豊浦~豊浦宮・豊浦大臣
- tootake
- 7月5日
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第734話 #仲哀天皇 #蘇我蝦夷 #台与 #邪馬台国
「豊」の付く地名は、台与(豊)と関係しているのではないかと思って日本各地の豊の付く地名を探っています。前回:鬼子母神は台与?~東京都豊島区では、豊島区、前々回は、豊川でした。~豊川稲荷:吒枳尼天(だきにてん)~愛知県豊川市
<豊の地名がつくこれまでの記事>
・豊郷(滋賀県):第553話~阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食
・豊里(大阪市東淀川区):第542話:大枝神社:“たいし”は太子=台与
:第622話:大阪と邪馬台国:大桐(だいどう)・豊里
・豊川(大阪府茨木市):第718話:川端康成~茨木市の春日神社
・豊島(武蔵国豊島郡芝崎村:東京都千代田区外神田):第733話:神田明神は台与?
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は、山口県下関市にあります。
長府(城下町エリア)のほぼ中心に位置し、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされています。
「忌宮神社」の「忌(いみ)」は、現代では「忌み嫌う」などネガティブな意味で使われがちですが、神社名における「忌」は本来、「斎(い)」と同義で、神聖で清浄な状態を意味する言葉です。
この「忌」は、神事を行う際に心身を清め、俗世から離れて神に仕える「斎戒(さいかい)」の精神を表しています。つまり「忌宮」とは、**極めて神聖で清らかな宮(神社)**という意味になります。
仲哀天皇*は、熊襲の征討の際に行宮豊浦宮を建てたとされています。三代実録によれば、秦の始皇11代の孫:功満王*(こまおう)が渡来して日本に住みつき、珍しい宝物である蚕(かいこ)*の卵を奉献したとされ、豊浦宮(現在の忌宮神社)が蚕種渡来の地とされています。また、筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝えられています。
*仲哀天皇は、台与です。~第580話: 仲哀天皇(第14代)とトヨ(豊)
*蚕は秦氏の専売特許です。秦氏が創建したとされる木嶋坐天照御魂神社は、蚕の社(かいこのやしろ)と呼ばれています。~第499話:木嶋坐天照御魂神社と日神の託宣
*功満王は仲哀天皇8年に来朝、さらにその子の融通王が別名・弓月君であり、応神天皇14年に来朝したとされています。渡来後の弓月君の民は、養蚕や織絹に従事し、その絹織物は柔らかく「肌」のように暖かいことから波多の姓を賜ることとなったのだという命名説話が記されています。
豊浦宮に関する話は、作り話なので三韓征伐の話も史実として信用できないのですが、葛城襲津彦の新羅征討に登場する沙至比跪(さちひこ、襲津彦)は実在する人物であることは、第328話:沙至比跪(サチヒコ)で述べています。沙至比跪=葛城襲津彦=ウツシコオ(内色許男命)です。功満王もウツシコオだと思われます。
ところで豊浦という地名は、近畿にもあります
・大阪府東大阪市にも豊浦町があります。〒579-8031
この豊浦町の近くに枚岡神社があります。藤原氏の神社である奈良県の春日大社は、東大阪市出雲井町にある枚岡神社のをそっくりそのままコピーした神社です。枚岡神社は、「元春日」と称しています。枚岡神社の祭神である建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)は台与で、経津主命(ふつぬしのみこと)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~第441話:タケミカヅチは台与!!
・奈良県高市郡明日香村にも豊浦という地名があります。〒634-0107
ここには、蘇我蝦夷、入鹿の父子の邸宅があった場所とされている甘樫丘のあるところです。このブログでは、蘇我入鹿=台与としています。入鹿の首塚もこの豊浦・甘樫丘の付近にある飛鳥寺の境内にあります。
第713話:国譲りの真相~蘇我蝦夷は台与2
・蘇我蝦夷の別名は、豊浦大臣(とゆらのおおおみ)です。蘇我蝦夷も台与でしょう。
・冒頭で書いた山口県下関市にある忌宮神社の祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
です。こられの人物はみな台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与
忌宮神社の境内には、若宮社:仁徳天皇、高良社:地主大神・武内宿禰も祀られています。
仁徳天皇も台与です。~第582話:仁徳天皇(第16代
高良社の武内宿禰はウツシコオです。~第495話:高良玉垂命(高良大社)と武内宿祢
これらの事により、豊浦という地名は、台与、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と関係が深い地でありさらに、蘇我蝦夷、入鹿とも濃厚な関係がある地であることが分かります。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




イタケルの神話
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
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