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天一位 大原神社:丹波と邪馬台国(2)

  • tootake
  • 13 時間前
  • 読了時間: 6分

更新日:8 時間前

第1003話


前回:丹波と邪馬台国~兎原で書いた北側に大原神社があります。京都府福知山市三和町大原


田舎の小さな神社かと思っていたら、これが大変由緒のある神社なのです。


大原神社に参詣することは「大原志(オバラザシ)」と呼ばれ、現在でも俳句の季語として使われており、 「をしなべて人の心や大原志 -未得-」(日本大歳時記などとも詠まれ、特に祭礼の当日などには参詣者も多かったようです。 また、元禄時代の浄瑠璃、近松門左衛門の「源三位頼政」の段にも大原志の件があり、江戸時代初期にも名が馳せていたことが伺えます。


祭神は、伊弉冉(いざなみ)尊、天照大神、月弓(つきよみ)尊で、それぞれ台与です。


大原神社の創建は丹波誌によると仁寿二年(852年)3月23日、桑田郡*野々村(現南丹市美山町字樫原)に鎮座、 弘安2年(1279年)9月28日に大原へ遷座、応永4年(1379年)10月13日に社殿が整ったとされています。しかし社伝によると創建は仁寿二年と伝えられ、元宮の大原神社(美山町鎮座)は大化元年(645年)の創建と言い伝えられています。

*丹波国桑田郡(京都府西北部)~桑田姫は台与です。~第508話:桑田皇女と奈具遺跡


遷座については、天児屋根命*が宮地を求めてここ大原山麓の水門の瀬に来られたときに、水底から金色の蛙が現れ、 「私はこの水底に住んで長くこの山を守っており、嶺には白幣・青弊があり、いつも光を放っており、まさに神が鎮座されるべき霊地であります」と頼んだと記されています。

また、遷座のときの様子について、神が黄色い牛*に乗って遷られ、それ故、「お釜さん」の平らな石の上には今でも牛の蹄の跡があると記されています。

*天児屋根命は、ウツシコオ(難升米)です。~第349話:天児屋命はウツシコオ!!

牛=角はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)のキーワードです。


大原神社は「天一位」という社号を持っています。本紀によると、「一乾天の方位に御鎮座成ましまし、此謂を以て其位を尊て天一位大原大明神と社号を崇奉るものなり」 とあります。乾の方位とは陰陽五行の方位で北西の方角にあたり、平安京から北西の方角をさします。


大原神社の御神徳は安産、万物万業、交通安全ですが、特に安産の神様として昔から信仰を集めています。大原神社の境内近くには「大原の産屋」があります。京都府の有形民俗文化財です。産屋は古事記にも登場しています。土台もなく茅葺の切妻だけがポンと置かれたような原始的な建物(天地根元造)で、間口と奥行きがそれぞれ約3mほどの小さな建物です。大原神社のパンフレットには次のように書いてあります。


出産の節は12把の藁(閏年は13把)を敷いてその上に敷物を敷き、出入口に古鎌を魔除として釣り、産婦は7日7夜この産屋に籠り、かつて難産した者が無く、これは神の霊験を事実に依って証明したものであると堅く信じられている。


つまり当地の出産を迎えた妊婦は皆この産屋に7日間籠って出産をしてきましたが、難産した妊婦は一人もいなかった。これは大原神社の神のご加護のお陰と信じられてきました。

この産屋で出産をする風習は、大正時代まで続き、産後3日3夜籠る風習はその後変遷して産後1日1夜籠るようになり、昭和23年ごろまで続いたとあります。


第999話脱解王の神話(1):多婆那国では、下記のように書きました。

新羅の都の東、阿珍浦に着いた。船の中には箱があり、その箱から美しい若者が出てきた。その若者は、倭国の竜城国の出身であるというのです。~我本龍城國人

倭国の竜城国は、三国史記では、脱解王は倭国の多婆那国で生まれたとしています。

~脱解、本多婆那国所生也

そして脱解は台与であるとした。多婆那国が丹波なら台与は丹波で生まれたことになります。産屋の風習が残っているのは、台与がこの地で生まれたからではと思ってしまいます。


大原神社の本殿内には、非公開の狼の狛犬があります。この狛犬は、狼の姿を模したもので、威厳のある立派な像です。また、社務所の近くには、狼を模した狛犬が置かれています。関東の三峯神社では、神の使いとして狼(御狗)像が祀られていますが、大原神社は

で関東の三峯山よりも狼信仰は古いと言われています。


第755話:鳴神山とヤマトタケル(=台与)では、「三峯神社(埼玉県秩父市)は、日本武尊が東征の際に山犬(狼)に導かれたという伝承を持ちます。狼は境界の守護者、山の神の使い、水源地の守り神としての象徴性を持ちます。」と書いています。


大原神社には、大原神社本紀という大原神社の縁起を書き綴ったものが5点残されており、大原神社が安産の神として信仰を集める所以として、 「邪那岐と伊邪那美の神は天下万民を生み出した父母であるのだから、天下太平・国土安隠・宝祚長久・五穀能成・万民豊饒を守護すること、 他所の神社に勝り、天下万民を生み出した神なので、ことに婦人の安産を守る神なのである」と記されています。


ヤマトタケルもイザナギ、イザナミも台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与


※天一位 大原神社は台与と深くかかわっている神社であると思われます。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

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3件のコメント

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tootake
11時間前
5つ星のうち5と評価されています。

https://www.kyoutabi.com/ayabe/asusugi.html#google_vignette

「野田川」下流域を起源とする「加悦谷」。「丹後王国」発祥地とされ、その下流郊外に鎮座する社。◎当地はかつて「物部郷」と呼ばれ、物部氏が本貫としていたようです。後に「石川村」と呼ばれるようになったとのこと。

◎ご祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遅命。蘇我石川宿禰命とする説もあるようですが、少なくとも「延喜式神名帳」編纂時には物部神社であり、その当時は宇麻志麻遅命としていいかと思います。

◎祭事には神楽・獅子舞・太刀振り・笹囃躍の行列が大宮神社(当社南方2kmほど)まで巡行するとか。そのまた南方200mには矢田部神社が鎮座、こちらも社名から物部氏が奉斎したであろうと考えられます。さらにそこから南西2kmほどに須代神社が鎮座。周辺から銅鐸や弥生時代の住居跡が発見されています。物部氏を銅鐸氏族と考えるのであれば、こちらも関連することになるのでしょうか。


オオミヤノメ - Wikipedia 大宮売神社 - Wikipedia

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tootake
13時間前
5つ星のうち5と評価されています。

歴史の探求者の皆様、こんにちは!

今回は、丹波の地、京都府福知山市にひっそりと佇む「大原神社」の不思議な魅力に迫ってみたいと思います。一見、田舎の小さな神社に見えるかもしれませんが、実はここは、ただの神社ではなかったんです。歴史の奥深くに触れる、そんな発見がきっとありますよ。

丹波に息づく、大原神社の神秘

歴史に刻まれた由緒ある場所

この大原神社への参詣は、古くから「大原志(オバラザシ)」と呼ばれ、今でも俳句の季語として使われているんですよ。昔から、特に祭礼の日などには多くの参拝者で賑わっていたそうです。江戸時代初期にも、近松門左衛門の浄瑠璃『源三位頼政』でその名が詠まれるほど、広く知られていた場所なのです。こうした歴史の中で、この神社がどれほど人々の信仰を集めてきたか、想像するだけでワクワクしますね。

邪馬台国との繋がりを探る

大原神社の祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、そして月弓尊(つきよみのみこと)。この月弓尊というのは、以前のブログでも触れたように、台与(とよ)とも同一視されることがあるのです。そう、あの邪馬台国の女王、台与のことかもしれません!

神話と歴史が交差する場所

伊弉冉尊や天照大神といった日本の神話に登場する重要な神様、そして邪馬台国の女王とも関係が深いとされる台与。これらを祀る大原神社には、古代史、特に邪馬台国研究にとって、解き明かされるべき多くの謎が秘められているように感じます。こうした繋がりを考えると、この神社の神聖さが一層際立ちますね。


創建と遷座の記録

丹波誌によれば、大原神社の創建は今から1170年以上も前の仁寿二年(852年)3月23日。当初は桑田郡の地に鎮座していましたが、弘安二年(1279年)9月28日に現在の大原の地へと遷座し、応永四年(1379年)10月13日には社殿が整えられたとされています。長い年月を経て、その姿を変えながらも、歴史の重みを今に伝えているのです。

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ゲスト
13時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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