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阿波国は邪馬台国:太龍寺縁起

  • tootake
  • 1 日前
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更新日:22 時間前

第1078話


弘法大師の書いた太龍寺縁起には、


 天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐

 磯輪上秀真国是阿波国也


とあります。


天神七代の六台代目の世に面足尊(オモダル)と煌根尊(カシコネ)がこの地に降居坐(降臨)されたという意味です。


面足尊と煌根尊については、第932話:茨城県の邪馬台国(3)近津神社:オモダル・アヤカシコネで書いています。


惶根尊(かしこねのみこと:阿夜訶志古泥神)は、面足尊(おもだる:於母陀流神)と対偶をなす存在とされ、人体の完成や畏敬・豊穣・守護といった解釈されています。~ 國學院大學 古典文化学事業(https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/ayakashikonenokami/)


オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。つまり、人体の完備を神格化した神です。


オモダルは、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米の別名である思兼神から転じた名前だと思います。

日本書紀には「思兼神」と記され、「思」は思慮、「金」には「兼」の字を充て、「多くの思慮を兼ねている神様」とされ、思金大神のお働きを「深謀遠慮」と表現されており、将来を見据えたビジョンを描く知恵の神であります。思金大神は、天地開闢のはじまりに現れた造化三神の一柱・タカミムスビノカミ(高皇産霊神:高木神)*の子で、生まれながらの知恵者です。天照大神の臣の最上位である左の臣を拝命し、遷都の采配を任され、神代の教えを説かれました。 *高木神もウツシコオです。~第246話:高御産巣日神(高木神)


アヤカシコネ(阿夜訶志古泥神)の「阿夜」は感動詞、「訶志古」は「畏し」の語幹、「泥」は人につける親称と解し、名義は「まあ、畏れ多い女子よ」とし、淤母陀琉神と同様の理由で、女陰(ホト)のあらたかな霊能に対して恐懼することの表象と考えられています。

関西では、頭の良い子供のことを「カシコ」と呼びます。カシキネは「カシコ」が転じたものでしょう。台与(=ホトタタライスケヨリヒメ)は13歳で邪馬台国の大王になっていますから、相当かしこかったことは確かです。


淤母陀流神(オモダル)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)は、ウツシコオと台与のコンビです。


秀真国是阿波国也とあることから、神世七代の六代目の面足尊、惶根尊が降り立ったという磯輪上秀真国(ホツマのくに)は、阿波だったということになります。太龍寺は徳島県阿南市にあり、阿波国那賀郡舎心山太龍寺です。徳島県は阿波国です。

磯輪上は鳴門の渦潮のことではないかという説もあります。


古事記の国産み神話において、四国は4つの顔を持つ島として描かれますが、そのうちの阿波国は「大宜都比売(オオゲツヒメ)」という別名で呼ばれています。 つまり、この女神は単なる一神社の祭神ではなく、阿波国そのもの(国魂)なのです。

大宜都比売(オオゲツヒメ)は台与です。~第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与


「阿波(アワ)」という国名は、穀物の「粟(アワ)」に由来するとされ、その粟がオオゲツヒメの耳から生まれたことと符号します。


古事記では、伊邪那岐命と伊邪那美命の国産みで、伊予之二名島(四国)の中の阿波国の別名として「大宜都比売(オオゲツ・ヒメ)」の名前が表れます。須佐之男命の追放の場面では、食物を求められて、鼻・口・尻から様々の食物を出して様々に調理して奉ったところ、その様子を見て、汚いことをしていると思った須佐之男命に殺されます。殺された身からは、「頭に蚕、両目に稲種、両耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生じた。そこで、神産巣日御祖命がこれらの種を取らせた」とあります。


現地の伝承では、古事記とは異なる物語を語ります。 徳島県神山町にある上一宮大粟神社の社伝では、大宜都比売命は須佐之男命に殺されておらず、「生きて阿波を開拓した英雄」として描かれているのです。


空海(弘法大師)の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に「…阿國大瀧嶽に…勤念す…」とあり、延暦12年(793年)に桓武天皇の勅願によって阿波の国司・藤原文山が伽藍を建立、堂塔が建立され、空海が虚空蔵菩薩像などを刻み安置したと伝えられています。


大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられています。19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った空海が、現在の境内の600 mほど西にある舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされます。山号はその舎心嶽から、寺名は修行中の空海を守護した大龍(龍神)にちなんでいます。


太龍寺は徳島県鷲敷町の東北にそびえる海抜600mの太龍寺山の山頂近くにあり、古来より「西の高野」と呼ばれています。 延暦12年(793)19歳の弘法大師空海が、太龍嶽(舎心嶽)の上で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法」を修法なされたことは、大師24歳の時に著された「三教指帰」の中に「阿国太龍嶽にのぼりよじ土州室戸崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」と記されています。太龍寺と室戸岬は青年期の大師の思想形成に重要な役割を果した修行地であることがうかがわれます。


太龍寺の麓には那賀川が流れています。このブログでは、那珂川、那賀国の「なか」とは、長髄彦(ナガスネヒコ)の「なが」のことです。長髄彦はウツシコオですと何度も書いています。~第1054話:水戸:茨城県の邪馬台国(4)


空海と台与(邪馬台国)の関係については、過去に書いています。

第788話:空海と秦氏

第789話:空海(2):阿刀氏

第792話:空海(5):天才


六代孝安天皇の和風諡号は、日本書紀では日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)、古事記では大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)です。


第1066話:小野氏を考える(4):和珥(ワニ)氏で書いたように小野氏は、和珥氏の枝氏です。和珥氏(わにうじ)は、2世紀後半頃、日本海側から越前・若狭から畿内に進出した日の御子信仰または太陽信仰をもつ鍛冶集団とする説や、漁労・航海術に優れた海人族であったとする説があります。

大和朝廷成立以前に、大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた名族で、諸国に多い小野の地名の由来となった一族です。


和珥氏族は孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(天押帯日子命)から出たと称してますが、

では、孝安天皇の和風諡号は、日本書紀では日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)と書いています。

天神七代の六台代目を欠史八代天皇の六代目ということであるなら、第6代孝安天皇である台与ということになります。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

3件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
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<台与シリーズ>

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継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
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  • 太龍寺縁起に記された「阿波国」の意味

  • 面足尊(オモダル)と煌根尊(アヤカシコネ)の降臨

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