)に泰澄がは夢の中に非常に気高い女性が現れて私の元へ来なさいと お告げを受けました。白山は泰澄の母親のゆかりの地です。 泰澄は、白山の麓の大野隈苔川東伊野原というところに来宿します。泰澄和尚伝記には苔川苔川は、九頭竜川のことです。苔川は、本来は筥川であった可能性がある。九頭竜川は筥 川という別名を持っておりまして、「筥の渡」という渡し場が現在でも残っています。〒911-0836 福井県勝山市遅羽町 このすぐ近くに平泉寺白山神社があります。そこに今でも泰澄が夢告を受けてやってきて、神が現れたとする泉が残っています。 その平泉寺白山神社の林泉で、白山神の化身である貴女が、自分は妙理大権現と告げます。この平泉寺白山神社は、やがて越前の馬場、中宮と言われます。 泰澄が白山天嶺の禅定、つまり霊山の頂上に登りますと、緑碧池があり、最初九頭竜王が現れます。泰澄が身
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2月21日読了時間: 5分


菊理媛神(ククリ姫)は台与
【歴史の謎】菊理媛神と白山信仰の深淵へ誘います! 菊理媛神(ククリヒメ)と白山信仰:古代の神秘に迫る旅 皆さん、こんにちは!今回は、なんだかワクワクするような、古代の神秘に触れるお話なんですよ。古文書を紐解くように、一緒に歴史の謎を解き明かしていきましょう! 菊理媛神(ククリヒメ)って、どんな神様? 皆さん、「菊理媛神(きくりひめ、くくりひめ)」って、聞いたことありますか? 実は、全国にある「白山神社」で祀られている「白山比咩神(しらやまひめのかみ)」のことなんですよ。私も調べていて、へぇ~!って思いました。この神様が、どうして白山という場所と深く結びついたのか、とっても興味深いですよね。 泰澄和尚と白山比咩神の出会い この白山信仰の根幹には、泰澄(たいちょう)というお坊さんの存在が欠かせません。霊亀2年(716年)、泰澄和尚は夢の中で、それはもう高貴な女性から「私の元へ来なさい」とお告げを受けます。そして、なんとその場所が、お母様ゆかりの地である白山だったというのですから、運命的なものを感じずにはいられませんね。泰澄和尚は、白山の麓にある福
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2月20日読了時間: 6分


菊理媛神(ククリヒメ)~岐阜県可児市久々利
岐阜県可児市「久々利」を訪ねて~菊理媛神(ククリヒメ)の謎に迫る! 古代史の探求者の皆様へ、こんにちは! 今回は、私が最近訪れて、その奥深さにすっかり魅了されてしまった、岐阜県可児市にある「久々利(くぐり)」という地名と、そこにまつわる神様のお話をお届けしたいと思います。歴史の謎や、神話に隠された物語がお好きな皆さんなら、きっとワクワクしていただけるはずです! 菊理媛神(ククリヒメ)~縁結びの神様、その素顔とは? 皆さんは、「菊理媛神(きくりひめのかみ)」、あるいは「菊理媛命(きくりひめのみこと)」という神様をご存知でしょうか?全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)とも同一視される、とても神秘的な存在です。私が特に興味を引かれたのは、古事記に登場する伊奘諾尊(いざなぎ)と伊奘冉尊(いざなみ)の物語での役割です。黄泉の国から逃げ帰った伊奘諾尊が、伊奘冉尊との間に起きた口論を仲裁したのが菊理媛神だと言われています。その賢明な言葉で二柱の神を和解させたことから、「縁結びの神様」としても広く信仰されているんですよ。 ただ、この菊理媛神、
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2月19日読了時間: 7分
邪馬台国 第921話~第960話
第1話~第40話 第41話~第80話 第81~第120話 第120話~第160話 第160話~第200話 第201話~第280話 第281話~第320話 第321話~ 第360話 第361話~第400話 第401話~第440話 第441話~第480話 第481話~第520話 第521話~第560話 第561話~第600話 第601話~第640話 第641話~第680話 第681話~第720話 第721話~第760話 第761話~第800話 第801話~第840話 hidemaru3375.com/post/邪馬台国-第841話-第880話 https://www.hidemaru3375.com/post/邪馬台国-第881話-第920話 邪馬台国地図別目次 邪馬台国 家系図 古代史 人名辞典 第921話: 小野妹子 国書紛失事件 第922話: 邪馬台国は河内湖:長柄船瀬 第923話: 海石榴市・長谷寺
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2月18日読了時間: 3分


北九州と神武天皇(=台与)
遠賀川と古代の謎:神武天皇(台与)はなぜ北九州に? 歴史のロマンを追い求める皆さん、こんにちは! 私が最近、特に興味を惹かれたのは、『地名から読み解く邪馬台国』というテーマで、遠賀川流域と、なんと神武天皇(=台与)との意外な繋がりについて記されたブログ記事です。歴史の霧が晴れるような、そんな発見がありましたよ。 神武天皇が、あの水巻町にいらっしゃった? 記事によると、水巻町のような御牧(みまき)という地名がある場所には、台与(=神武天皇=饒速日)がいた痕跡があるらしいんです。え、神武天皇が?と驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんね。私も最初はそう思いました。 なぜ、神武天皇(台与)が北九州まで来られたのでしょうか? その理由は、ずばり「豊富な地下資源」にあった、と書かれています。特に、銅の産出で有名な香春岳。この「香春(かはる)」という地名自体が、金属、特に銅を意味する「カル」に由来するという説もあるそうです。なんだか、歴史の重みを感じますね。 香春岳の麓にある香春神社や、銅の採掘所があったとされる採銅所。かつて筑豊地域が三池炭鉱で賑わったこと
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2月18日読了時間: 7分


御牧と言う地名あり下流域に水巻町
第961話 「御牧と言う地名あり、下流域に水巻町あり、みまき大橋あり。遠賀川流域です。」 このブログを読んでくださった方より、上記のような情報をいただきました。 これは、このブログの 第13話: 古代史研究者の勘違い ~枚方市牧野 を読まれたからでしょう。邪馬台国は、御牧国(枚方市牧野周辺)であると書いたからです。 水巻町に、みまき大橋があるというこは、水巻は「みまき」と読むことができるので、この福岡県の水巻も邪馬台国であったのではないかと思われるのです。 水巻町は福岡県の北部に位置し、東の北九州市と西の遠賀川に挟まれた南北に細長い町です。かつて石炭産業の町として栄えましたが、炭鉱閉山後は、北九州都市圏内のベッドタウンとして発展をみています。 水巻町には、遠賀川式土器で知られる弥生時代の立屋敷遺跡があり、日本武尊(ヤマトタケル)と砧姫(きぬたひめ)の恋物語が伝わるなど古代ロマンに満ちた町でもあります。 福岡県遠賀郡水巻町立屋敷に八剱神社があります。祭神は、ヤマトタケルと砧姫です。 第十二代景行天皇の御代、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地にて
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2月17日読了時間: 5分


藤原景清と「ひょっとこ」
第960話 前回: 熊襲のボスは、、、:熊襲惣領 では、 宮崎県宮崎市大字生目にある生目神社(いきめじんじゃ)は、「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社として知られており、祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)と藤原景清公を主祭神 で 主祭神に、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜茅葺不合尊の3柱を相殿に祀っています。品陀和気命=応神天皇)=彦火瓊々杵尊=彦火火出見尊=鵜茅葺不合尊が台与であることは、このブログで書いてきました。藤原景清公については後述予定としました。 藤原景清は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武士です。平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったとされています。 藤原景清は、 実在した人物であったようですが、生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されています。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられています。しかし、神社の祭神として祀られるほど立派な人
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2月16日読了時間: 5分


熊襲のボスは、、、:熊襲惣領
歴史の謎に迫る!「襲武媛・豊戸別皇子は台与」説、あなたはご存知ですか?e]です。 今日は、私が最近発見して、思わず「おおっ!」と声が出てしまった、とある古代史の説についてお話ししたいんです。それは、「襲武媛(そむひめ)・豊戸別皇子(とよとべのみこ)は、あの台与(たいよ)ではないか?」という、なんとも刺激的な仮説なんです。 古文書を読み解く面白さ 「奄智(あまぢ)」という言葉から、蘇我氏や秦氏、そして呉の勝(くれのすぐり)といった、古代日本を形作ったとされる有力氏族へと繋がっていく、そんな考察が展開されているんです。驚くことに、旧事本紀(くじほんぎ)や日本書紀(にほんしょき)といった、あの有名な史書に記された記述が、この説の根拠になっているというから、さらに興味をそそられますよね。特に、豊戸別皇子が火国(ひのくに)の始祖であるという記述は、旧来の歴史観を揺さぶるかもしれません。 そして、襲武媛命(そむひめのみこと)。彼女は、熊襲(くまそ)の本拠地があったとされる九州南部の「武姫」を表す女神だとされています。宮崎県日南市にある曹子神社(そうじじんじゃ
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2月15日読了時間: 5分


襲武媛・豊戸別皇子は台与
第958話 前回: 庵治石と石切神社 では、 庵治(奄智)=蘇我氏=秦氏=呉の勝=ウツシコオ・台与と書きました。 その根拠は、 「うち」→「あんち」→ 菴宜(あんち)→巷宜(そが)→蘇我・曽我・素鵞としました。 「うち」 は「うつ:内」の転訛にて、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じ。古事記に木国造の祖 宇豆比古(うづひこ)と見え、景行紀三年条には紀直の遠祖 菟道彦(うぢひこ)と見ゆ。とあります。宇豆比古=菟道彦= ウツシコオ(内色許男命) です。 この 奄智についてもう少し調べてみます。 旧事本紀の「奄智」には、「豊門別命が三島 水間 君、 奄智 首、壮子首、粟(阿波)首、筑紫火別君の祖」であり「櫛角別命が茨田連の祖」だと記録しています。日本書紀では、襲武媛との子・豊戸別皇子が火国別の始祖であるとしています。 襲武媛命は、熊襲の本拠地があった襲国(九州南部)の武姫を表す神様で、曹子神社(宮崎県日南市西弁分)で祭神としてまつられています。景行天皇は熊襲征伐のため日向国(宮崎県)に6年滞在したとされ、その際天皇に付き従
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2月14日読了時間: 4分


庵治石と石切神社
第957話 庵治石(あじいし)という石の名前をご存じでしょうか。庵治石とは、日本を代表する最高品質石材の一つ。香川県高松市庵治町および牟礼町でのみ採掘されています。 庵治石は、石のダイヤモンドとも称され、美しさ、希少性、高い耐久性という特性を持っていることから墓石材や建築資材として国内外で高い評価を受けています。 石清水八幡宮の記録によれば、1339年の再建時に庵治石が石材として用いられています。 おそらく平安時代後期にはすでに加工が始まっていたと考えられます。 景行天皇、日向襲津彦、豊戸別皇子、庵治石 – 古代史俯瞰 by tokyoblog に下記のような記述がありました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 庵治は奄智とも表記されます。旧事本紀の「奄智」に注目してみると、「豊門別命が三島 水間 君、 奄智 首、壮子首、粟(阿波)首、筑紫火別君の祖」であり「櫛角別命が茨田連の祖」だと記録しています。日本書紀では、襲武媛との子・豊戸別皇子が火国別の始祖であるとしています。 茨田連*(九州・彦八井耳)-茨田勝(
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2月13日読了時間: 5分


苅田は、フェリー乗り場
第956話 # 福岡県京都郡 #大阪市住吉区 第949話: 八女津媛は台与~福岡県八女市 で福岡県の八女市のことを書いてから、最近は北九州の記事を書いてきました。 第952話: 媛社神社(七夕神社)~福岡県小郡市 第954話: 神夏磯媛と田油津媛 ~ 福岡県田川市 第955話: 五十迹手(イトデ)と伊都国 ~ 福岡県糸島郡 そして福岡県京都郡に苅田町があることにやっと気づきました。 苅田とは、第619話: 大阪と邪馬台国:苅田(かりた) で、「 天之御影神が、加羅から鉱山技術を持って苅田(十市)にやって来た」とされる地です。 天之御影神は、台与です。~ 第317話: ひょっとこ:火男~天之御影命 福岡県京都郡苅田町馬場には、 宇原神社があり、縁起によりますと、 「遠く神代に御鎮座されたものでありまして、御祭神の彦火々出見尊と豊玉姫尊は海神の宮から御遷りになり日向の神田(苅田)にお着きになられたのであります。神話によると、その時の船が化して島(神ノ島)となり、碇が化して巌石(哮石)となりました。この岩は、潮干の折には上部をあらわしていましたが
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2月12日読了時間: 5分


五十迹手(イトデ)と伊都国
第955話 前回: 神夏磯媛と田油津媛 で書いた 神夏磯媛は、神武天皇*に降伏し、田油津媛は、神功皇后に殺されました。もう一人、神功皇后に降伏した人物がいます。それが 五十迹手(いとで)です。日本書紀では、三人ともに九州の人物として書かれています。 *神武天皇=神功皇后= 神夏磯媛=田油津媛=台与です。 五十迹手は、日本書紀に記載される人物で、筑紫の伊都県主の祖とされています。仲哀天皇8年に筑紫に行幸した天皇を出迎え、伊蘇志(いそし)の名を与えられました。これがなまって伊覩(いと)になったとされています。五十迹手は、天皇の来訪を知り、五百枝賢木を抜き取り、船の舳に立て、上枝には八尺瓊を掛け、中枝には白銅鏡を掛け、下枝には十握剣を掛け、穴門の引嶋に迎えました。この出来事が、伊覩の地名の由来となったとされています。 筑前国風土記逸文では、「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(い
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2月11日読了時間: 6分


神夏磯媛と田油津媛
第954話 福岡県田川市夏吉に若八幡神社があります。祭神は神夏磯媛です。周囲には「夏吉(なつよし)古墳群」という古墳時代の古墳群約40基が築かれています。 若八幡神社の祭神である神夏磯媛については、 第578話: 景行天皇(第12代)と神夏磯姫 で、書いたように、景行天皇が 、熊襲を征伐するために自ら西下し九州に巡幸した際に投降してきたいう女酋とされています。 女酋とは、この地域の統率していた女性のリーダーという意味です。北九州には、もう一人 田油津媛(たぶらつひめ)という 女酋がいます。 田油津媛は、日本書紀に記述されており、山門郡に居たとされる土蜘蛛の巫女女王です。日本書紀では神功皇后により誅殺されたとされています。この田油津媛は、 土蜘蛛のリーダーで 神夏磯媛の子孫とされています。 ~若八幡神社由緒。 福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚とよばれる古墳が残されています。 この 田油津媛は山門(ヤマト)を本拠地としていたため、 邪馬台国の女王:卑弥呼の子孫と見る説もあります。田油津媛の死を以って大和王権は九州を平定し
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2月10日読了時間: 5分


伊支馬は生駒:往馬坐伊古麻都比古神社
第953話 往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)は、奈良県生駒市にあります。往馬大社(いこまたいしゃ)と通称されています。 主祭神は、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神です。 伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神は古代より火を司る神として信仰されており、大嘗祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々当社が献上することとなっています。明仁天皇(現在の上皇)の大嘗祭でもこの往馬大社の火燧木(ひきりき)が使用されています。そのため、往馬大社は、 「火燧木神」とされており、10月第2日曜日の例祭は「火神祭」と呼ばれています。 大嘗祭は、稲作に関わる祭りです。 第486話: hidemaru3375.com/post/神武東征と稲作文化 第483話: 饒速日は稲作の神 で書いたように、台与は日本ので稲作を推進してきました。 そして、第936話: 彦火火出見尊は台与 では、「火は、鉄のことです。台与、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米 は大穴持ち(オオナムチ)=鉱山の経営者です。日本各地で、朱や鉄を採掘を
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2月9日読了時間: 4分


媛社神社(七夕神社)~福岡県小郡市
第952話 福岡県小郡市に媛社神社(ひめこそ*じんじゃ)があります。通称「七夕神社」です。 当社祭神は、「織女神」(しょくじょしん/棚機神・たなばたしん)と「媛社神」(ひめこそしん)で、地元では親しみを込めて「七夕さん」と呼ばれています。 この 媛社神社 の二の鳥居には、「磐船神社」・「棚機神社」と併記した額があります。 *ひめ こそ の「こそ:社」とは神社の意味です。 磐船 神社といえば、私が邪馬台国とする大阪府交野市の 磐船 神社です。この地は、 饒速日との関連が深い場所で、片野物部(交野)の本拠地です。倉治 (クラジ:高倉下)などの地名もあり、台与のホームタウンです。饒速日、高倉下は台与です。 第484話: 台与は饒速日②~交野市倉治 第82話: 高津姫 ~岩船街道 、 第110話: 星の降る町~速玉は饒速日 福岡県小郡市の媛社神社ではこの地は、織物が盛んであったようで、「棚機津女」(たなばたつめ)信仰がありました。それが後に、七夕に由来するようになったとのことです。 この織女神は「万幡秋津師比売命」(よろずはたあきつしひめのみこと)のこと
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2月8日読了時間: 4分


水間氏(2):物部阿遅古連公
第951話 先代旧事本紀の天孫本紀によると、饒速日尊14世孫に「物部阿遅古連公(もののべのあじこのむらじきみ)は水間君(水沼君)らの祖である」とあります。 この 物部阿遅古連公は、 阿遅志貴託日子根神(アジスキタカヒコネ)と同神と見られています。 第874話: 高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与 でも書いたように、アジスキタカヒコネは台与です。 肥前国風土記:基肄郡( 福岡県小郡市) の姫社神社(ひめこそ)の創祀譚では、次のように書かれています。 昔、姫社郡を流れる山道川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であったといいます。「筑前の宗像の郡の 珂是古 に祭らせよ。さすれば凶暴な心はおこすまい」との託宣があった。珂是古は幡を高くあげて風のまにまに放した。その幡は姫社の杜に落ち、夜珂是古の夢に織機類が出てきたので、女神であることを知った。社を建てて神を祭ったところ、災いがおさまった。 *「荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され」とは、荒ぶる神とは、暴れ川(洪水を起こす川)のことで、ウツシ
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2月7日読了時間: 4分


水間氏(1):水沼の県主猿大海
第950話 # 弓頭神社 # 高良玉垂宮 前回: 八女津媛は台与~福岡県八女市 では、次のように書きました。 福岡県八女市矢部村北矢部に八女津媛神社があります。 景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから八女の地名が起こったといわれています。そして水沼の県主:猿大海は、猿田彦= スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) の事としました。 水沼の県主の「水沼:みぬま」 は日本の古代氏族で水間氏(みずまうじ)氏のことです。 日本書紀によれば景行天皇と襲武媛(そのたけひめ)の間に生まれた国乳別皇子(くにちわけのみこ)を始祖とするといいます。国乳別皇子は、神功皇后が新羅を攻めたとされる際に弓頭(もしくは弓大将)として従ったとされ、現在の久留米市三瀦(みずま)にある弓頭神社に祭られています。 弓頭神社は、 三瀦の総社で、高良玉垂宮の元宮ともされる大善寺玉垂宮久留米市域の南、三瀦(みずま)に鎮座しています。「大善寺玉垂宮」は、高良玉垂宮と同じく玉垂命を祀っており
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2月6日読了時間: 5分


八女津媛は台与~福岡県八女市
第949話 第947話: 八面大王と八女大王 では、八面大王=八女大王=台与としました。そして八女大王の「八女」は、九州・福岡県の八女市の事と思われます。 福岡県八女市矢部村北矢部に八女津媛神社があります。 景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから八女の地名が起こったといわれています。近くには吉野ヶ里遺跡があり、 八女津媛は卑弥呼であると主張する人もいます。 水沼の県主猿大海とは、猿田彦= スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米 のことでしょう。 ~ 第596話 : 彦狭知の物語8~猿田彦 第950話: 水間氏(1):水沼の県主猿大海 八女大王は、「八女の大王」の名前から名付けられたもので、これは北九州で6世紀初めに継体帝に滅ぼされた筑紫の君を指すともされています。彼は継体帝から逃れ、安曇族と共に信濃にたどり着き住みついたとされ、その末裔が八女大王であると考えられています。 筑後国風土記:逸文によると、上妻県(かみつやめのあがた:福
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2月5日読了時間: 5分
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