秩父:阿波秩父観音霊場
- tootake
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第1080話
前々回:阿波国は邪馬台国:太龍寺縁起で書いた太龍寺(たいりゅうじ)は、四国八十八箇所の第二十一番札所です。阿波秩父観音霊場の第10番札所でもあります。
秩父観音霊場(秩父札所)は、日本百観音の一角を成す34ヶ所の観音霊場です。阿波秩父観音霊場はこれを模したものです。
秩父観音霊場は、埼玉県秩父地方に点在する34ヶ所の観音霊場で、西国三十三所・坂東三十三観音とともに 日本百観音を構成します。成立は1234年と伝えられますが、実証的には室町時代に成立したと考えられています。
阿波秩父観音霊場は、『阿波国秩父三拾四か所道中記』によれば、
徳島城下の「亀吉」という人物が、 百観音(西国33・坂東33・秩父34=計100)を巡礼したいという大願を抱いていました。その亀吉の家に尊像が顕れ、 「阿波国に秩父観音霊場を設けて礼拝せよ。百観音の功徳に異なることなし」 というお告げを受けた亀吉は、 文化三年(1806)7月15日から一週間かけて巡礼し、霊場を開いたとされています。
江戸後期は、百観音巡礼の大流行がおこり、遠国巡礼の困難さから生まれた「写し霊場」ブーム が全国的に広がった時期です。
阿波でも、阿波西国三十三観音、阿波坂東三十三観音 などが成立しており、 阿波秩父観音霊場もその流れの中で誕生したと考えられます。
秩父については、第764話:関東にある邪馬台国(1)~埼玉で次のように書いています。
秩父の地名の由来としては、万葉集で秩父が歌枕「乳人」として詠まれることから、同じ読み「ちちぶ」に由来するとする説、乳(ちち)は「くびき(轡:馬具のくつわ)」を意味し、馬の交通が盛んだった秩父の地形や風土と結びつけて解釈されるなどの諸説がありますが、私は、武乳速之命(たけちはやのみこと)に由来するのではと思っています。
~第444話:ちはやふる天児屋命は長髄彦~添御県坐神社
長髄彦(ナガスネヒコ)を祀る神社が生駒山の東山麓の鳥見の丘(奈良県奈良市三碓)にあります。添御県坐神社(そうの・みあがた・にいます)は、延喜式神名帳に「大社」として掲載される極めて格式の高い古社です。祭神である武乳速之命(たけちはやのみこと)は、長髄彦と言われ地元では皇統だと伝承されています。
武乳速命(たけちはやのみこと)の別名が天児屋命であることはウイキペディアにも書いてあります。天児屋命 - Wikipedia つまり武乳速之命=天児屋命=長髄彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)というわけです。
埼玉県秩父市番場町にある秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、知知夫国(秩父)の一之宮で最新は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと) です。知知夫彦命は、八意思兼命の十世孫で、初代知々夫国造とされています。秩父地方開拓の祖神です。
思兼命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。というより、思兼命がウツシコオであると思い込んだからこそ、このブログを書き始めたのです。
八意思兼命=知知夫彦命=ウツシコオ(内色許男命)ということです。
秩父にある武甲山(ぶこうさん)は、 観音の浄土「補陀落山」に見立てられており、秩父観音霊場(秩父札所)の 札所配置も武甲山を中心に構成されています。
補陀落=観音信仰は、台与と結びついています。
第628話:観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺
第629話:観音菩薩と台与(2)~法輪寺
第630話:観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君
第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺
第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺
第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
第635話:観音信仰と台与(8)金剛院 :摂津市味舌
武甲山の山名の由来として、ヤマトタケル(日本武尊)が、武具・甲(かぶと)冑を、山の岩室に奉納して、東征の成功を祈ったところから、山名が「武甲山」になったといいます。
ヤマトタケル(日本武尊)=台与と埼玉県については、
第699話:https://www.hidemaru3375.com/post/ヤマトタケルの足跡を訪ねて-9-健武山神社 などで書いています。
上記により、秩父は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米・台与と非常に関連の深い地であることが分かります。
なお秩父観音霊場(秩父札所34ヶ所)の第一番は、四萬部寺(しまぶじ)です。
第一番 四萬部寺は、奈良時代に行基菩薩が聖観音を彫って岩窟に安置したのが起源とされています。秩父札所の中で、行基の名が明確に登場するのはここだけですが、四萬部寺は「秩父札所の起点」であり、行基伝承を持つことで霊場の古格を象徴する役割を担っています。
このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は、天智天皇7年(668年)、河内国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)で父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれました。24歳で戒師の葛城山高宮寺徳光禅師のもとで受戒し、飛鳥寺、次に薬師寺で法相宗を主として教学を学び名を行基と改めます。教えを受けたとされる道昭は、入唐して玄奘の教えを受けたことで有名であり、それとともに井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架けて、後の行基の事業への影響を指摘されています。行基も日本各地で治水工事を行っています。最近では、第727話:hidemaru3375.com/post/山崎橋と邪馬台国でも行基の事を書いています。
<埼玉県についての記事>
第730話:氷川神社と氷川女体神社~埼玉県さいたま市
第764話:関東にある邪馬台国(1)~埼玉
第828話:久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛!
第874話:高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与