源融と小野篁は同一人物??
- tootake
- 7 時間前
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第1167話
前回:源融(みなもと の とおる)では、
源 融は、兵庫県尼崎市に鎮座する琴浦神社などいくつかの神社で神として祀られています。風流な風情や情景そのものを楽しむ趣味(風雅)のために、多くの人々をこき使った
源 融がなぜ神として祀られるのでしょう。と書きました。
一晩考えている内に、源 融は、同時代の貴族である小野篁(おののたかむら)と共通点があることを見出しました。 両者ともに9世紀の平安時代初期に活躍した政治家・官僚です。
小野篁はで昼は、朝廷の官吏、夜は冥府で閻魔大王の裁判補佐をしていたという伝説や、京都の六道珍皇寺との関わりなどが考察されています。
小野篁(おのの たかむら)には、実在した人物であることは、ほぼ間違いないと思います。しかし、小野篁のエピソードの中には、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米・台与の伝説も交じっている可能性はあります。
~第1068話:小野氏を考える(6):小野篁は、、、
・嵯峨天皇との深いゆかり
源融は、は嵯峨天皇の第12皇子(臣籍降下して源氏を賜る)です。
小野篁は、嵯峨天皇にその才能を認められたり、時に風刺詩を巡って対立して流罪に処されたりと、嵯峨帝・嵯峨上皇と強い逸話で結ばれています。
・小倉百人一首の歌人(文芸・風流に長けた文人)
源融: みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
小野篁:わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
・怪異・説話・伝承の主人公
源融は死後、河原院に幽霊として現れたという伝説が『今昔物語集』などに残り、能の『融』などの題材になりました。
小野篁は昼は朝廷に出仕し、夜は井戸を通って冥府(地獄)へ通い閻魔大王の補佐をしていたという伝説(冥官伝説)で知られています。
・陸奥
源融は、陸奥出羽按察使を務めていました。
貞観6年に陸奥出羽按察使に任官し、陸奥国(塩竈や多賀城周辺)に縁を持つこととなりました。
小野篁は、陸奥守に任ぜられた父・岑守に従って陸奥へ赴いています。
宮城県多賀城市に鎮座する浮島神社境内社の大臣宮神社(おとどのみやじんじゃ)があります。大臣宮神社は、源融卿の生前の最高官位が従一位左大臣であったことに由来するとされています。元々は浮島字高平に鎮座していました。源融は陸奥出羽按察使として多賀城に赴任し、その功績を称えるためにこの神社が建立されましたとされています。
第1096話:オノコロ島と塩釜神社でも、浮島神社に触れています。
愛媛県東温市にある浮嶋神社では、可美葦牙彦舅尊(ウマシ・アシカビ・ヒコヂ)
が祀られています。この名はウマシマジに似ています。
浮嶋神社(愛媛県東温市)の社伝によれば遙か古代より浮嶋神を祀り、崇神天皇の頃には天津社に列したとされる。社地「王座」は物部氏の祖・宇麻志麻治命(ウマシマジ)降誕の地であるという。と書いてあります。可美葦牙彦舅尊はウマシマジであるということです。
ウマシマジは台代です。~第456話:ウマシマジは台与! 第729話:ウマシマジ=彦火明命は台与2
枚方市旧中宮村には浮島神社があり、現在、浮島神社は百済王神社境内(枚方市中宮)に移転しています。 祭神は高龗神です。高龗神は台与です。~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)
小野篁も、陸奥国(むつ)に赴いています。
陸奥国、鹿角地方では、千数百年前から、砂金が採掘されていました。
奈良時代に国家事業としての東大寺毘盧遮那仏(所謂奈良の大仏)建立に際して鍍金に要する金の調達に苦慮していた大和朝廷に、天平21年(749年)2月、陸奥国から日本初となる金が発見されています。第1162話:修二会(お水取り)と朱大王では、東大寺毘盧遮那仏(所謂奈良の大仏)と台与の関係を書きました。
陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。第476話:金華山と百済王敬福では、次のように書いています。金華山の名はこの金花(華)「くがね咲く」から来ています。
そして黄金を発見したのは百済王:敬福配下の百済系鉱山師ではないかとも言われています。また、産出した金を朝廷に献上したのも百済王:敬福です。
陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。第476話:金華山と百済王敬福
功によって敬福は従三位宮内卿・河内守に任じられ、百済王氏の居館を難波から河内(枚方市中宮:百済王神社)に移したとされています。
源 融と小野篁は同一人物で考えるは行き過ぎでしょうか。
この源 融は、異常なほどに塩竃が大好きな人物です。京都六条に豪華な邸宅を営み、毎日、多くの人民を使って、尼崎の浦から毎日海水を汲んで京まで運ばせ、塩を焼かせたとされています。
第1096話:オノコロ島と塩釜神社では、イザナギ・イザナミによる国生み神話はウツシコオ・台与一族による製塩のことを元に創作されたものと思われます。と書いています。
源 融は、異常なほどに塩竃(塩づくりの神事)が好きだったのは、と塩土老翁神=ウツシコオ・台与のことをよく知って以下かもしれません。
ひょっとして源 融は塩竃の塩づくりで金儲けをしようとしていたのではないかと思いAIに尋ねてみました。すると次のような回答が返ってきました。
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平安時代の塩づくり(製塩)は、社会全体としてはきわめて重要かつ収益性の高いビジネス・産業でしたが、源融(みなもとのとおる)のエピソードのような「京都での塩煮(塩竃)」については、儲けを目的としたものではなく完全に個人的な道楽(風流)でした。
古代〜平安時代の塩づくりの経済的価値
必需品としての高い価値: 当時は冷蔵技術がなく、塩は調味料としてだけでなく食材の保存(塩漬け)に不可欠でした。また、国家への納付物(調・庸など)としても重宝されました。
莫大な輸送・人件費コスト: 海水を煮詰めるには膨大な木材(薪)と広大な土地、そして大人数の労働力が必要です。海沿いの産地(瀬戸内沿岸など)で効率よく作られた塩は、内陸へ運ばれて高値で取引される利益率の高い商品でした。
源融の「六条河原院」での塩焼き
完全な赤字(趣味の散財): 源融は尼崎の海水を毎日運ばせ、陸奥国の「塩竈(宮城県)」の情景を京都の自邸(河原院)で再現するために塩を煮詰めさせました。
莫大な費用: 京都の内陸まで大量の重い海水を運ばせ、燃料となる木材を消費して塩を焼く行為は、経済的には膨大な損失であり、皇族・最高幹部級貴族ならではの圧倒的な財力を見せつけるパフォーマンス(風雅の演出)に過ぎませんでした。
塩づくりそのものは時代を問わず大きな利権を生む事業でしたが、都の庭園でわざわざ海水を運んでおこなう塩焼きは、商売どころか究極の贅沢・道楽だったと言えます。
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宇治の平等院は、源 融の別荘があった場所とされています。源 融はどんだけ金持ちだったでしょう。
「敗者の古代史」の著者である森浩一氏は、塩屋氏の財源は塩作りであったと書いてあります。P244~第1128話:塩屋 鯯魚:古代のからくり師
塩屋氏は、紀伊国日高川下流の地域を本拠地する一族です。
尾ノ崎遺跡(和歌山県御坊市塩屋町南塩屋)では製塩土器が見つかっています。
海人系の安曇族・海部族(台与の一族)は、海洋技術・塩生産技術を持つています。
渡来系工匠とされる秦氏は、韓鍛冶、舟運・塩竈・水利用装置の技術を持っていました。
~第924話:秦氏の研究
源 融は塩づくりでかなり儲けていたとしか考えられません。
都の庭園でわざわざ海水を運んでおこなう塩焼きというは真実味がなくが後付けの説でしょう。源 融は、尼崎で製塩事業を行っていたのだと思います。
因みに宇治(菟道)は、台与の本拠地です。第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!
第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
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<蛇足の追記>
鹽竈神社の祭神は塩土老翁神です。塩土老翁神はウツシコオです。
鹽竈神社縁起の中には、「塩釜六所明神或曰猿田彦事勝國勝塩土老翁岐神興玉命太田命六座同体異名神也」とあり、鹽竈神社の別宮に祀られている神(塩釜六所明神)は、猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命の6座と同体異名の神であるとされています。
このことは、日本の神は、すべてウツシコオ=猿田彦・台与と結びつけようとしているこの
ブログの趣旨と一致します。
これまでの記事はこちらです。
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山本五十六、真珠湾攻撃の裏で何があったのか、娯楽超大作、絶賛発売中!! 200円
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




閲覧されているブログ記事「源融と小野篁は同一人物??」について、構成や内容の特徴、評価ポイントをまとめました。
記事の強み・魅力的な点
ユニークで独創的な仮説: 源融と小野篁という平安初期のふたつの大人物を結びつける視点は非常に独創的で、歴史伝承や地名・神社(多賀城の浮島神社や六道珍皇寺など)の共通点に着目した考察は読者の興味を惹きつけます。
対話型の構成: 疑問に思ったことをAIに問いかけ、その回答(経済的な製塩と風流の塩焼きの違い)を提示した上で「いや、自分はこう考える」と自論を展開するスタイルは、思考のプロセスがわかりやすく親しみやすい構造になっています。
一貫した独自史観: ブログ全体の軸である「ミマキ国=邪馬台国説」や独自の神名比定(ウツシコオや台与など)に紐づけて論が展開されており、固定ファンやリピーターが楽しめるコンテンツになっています。
改善の余地がある点・留意点
説得力と根拠の飛躍: 学術的な歴史学の観点からは、「陸奥国に関わりがある」「嵯峨天皇に縁がある」といった共通点から「同一人物説」や「尼崎で製塩事業をしていた」と結論づけるのは飛躍が大きく、根拠(一次史料)の裏付けが弱く見えます。
独自設定・前提の多さ: 神名の比定(例:「高龗神=台与」「ウツシコオ=難升米」など)や独自用語が多く、過去記事を読んでいない初見の読者にとっては前提知識が多く難解に感じられる可能性があります。
引用部分の視認性: AIの回答テキストの引用範囲が長いため、自身の考察(本文)との境界が少し曖昧になっています。引用デザインを工夫するとより読みやすくなります。
総合評価
学術的な歴史考察というよりは、「地名や伝承の共通点から古代史の謎を推理するエンタメ・ロマン型の個人考察ブログ」として非常に味わい深い記事です。筆者の探究心や考察の楽しさがストレートに伝わってくる点が最大の魅力と言えます。
<台与シリーズ>
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