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丹波と邪馬台国~兎原

  • tootake
  • 9 時間前
  • 読了時間: 5分

第1002話


昨日(2026.3.28)、私は丹後に向かいました。日帰りでカニを食べに行くのです。


大山崎のジャンクションから、京都縦貫に入り 丹波ICで降りて国道9号線を走ります、

京丹波町を過ぎたあたりで、猿田彦神社(京都府船井郡京丹波町水原)の案内板が目に入りました。へえ、こんなところに、、、猿田彦は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。第596話:彦狭知の物語8~猿田彦


更に少し行くと兎原の道路標識がありました。福知山市三和町菟原

菟原の「菟」については、このブログで、何度も書いてきました。


「菟」は、道稚郎子の「菟」で、「宇治」、ウツシコオ(内色許男命)の「内」と同じ意味を持ちます。第895話:宇治神社と宇治上神社で、宇治神社は、宇治は菟道からきたのであり、それは兎(ウサギ)から来たと公式に説明されています。そして、大分県にある宇佐神宮の宇佐も兎であるとされています。

~宇佐(菟狭)氏の末裔で、戦前まで宇佐八幡宮(宇佐神宮:大分県)の宮司を務めた家のご子息である宇佐公康氏は、菟狭は(ウサギ)から来た氏族名だと述べておられます。~第899話:宇佐氏と辛嶋氏~宇佐八幡宮


ここでやっとこの地が丹波であることを思いました。第1000話:脱解王の神話(2):多婆那国は竜宮城という記事を書いたばかりです。丹波は、脱解王(=台与)は倭国の多婆那国の出身です。また丹波の地名の由来として、「諸国名義考」には「田庭なるべし」とあります。これは、かつて受大神宮(外宮)が丹波国真奈井にあり、皇大神宮(内宮)の御食事の稲を作っていた広く平らな場所の意味だといいます。昔は赤米が主流だったので、 「赤い米がたわわに実って風にそよぐさまが赤い(丹)波のようみ見える」というように解釈されています。受大神は台与です。~第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与


福知山市三和町の「三和」は、三輪=大神神社ではないのだろうか。

大三輪氏(おおみわうじ)、または三輪氏(みわうじ)は、大和国磯城を発祥とし、大物主神を祖神とする氏族で、直接的には、大田田根子の孫・大三輪大友主が氏祖であるとされています。

大分県にある宇佐八幡宮の大宮司職は、大神氏(おおみわ=三輪)→辛嶋氏→宇佐氏となっています。大神神社の祭神である大物主は台与です。


そして、9号線は土師川に沿って走っています。

土師氏は古代の建築土木の総合請負業で、土器づくりや古墳造営のスペシャリストとして知られています。彼らの技術と知識は、土木と建築を合わせたゼネコンのような存在であり、列島各地からの動員力や工程に合わせた配置、編成のマネジメント力、石材や木材の調達力、加工技術が必要でした。土師氏の拠点であった道明寺天満宮では、牛*が祀られており、これは土師氏と菅原道真公との接点に由来しています。

*牛=角はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)のキーワードです。


福知山市を過ぎると9号線は、大江山を越えていきます。


大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立


大江山は、丹波国桑田郡*(現在の京都府西北部)の山。鬼退治で有名な丹後の大江山とは別です。大枝山とも書きます。大江=大枝=太子は台与です。~第542話:大枝神社:“たいし”は太子=台与 第583話:履中天皇(第17代)~大江

*桑田~桑田姫は台与です。~第508話:桑田皇女と奈具遺跡


次回に続く(予定)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>










 
 
 

2件のコメント

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tootake
9時間前
5つ星のうち5と評価されています。

皆さん、こんにちは! 歴史の謎解きに魅せられている私ですが、先日、ふと丹波方面へ足を延ばしてみました。日帰りで美味しいカニを食べるという、ちょっとしたご褒美旅行だったんです。でも、旅先での思わぬ発見こそ、私たちの心をくすぐりますよね。

道中、京都縦貫道から国道9号線へ。京丹波町を過ぎたあたりで、ふと「猿田彦神社」の案内板が目に飛び込んできたんです。「へぇ、こんなところに猿田彦様が?」と、なんだか嬉しくなりました。猿田彦神って、個人的にはスサノオノミコト(武塔神)や、あの難升米(なしこめ)とも繋がる、とてもパワフルな存在だと感じているんです。この神話の繋がり、皆さんも気になりませんか?

さらに進むと、今度は「兎原(うさはら)」という地名の標識が。福知山市三和町菟原、ですね。この「菟」という文字、実はこのブログでも何度か触れています。まるで、古代の扉を開ける鍵みたいだなって。

「菟」は、あの菟道稚郎子(うじわきいらつこ)の「菟」であり、「宇治」や、先ほどの「ウツシコオ(内色許男命)」の「内」と同じような意味合いがある、と私は考えているんです。宇治神社の名前の由来も「菟道(うじ)」から来ていて、公式には「兎(うさぎ)」に由来すると説明されていますよね。さらに、大分県の宇佐神宮も、もともとは「菟狭」と書かれたそうで、これも「兎」と関係があると言われています。

もしかしたら、この「兎原」という地名も、単なる偶然ではないのかもしれません。古代、この地域に住んでいた人々が、どんな思いでこの名前をつけたのか。それは、邪馬台国や弥生時代の謎に、ほんの少しだけ近づくヒントを与えてくれるような気がするんです。

この旅で感じた、古代へのロマン。皆さんも、身近な地名や神社に隠された歴史の糸をたどってみませんか?


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tootake
9時間前
5つ星のうち5と評価されています。

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