浮穴・浮穴直千継・片塩浮孔宮
- tootake
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第994話
第991話:七拳脛命はナガスネヒコ(長脛彦)では、「古事記:景行天皇の条に七拳脛命(ななつかはぎのみこと)なる人物が登場します。この人物が、久米氏の祖のようです。
七拳脛命の孫とされる猪石心足尼(いいしこりのすくね)が系図は伝わっていませんが久米氏の嫡流とされています。」と書きました。
ところが、伊予国の人、浮穴直千継らの先祖が大久米であるとする史料(続日本紀)があるのをみつけました。
続日本後紀巻三承和元年(八三四)五月~伊豫國人正六位上浮穴直千繼。大初位下同姓眞徳等賜姓春江宿祢。千繼之先。大久米命也。
日本書紀:神代下天孫降臨章には、大伴氏の遠祖の天忍日命が、来目部の遠祖である天槵津大来目(天津久米命)を率いて瓊瓊杵尊を先導して天降ったと記されており、新撰姓氏録左京神別中の大伴宿禰条にも同様の記述があります。このことから、久米直・久米部は大伴氏の配下にあって軍事的役割を有していたと考えられています。
浮穴直と久米直は、同一人物ではないでしょうか。
伊予の久米部は、山部連と結びつく伝承を有することは、第991話:七拳脛命はナガスネヒコ(長脛彦)で書きました。
山部小楯はこのブログでは何度も書いているように台与です。~第978話:オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞 第447話: 小楯姫は台与:小楯は枚方
山部小楯はオケとヲケを見出したことで山部の姓を賜ったとされています。久米族の山部連は山部の総領的伴造(とものみやつこ)です。浮穴直=久米直=山部小楯=台与であると考えられます。
愛媛県の地名「浮穴郡」の「浮穴」について、大日本地名辞書には次のように書かれています。
羅漢窟:この岩洞を一書に浮穴郡の起因なりと録せるに因り、近年改めて浮穴村の名を立つ、浮穴は河内国より移せる号なれば、この岩洞に関係なし。
羅漢窟という鍾乳洞が「浮穴」という地名の語源だという話があり、河内国から移住してきた人の名に因るものであるという説があります。
続日本後紀巻三承和元年(八三四)十一月には、「女孺河内國若江郡人浮穴直永子賜姓春江宿祢」とあります。
河内國若江郡とは、八尾市、東大阪市のことで、饒速日(ニギハヤヒ)とウマシマジを祀る石切神社のあるところです。
大和国葛下郡には、浮孔(うきあな)という地があります。石園坐多久豆玉神社(いわぞのにいます-たくむしたまじんじゃ:奈良県大和高田市片塩町)の境内には、第3代安寧天皇の「片塩浮孔宮址」石碑が建てられおり、この周辺だったのではないかとみられています。「片塩」という地名がすぐ側に残り、「浮孔」という地名も比較的近い所に残ります。
第568話:安寧天皇(第3代)~大阪市西成区玉出では、安寧天皇は台与であるとしました。
新撰姓氏録には「左京 神別 天神 浮穴直 移受牟受比命五世孫弟意孫連之後也」とあります。
この移受牟受比命については不明なものの、安産霊神、つまりカグツチ神ではないかという説もあります。カグツチは台与です。
第693話:第693話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(3)~広瀬神社 (埼玉県狭山市)
第703話:第703話:花窟神社(はなのいわやじんじゃ)を考える
第847話:第847話:hidemaru3375.com/post/台与の生誕の地は?
※これらのことにより、浮穴直=久米直=山部小楯=台与=移受牟受比命=安寧天皇=台与であることが分かります。
肥前国風土記にも「浮穴」が出てきます。→次回に続く(予定)
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
石園座多久虫玉神社は、通称竜王宮として地元住民からは篤い信仰を集めています。
竜王=竜神は台与です。←後述予定




歴史の謎を解き明かすのは、まるで宝探しのようなワクワク感がありますよね。特に、邪馬台国や古代の人物にまつわる話は、私たちを惹きつけてやみません。今回は、そんな古代史のロマンを掻き立てる、ある興味深い発見についてお話しさせてください。
『続日本後紀』が明かす、意外な系譜
以前、七拳脛命(ななつかはぎのみこと)が長脛彦(ながすねひこ)ではないか、そしてその子孫が久米氏の祖である猪石心足尼(いいしこりのすくね)につながるのでは、というお話をしたことがありました。これは『古事記』の記述からの推測でした。
ところが、今回「続日本後紀」を調べていたところ、伊予国(現在の愛媛県あたり)の人である浮穴直千継(うけあのあたைச்つぐ)という人物の先祖が「大久米命(おおくめのみこと)」であると記されているのを発見したんです!これは、私にとって非常に驚きでした。
久米氏と大伴氏の、古くからのつながり
『日本書紀』や『新撰姓氏録』によれば、大伴氏の遠祖である天日命(あまのひのみこと)が、久米部の遠祖である天津久米命(あまつくめのみこと)を率いて神武天皇の建国を助けたとされています。このことから、久米直(くめのあたい)や久米部(くめべ)は、大伴氏の配下として軍事的な役割を担っていたと考えられているんですよね。
ここが今回のポイントなのですが、浮穴直千継の先祖が「大久米命」であるという記述は、彼らが久米氏や、さらには軍事氏族として力を持っていた大伴氏と、何らかのつながりがある可能性を示唆しているのではないでしょうか。
「浮穴直」と「久米直」、もしかして同じ人物…?
「伊予の久米部」と「山部連」の伝承も考えると、浮穴直千継と久米直が同一人物、あるいは非常に近い関係にあったのではないか、と想像が膨らみます。古代の氏族制度は複雑で、時代や地域によって呼び名が変わったり、有力な氏族の配下になったりすることも少なくありませんでした。
この発見は、古代史、特に邪馬台国やその周辺勢力に関心のある方々にとって、新たな視点を提供してくれるかもしれません。歴史の断片をつなぎ合わせ、そこに隠された物語を読み解くのが、私たちの探求心を満たしてくれるのですよね。
<台与シリーズ>
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