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泉井上神社と井於神社

  • tootake
  • 12 分前
  • 読了時間: 6分

第887話


泉井上神社は、大阪府和泉市府中町にあります。境内には和泉国総社の和泉五社総社も鎮座しています。祭神は、和泉大明神(独化天神)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高産巣日神、神産巣日神です。これらの神々はすべて、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)と台与です。


この神社は、大阪の重要な古地名の一つ「和泉」の語源になったとされています。

和泉清水とも呼ばれる泉井上社の創祇由緒になった清水の跡は、現在はその本殿の横に残っています。この清水は神社の創祇のみならず、「和泉」という地名の起源にもなったとされています。この清水は、下流の水田の灌漑に利用されて和泉国の農業開発に大きな役割を担ったとされています。

720年の九州隼人の反乱ののち、その戦没者慰霊の放生会が諸国で行われた時、和泉五大社の神輿がここに渡御して数万匹の鯉を放流したと伝えられます。この放生会は、第885話:傀儡舞の住吉様で書いたように隼人に関係しており、隼人とは、ウツシコオと台与の一族のことです。~第304話:隼人族は呉の勝


のブログでは、泉(いずみ)という地名は台与と関係のある地であることを見てきました。

第674話:伊豆・出石・出雲 第797話:桜井市(奈良県)は出雲 第809話:邪馬台国と大河(2):千曲川:伊豆毛神社 などです。木津川(きづがわ)は、三重県および京都府を流れる淀川水系の支流です。この木津川は、かつて泉川(いずみかわ)と呼ばれていました。伊豆(いず)という地名のもとになったなったのは泉川(いずみ)のいずです。木津川(きづがわ)周辺には、椿井大塚山古墳、玉川鉱山、大住など邪馬台国と関わりのある重要な川です。


そして、泉井上神社の井上は、「井上」に関わる名称をもつ神社は三社あります。


出雲井於神社(下賀茂御祖社摂社)、井上神社(但馬国養父郡)、井於神社(摂津国島下郡)ということで、「井上」や「井於」は同様な意味でいずれも「ヰノヘ」と読みます。「井於」は「井の辺」で、井のほとりという意味であり、ここはもと素朴な農業神である水の神を祀っていたのではないかと推察されます。


歴史学者の肥後和男氏は、「出雲井於神社も三井社も井上社もともに下賀茂の霊泉に立脚して定位された水神をまつった」と、井上神に共通した信仰があるとの説明をされていました。これを受けて日本仏教史学者の宮井義雄氏は、東大阪市「出雲井」にある枚岡神社について、「出雲井から御祖神としてのヒメ神が生れた」としておられます。


大阪府茨木市の井於神社はこのブログでしばしば登場しています。

阿智氏と関係の深い神社です。阿智氏は、日本古代氏族事典では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説もあります。

大阪府茨木市の井於神社の近くに、五十鈴、天王という地名があります。五十鈴は五十鈴姫で台与です。天王はスサノオ(津田の王のことです。阿智氏は日本各地を移動していますが、元々は、河内国志紀郡井於郷(大阪府茨木市)の出身です。第688話:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)で磯城(志紀)は枚方市としました。河内国志紀郡とは北河内の事でしょう。~第886話:阿智神社:思兼命


第504話:虚空蔵菩薩と丑寅(茨木市)では、「井於神社(いおう神社)の社伝によると宇野辺の八幡神社、鶴野の皇大神社、丑寅の皇大神社の3社を明治5年に境内に合祀したとあります。井於神社は、私の遊び場でした。井於神社の隣が三宅小学校です。丑寅、天王、玉櫛、五十鈴、宇野辺、鶴野は私にとって懐かしい地名です。今でもそれらの地名は残っています。~第181話: 三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅


枚岡神社の地名は、東大阪市出雲井町で、和妙抄ではこの地は河内国河内郡郡の浦郷に比定され、隣郡の河内国讃良郡(さららぐん)には枚岡郷があり、同地を枚岡神社の始源地とする説もあります。讃良郡は大阪府寝屋川市です。正確には四条畷市の全域、大東市の大部分、寝屋川市の一部:萱島(かやしま)、秦町、豊野町、太秦桜が丘、太秦高塚町などで、第588話:持統天皇(第41代で、鸕野讚良皇女(持統天皇=台与)の育った所としています。「出雲井から御祖神としてのヒメ神が生れた」のヒメ神は台与のことでしょう。



但馬国養父郡の井上神社の社伝では、当地には三つの池があり、大池、小池、田中の池と呼ばれていた。大池、小池は山中にあったが、田中の池は井上大明神の神前に湧き出した霊泉で枯れることがなかったので、住民は妙なる霊泉として、村名に吉井と名付けたといいいます。


和泉大明神=井上大明神=水の神で、台与であることが分かります。

また、第674話:伊豆・出石・出雲 で書いたように、泉は伊豆・出石・出雲の地名の元となったのです。大阪府茨木市の井於神社は、三島郡です。静岡県三島市にある三嶋大社も元は、三島(茨木・高槻)から移動したと思われることから、茨木市の井於神社は、かなり古いと思われます。~第811話:白浜神社・三島大社~伊豆



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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tootake
9分前
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