廣田神社~撞賢木厳之御魂天疎向津媛
更新日:1 時間前
第1186話
第1184話:神功皇后と瀬戸内海では、「台与が立ち寄った場所が神功皇后の伝説になったのだと思います。」と書きました。
前回:生田神社とカマボコでは、生田神社にも「神功皇后が三韓外征の帰途に神戸港で船が進まなくなった際、神託によって現れた祭神の稚日女尊(わかひるめのみこと)が「私は活田長峡国に居りたい」と告げたため、そこに神社を創建したと伝えられています。
生田神社(兵庫県神戸市中央区)は、廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する神社であり、長田神社・湊川神社とともに神戸を代表する神社です。
廣田神社、長田神社にも神功皇后の伝説があります。
長田神社(兵庫県神戸市長田区長田町)~日本書紀には、神功皇后摂政元年、神功皇后が三韓征服後、新羅から難波に帰還する途中、武庫の水門(現在の駒ケ林あたりといわれる)で船が進まなくなったので占ったところ、事代主の神より「吾を長田国に祀れ」と神託を受け、創祀されたとあります。
廣田神社(兵庫県西宮市大社町)~日本書紀に、神功皇后の三韓征伐の戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居*の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い。」とありこれが廣田神社の創建の由来とされています。*皇居~意味不明:大阪市浪速区にも廣田神社があるので、浪速の宮(難波京)のことかも。
3つの神社は比較的近距離にあり、生田神社・長田神社・廣田神社の神功皇后の伝説(船が進まなくなった)は、同じものだと思われます。
長田神社の祭神は、事代主神です。
廣田神社の祭神 は 天照大神の荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命:つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)です。伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と同体。
脇殿神には、住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神も祀られています。
生田神社の祭神は稚日女尊でした。
ということは、それぞれの祭神は同じということではないでしょうか。
稚日女尊=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命=台与ということです。
八幡大神、武御名方大神は台与であることはすでに書いています。
事代主は、住吉大神=高皇産霊神、はウツシコオであることも書いています。
~第276話:事代主異説
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、瀬織津姫とされることもあります。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社(兵庫県西宮市)は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていました。御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたのだが、武内宿禰・神功皇后の御代に 廣田神社へ遷した ことが、廣田神社由緒書きに記されています。
第147話:お多福さんと五十鈴姫では、次のように書いています。
お多福さんといえば、日本神話に登場する女神「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)」とされていますが、大阪府豊中市の市軸稲荷神社(ちじくいなりじんじゃ)でのおたふくさんは瀬織津比咩大神(セオリツヒメノオオカミ)とのこととされています。
お多福は、おかめは、文楽人形ではお福(おふく)、狂言面は乙御前(おとごぜ)あるいは乙(おと)ともいいます。事代主神の少女(おとむすめ)五十鈴依媛命(イスズヨリ姫)はオトヒメ(乙姫)、ホト姫とも呼ばれています。古事記では、五十鈴姫は、富登多多良伊須須岐比売(ホト・タタライススキヒメ、ホト・タタライススギヒメ)という名でしたが、のちに比売多多良伊須気余理比売(ヒメ・タタライスケヨリヒメ)に改められたことが示されています。ホトとは女性の陰部のことだからです。お多福が天のウズメとされているのは、ウズメがホトを露わにして踊ったからです。
*五十鈴姫は台与です。~第76話:とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
伊勢神宮の内宮の別宮では、瀬織津姫が天照大神の荒神として祀られています。
瀬織津姫は重要な神様であるとみられるのにあまりに情報がないことから、かつての権力者にその存在をかき消された封印された神様とも言われています。
瀬織津姫が封印されたと言う話が生まれたのは、持統天皇が瀬織津姫が祀られていた神社のご祭神を瀬織津姫以外にするようにという勅令を出したと言われています。
台与が初代の天皇(大王)であったことを隠したいという意識がこの辺りから出てきて、台与を天照大神の荒神としたのでしょう。
第1184話:神功皇后と瀬戸内海では、高砂市の「石の宝殿」は、物部守屋(もののべのもりや)が作ったという伝説が残されています。と書きました。
六甲山にも石宝殿があります。~第470話: 石の宝殿3~六甲山
第1184話では、石の宝殿を創ったのは、物部守屋=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米としました。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)の名前を解釈すると、神名中の御魂(みたま)は神名の末尾と考えられるので、「撞賢木厳之御魂:つきさかきいつ のみたま」と「天疎向津媛:あまさかるむかいつひめのみこと」の二つの神名が連結されていると考えられます。このような複数の神名が連結されている神名は、天津彦国光彦火瓊瓊など、他にも多くの例があります。
天疎向津媛の「向津」は六甲山と関係があります。
六甲山全域はかつての廣田神社の社領でした。六甲山がかつては向津峰(ムカツミネ)と呼ばれていたことから、向津媛命とは、六甲(むこう)、武庫川(むこがわ)、などと関係のある姫だと思われます。六甲山(ムコ山)と向町(ムコウ:向日市)は枚方から見えるため、「むこう」は枚方の人間が付けた地名で枚方市が邪馬台国であった証だとしていました。しかしタミル語で「ムコ」は入り口の意味だというのです。ということは、邪馬台国の西の入り口は武庫川(ムコ川:兵庫県)で東の入り口が向日市(京都府)ということになります。
~第6話:六甲山(むこうやま)~地名からわかること 第434話:タミル語で読み解く邪馬台国(2)
撞賢木厳之御魂がウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米で、天疎向津媛が台与だとすれば、撞賢木厳之御魂天疎向津媛はウツシコオと台与親子だということになります。
これまでに、このブログでは、撞賢木厳之御魂天疎向津媛は何度も登場しています。
第644話:大神神社を探る(7)~綱越神社
第669話:元伊勢(番外編)~神呪寺:真名井御前
第983話:物部氏について(5):赤間物部
関連項目:生田神社とカマボコ
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>



<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
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饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
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少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与