新海三社神社~佐久市
- tootake
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更新日:22 時間前
第686話 #君の名は。
前回:金立山・徐福・吉野ヶ里遺跡では、徐福伝説について書きましたが、日本各地には他にも徐福伝説のある地がいくつかあるようです。
長野県佐久市の伝承では、徐福は蓼科山に住んでいた時に双子を儲けたとされ、彼らが遊んだ場所を「双子池」や「双子山」と名付けたといいます。伝説はこれだけなので、これ以上深堀はできません。そこでこの辺りの神社を調べてみました。蓼科山は北佐久郡立科にあります。
佐久市には歴史ある神社がいくつもあります。
佐久八幡神社(長野県佐久市蓬田101-1)— 伝統ある八幡神社の一つです。
伊邪那美神社(長野県佐久市根々井801)— 日本神話の女神、伊邪那美命を祀る神社。
御嶽神社(長野県佐久市長土呂)— 御嶽信仰に関連する神社。
白山神社(長野県佐久市岩村田3449)— 白山信仰の神社。
鼻顔稲荷神社(長野県佐久市岩村田4261)— 日本五大稲荷の一つとされる神社公式サイト。宇迦御魂神(うかのみたまのみこと)
今回は、新海三社神社について調べてみました。
新海三社神社(長野県佐久市田口)は、 重要文化財の三重塔がある歴史的な神社です。
主祭神の興波岐命(おきはぎのみこと)は出雲の大国主大神の孫神で、佐久の開拓神です。興波岐命の父神は諏訪の建御名方命*で、母神は上野貫前女神*(荒船大明神)。
なお、境内や付近には「四十八塚」と言われる古墳群があり、古代信仰の痕跡だとの説もあります。*建御名方命は台与かウツシコオのどちらかです。第675話:諏訪大社と出早雄命では、建御名方富尊(タケミナカタ)がウツシコオ(父)で台与が出早雄命だとすれば、一応納得できます。と書きました。
古墳時代に「県神社」であったとされる新海三社神社は、武家時代になると諏訪神等の影響を受け、佐久から上田までの広大な地域に勢力圏を持つようになります。なお、新海三社神社の別名を佐久神社、開(さく)神社という。これは興波岐命が佐久地方開拓の祖神であるからだという。南北朝時代の「諏方大明神画詞」には「新開之神」(にいさくのかみ)として紹介されている。
佐久(さく)が開(さく)であるならば、曇氏、安曇犬養氏、海犬養氏の祖とされる宇都志日金拆命の拆(さく)と通じます。また、第684話:諏訪大社と金刺氏で書いた金刺氏の
刺(さく)に通じます。宇都志日金拆命はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)であるとしています。
興波岐命は、佐久の開拓神です。興波岐命の父神は諏訪の建御名方命で建御名方命と事代主命は国土経営に大功をたてられ、興波岐命の御父神、御伯父神であらせられるので、ともに斎祀して新海三社神社と称するに至りました。佐久郡の人々は興波岐命の神恩に感謝したと社伝にありますので、興波岐命(おきはぎのみこと)も台与でしょう。台与は北日本各地で地域を開発し感謝されています。
*興波岐命の母神である上野貫前女神(荒船大明神)は群馬県富岡市一之宮にある一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)では、祀られている姫大神と経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。荒船神社(群馬県甘楽郡下仁田町)でも比売大神が祀られています。経津主大神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
姫大神=比売大神は台与です。
今回は徐福伝説の事を書きたかったのですが、新海三社神社には徐福の影も形もありませんでした。
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<蛇足の追記>
徐福は蓼科山に住んでいた時に双子を儲けたとあります。ヒルメとヒルコは双子であったともされています。ウツシコオとウツシコオは双子だったのかもしれませんと第298話:卑弥呼はヒルメで書きました。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

信濃国統一(古代史の復元)
、「長秋記」の1130年にも井於庄というこの地域の地名が記される事からも、この社と関係ある氏族と考えられます。一方で「日本古代氏族事典」では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説明もあります。
狩場明神については従来この地一帯の土豪の首領だという説があった。興味深いのは、その土豪とは坂上(さかのうえ)氏、首領とは犬甘(いぬかいの)蔵吉人のことで、犬甘蔵吉人を犬飼蔵人と読み、坂上氏の先祖である阿智使主(あちのおみ)のあとに蔵人の名が見えるところから、坂上氏の人だという推定である。『紀伊続風土記』には「犬甘蔵吉は阿智使主の後蔵人と見ゆえたる人にて応神天皇廿年阿智使主と共に帰化せしむを同廿二年の事当社へ寄せるたまへるなるへし」という。
徐福伝説が伝わる地はいくつかあります。代表的な場所としては、三重県熊野市(徐福が日本に到着したとされる場所)、和歌山県新宮市(徐福の墓があり、徐福公園として整備)、福岡県八女市(徐福を弔う伝統行事「童男山ふすべ」が行われる)、佐賀県佐賀市(金立山に「フロフキ」という不老不死の薬とされる植物が自生)などがあります。
また、徐福が日本に渡来したという伝説は、京都府伊根町、長野県佐久市、愛知県名古屋市、鹿児島県出水市、宮崎県延岡市、広島県廿日市市などにも残っています。特に和歌山県新宮市には「徐福の墓」や「徐福公園」があり、徐福の足跡をたどることができます。
興味があれば、これらの地を訪れてみるのも面白いかもしれませんね!
1497年頃、玉造の清水谷あたりに、押坂山という小さな山があり、そこに忍坂彦命をお祀りしている「天神社」がありました。
地主神としてお祀りされていたそうです。
忍坂彦命は、第三十代敏達天皇の第一皇子で、第三十四代舒明天皇の父でもあります。
しかし本人は天皇にはなっていません。
聖徳太子と同じ時代の方なので、聖徳太子のことをテーマにした漫画やお話にもちらっと登場していたりします。
「忍坂彦命」ではなく「押坂彦人大兄皇子」というお名前です。
謎が多く、なぜ天皇になっていないのかは詳しくはわかりません。
https://miyukimori.net/about/
<台与シリーズ>
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