菱(ひし)に乗ってきた竜神さま
- tootake
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第1169話 #若宮八幡宮
大阪府寝屋川市石津中町に若宮八幡宮があります。若宮八幡宮は各地にあり、仁徳天皇もしくは、応仁天皇を祀っています。
寝屋川市石津中町の若宮八幡宮では、応神天皇と龍神を祀っています。
応神天皇は、台与です。~第1168話:応神天皇は台与:AIとの対話(16)
龍神も台与です。~第1143話:竜王山:龍は台与
若宮の「若」とは、台与のことです。
・ワカフツヌシの「ワカ」は「若」で、「若い方の布都(ふつ)主」ということは台与といういうことです。~第1043話:ワカフツヌシ:出雲と台与(11)
・利歌彌多弗利(ワカミタフリ)は「若」と解されることから、阿毎多利思比孤(アメノタラシヒコ)の太子である利歌彌多弗利は、台与のことです。~第919話:東夷伝と用明天皇
この若宮八幡宮は二十箇水路(にじっかようすい)と寝屋川導水路の間に位置しています。
この石津の地は古来より水と深く関わってきたことを物語る昔話が伝わっています。
田植えがすんで十日。稲はすくすくと伸びはじめました。「今年は豊年まちがいなし」村人の心ははずんでいました。ところが、その翌日から天気があやしくなりました。
その夜からものすごい大雨になりました。横なぐりの雨が戸をたたきつけています。「これでは稲が浸かってしまう」村人は心配しはじめました。次の日も雨は止みませんでした。そして、夕方には広い田んぼはすっかり水浸しになって、青々としていた稲田は水の中に沈んでしまいました。
「菱がどんどん流れてくるよ」その時、誰かがいいました。広い湖のような水面を菱が、びっしりと肩を組んで流れてきます。その菱の上に大きな蛇のような生き物が乗っかっています。それは今までに見たこともない異様な姿でした。「竜神さまだ」村人たちはびっくりして家へ逃げこみました。竜神さまは、するすると地上にあがりました。そして身体をぐるぐるっと丸めると、きっと空を見上げました。それは威厳にみちた姿でした。その時、今まで空一面に立ちこめていた雨雲の一部が、急に真黒な雲に変わりました。そして烈しい勢いで垂れ下がってきました。竜巻のようにぐるぐると舞いながら。黒雲が竜神さまを包んだと思うと、そのまま、すっと空へ舞い上がっていきました。
この菱とは、水害を乗り越える「生命力と再生」の象徴とされています。
物語の中で、菱は大雨による洪水で村が水没した際に「びっしりと肩を組んで流れてくる」様子で登場します。水面に一面に広がり連なる菱は、過酷な自然災害の中でも途絶えない強い生命力を表しています。また、竜神を乗せて運んできた後に雨が上がり、稲田が蘇ったことから、水害という災厄の後に訪れる「再生や恵み」の象徴でもあります。
水害が収まった後、菱の実からは「白くておいしい実(恵み)」が取れるようになりますが、同時に「鋭いとげ(危険)」も持っています。この「おいしいが、踏むと刺さって血が出る」という菱の実の性質は、人々に豊かな実りをもたらす一方で、時に暴風雨となって害を及ぼす「自然の二面性」をそのまま象徴していると考えられます。
物語の後半では、竜神をお祀りしたことで「菱の実を踏んでも膿まなくなった」と語られます。菱の実の鋭い刺は古くから魔除け(刺で災いを退ける)の意味を持つことが多く、神の乗り物として現れた菱は、村人を災厄から守る「神聖な霊力・庇護」の象徴へと変化しています。
民話における菱は、単なる水草ではなく「恐ろしい自然災害の後に残された、生きるための糧(恵み)であり、神の加護を感じさせる強い生命力」を象徴しているといえます。
菱(ヒシ)は「低湿地の水田稲作が成立する以前から、人々が利用していた水草系食料資源」であり、弥生〜古代の水田文化の成立と深く連動しています。 とくに中国・長江下流域の河姆渡・良渚・田螺山遺跡での研究により、水田稲作が発達した低湿地では、ヒシが稲と並行して大量に利用され、管理栽培へ移行したことが明らかになっています。 これは日本列島の縄文〜弥生の水田成立過程とも構造的に一致します。
弘前大学の最新研究(2024)によれば、ヒシは6000年前から人為的管理が進み、種子が大型化したことが確認されている。 とくに、田螺山遺跡(長江下流の低湿地)では大量のヒシ遺物が出土し、果肉の炭化物まで残るほど利用されていました。
ヒシは「沼・湖・クリーク」などの停滞水域に繁茂し、弥生水田も同じく「低湿地の水管理技術」から発達したものです。ヒシ利用は水田稲作の成立と環境的に連続しています。
つまり、ヒシのような水草系資源の管理が、のちの水田稲作の技術的基盤となったのです。
野生ヒシの採集→ 湿地の水草資源の管理→ 水位調整・水路整備→ 稲作水田の成立(弥生期)
三方五湖の鳥浜貝塚でヒシが出土し(縄文晩期)、北海道アイヌ絵巻にもヒシ採集の描写があります。弥生初期水田の復元研究(橿原考古学研究所)では、水田は湿地植生(抽水植物・水草)と共存する環境で成立したことが示されています。
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<追記>
大阪府寝屋川市石津という地は、仁徳天皇が茨田堤を築いた際に、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、茨田堤の工事が難渋した。」とあり、その2か所とは、コワクビの断間(大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市太間)です。このコロモコの断間(寝屋川市太間)は、若宮八幡宮のある寝屋川市石津のすぐ近くです。
このブログでは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米と台与は、日本各地の暴れ川(洪水)を起こす川の改修工事を行い稲作を促進していったと書き続けています。
そして、寝屋川市石津にある若宮八幡宮のすぐ近くに淀川が流れています。
第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2では、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、また洪水を防ぐために堤防(茨田堤)作り、水路を開き米作りを助けたとは、これがスサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治です。トヨはスサノオ(津田の王)が手掛けた事業を引きつぎ、茨田堤と堀江を完成させたのです。と書きました。
若宮八幡宮の目の前の道は鳥飼大橋に繋がっています。
鳥飼という地は、物部氏関連のある地です。
大阪府摂津市鳥飼は、摂津国嶋下郡鳥飼(鳥養)で 捕鳥部万(ととりべのよろず)の伝承があります。物部氏と鳥を扱う部民(鳥飼部・捕鳥部)の関係において最も有名な根拠とされるのが、日本書紀に登場する捕鳥部万の存在です。捕鳥部万は、物部守屋の乱において、物部守屋の資人(側近・従者)として最期まで物部側に立って奮戦した人物です。
「捕鳥部(ととりべ)」や「鳥養部(とりかいべ)」といった鳥の捕獲・飼育に携わった職業部民が物部氏の従属下に置かれていたことを示す例として挙げられ、鳥飼の地に居住していた部民も物部氏の影響下・勢力圏にあったとする説の背景になっています。
鳥飼が属する摂津国嶋下郡(北摂地域)や淀川水系は、古くから物部氏やその同族・部民の拠点が多数点在していた地域です。
鳥飼の目と鼻の先である茨木市・高槻市一帯には、物部氏系の氏族や新屋坐天照御魂神社など物部氏(饒速日命)を祀る古い神社が集中しています。
鳥飼周辺の淀川治水・水運や馬の飼育(後の「鳥養牧」)などの技術的・軍事的な基盤にも、物部氏およびその配下の部民が関わっていたとする見方があります。
歴史学的に「鳥飼」という地名は、朝廷に献上する鳥を飼育・捕獲していた官営の職能集団「鳥養部(鳥飼部)」に由来するというのが通説です。その鳥養部が物部氏の伴造(配下)として仕えていた時期があることから、「鳥飼の地に物部氏(またはその影響下の部民)が居住・支配していた」とする説や考察が成り立っています。
物部氏が台与の警護隊であることは、「物部氏について」というシリーズで述べてきました。
第979話:物部氏について(1):二田物部
第980話:物部氏について(2):贄田物部~鞍手
第981話:物部氏について(3):贄田物部~鞍手(2)
第982話:物部氏について(4):贄田は熱田
第983話:物部氏について(5):赤間物部
第984話:物部氏について(6):匝瑳物部
寝屋川市については、今までに下記のような記事を書いています。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




あなたの研究スタイル(一次史料の照合・地名語源・氏族ネットワーク・古代交通史の総合的再構成)に合わせて、閲覧中の記事(菱に乗ってきた竜神さま)を 構造的・批判的に評価します。
◆総評(結論)
この記事は、寝屋川石津の竜神伝承(菱に乗って来る竜神)を、淀川治水史・物部氏ネットワーク・台与=応神天皇モデルへ統合する試みであり、あなたの「淀川王権・台与モデル」の体系の中で、 “水害=暴れ川の制御者としての台与” を補強する事例として位置づけられています。
ただし、 ①民話の象徴性(菱=生命力・再生)と歴史的治水事業(茨田堤)を同一線上に置く点 ②若宮八幡宮の祭神構造を台与モデルに強く寄せる点 には、史料批判的に慎重な検討が必要です。
◆1. 民話「菱に乗ってきた竜神」の扱いの評価
記事は民話を次のように解釈しています:
菱=生命力・再生
竜神=水害を鎮める神
菱の実の「恵み/危険」=自然の二面性
竜神を祀ることで「菱の刺が膿まない」=神の庇護
この解釈は民俗学的には妥当で、 「水害 → 竜神 → 再生」という典型的な水神信仰の構造を踏まえています。
しかし、記事はここから一気に 「竜神=台与」「菱=台与の治水事業の象徴」 へと接続します。
●批判的評価
民話は後世の再構成が多く、 治水事業の記憶が神格化されることは確かにあるものの、 「菱に乗る竜神」が台与の具体的事績を反映していると断定するには、 中間史料(中世縁起・神社縁起・地名伝承の層)の検討が不可欠です。
現状では、 民話 → 台与モデル の接続がやや跳躍的で、補強が必要です。
◆2. 若宮八幡宮(寝屋川石津)の祭神構造の扱い
記事は若宮八幡宮の「若」を台与と解釈し、
応神天皇=台与
龍神=台与
ワカフツヌシ=台与
利歌彌多弗利=台与
と、「若」表記を台与の別名体系として統合しています。
●批判的評価
あなたの研究体系では「若=台与」モデルは一貫して提示されていますが、 一般的な古代語源論では「若」は
若年
新しい
下位の(若宮=本宮に対する支宮) など複数の意味層があり、 必ずしも台与の固有名と直結するわけではありません。
ただし、 若宮八幡宮が淀川水系の治水要地に位置すること 応神=八幡神が治水・農耕と結びつくこと を踏まえると、 台与モデルとの接続は「仮説としては成立しうる」レベルです。
◆3. 茨田堤・寝屋川水系との接続
記事の最も強い部分はここです。
茨田堤の決壊地点(コロモコ断間)が石津近く
石津は古来より水害地帯
若宮八幡宮の前は鳥飼大橋へ続く
鳥飼=物部氏の拠点
淀川治水=スサノオ/難升米の事績
それを継いだのが台与
●評価
これはあなたの研究の核である 「淀川王権=台与の治水ネットワーク」 を補強する非常に強い地理的連関です。
特に、 鳥飼(物部氏)—石津(竜神)—茨田堤(治水)—寝屋川(暴れ川) というラインは、 古代の治水・祭祀・氏族ネットワークを再構成する上で重要です。
ここは記事の中で最も説得力が高い部分です。
◆4. 物部氏との連結
記事は鳥飼部・捕鳥部万を通じて 物部氏=台与の警護隊 というあなたの既存モデルを補強しています。
●評価
物部氏が淀川水系に強い拠点を持つことは確かで、 鳥飼・茨木・高槻の分布は史料的にも裏付けがあります。
ただし、 「物部氏=台与の警護隊」 という結論は、 あなたの体系内では整合的だが、一般史学では未確立の仮説です。
◆5. 記事全体の構造的評価
●強み
地名・民話・治水史・氏族ネットワークを統合する構成
淀川水系の治水史を中心に据える一貫性
物部氏の地理的分布との接続が強い
台与モデルの体系的拡張として整合的
●弱点
民話 → 台与の接続が象徴的で史料層の検討が不足
若宮八幡宮の「若」=台与の語源論は慎重さが必要
応神=台与の同定は記事内では説明が省略されている
竜神=台与の同定も説明が薄い
◆6. あなたの研究体系への位置づけ
この記事は、 「淀川王権=台与」モデルの“水害・治水・民話”の層を補強する事例 として非常に有用です。
特に、
石津の竜神伝承
菱の象徴性
茨田堤との地理的連関
物部氏の鳥飼ネットワーク は、あなたの研究の「地名・氏族・治水」の三本柱に合致します。
◆最後に(次の一手)
あなたの研究スタイルに沿うなら、次に検討すべきは:
●① 石津の竜神伝承の「成立年代」
民話がいつ成立したかを追うことで、 治水事業との連関の強度が測れます。
●② 若宮八幡宮の祭神変遷
応神・龍神の組み合わせがいつ成立したか。…
「長屋王家木簡」の”若翁”について - 日本古代史ノート
<台与シリーズ>
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