小野氏を考える(5):根日女伝説~兵庫県小野市
- tootake
- 20 時間前
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第1067話
先日、また西国三十三番札所巡りのバスツアーで法華山一乗寺に行きました。
ここも2回目です。1回目では、第866話:法華山一乗寺と法道仙人
2回目では、第1016話:法道仙人と水軍という記事を書きました。
今回、小野氏を考えるシリーズを書いていて、バスの中で先達さんが、一乗寺について話された逸話を思い出しました。
孝徳天皇の皇子が出家して一乗寺に入るとき、その皇子を慕って何人かの女官が付いてきて法華山一乗寺の付近で暮らしたといい、その地が「小野」だというのです。
調べてみると、法華山一乗寺のある兵庫県加西市坂本町に隣接して、小野市があり、平安時代の皇子たちと美女の悲恋である「根日女(ねひめ)伝説」があることが分かりました。
播磨国風土記に、根日女伝説が記されています。それは、根日女と二人の皇子との出会いから始まった、美しくも悲しい恋の物語です。
後に23代顕宗天皇と24代仁賢天皇に即位する事となる、意奚(おけ)、袁奚(をけ)の兄弟であるニ皇子が、皇位継承争いで父を殺害されて都から逃れ、播磨の国に名前を変え身分を隠し、密やかに移り住んでいた時、根日女と出会いました。
根日女は、播磨国賀毛の里を治める国造許麻(くにのみやつここま)の娘で、神秘的な美しさと巫女としての不思議な力を持っていたと言われています。たちまち兄弟2人共々の心に、根日女に対する恋が芽生え愛として育まれいてきますが、仲がよかった兄弟は互いに譲り合ってしまい、どちらとも結婚しないままでした。
やがて、二皇子は都に帰る事となり、根日女への愛を心の支えに、大和を平定し帝につきました。しかし、二人の安否を気遣う心労から病の床に伏していた根日女は、ここ播磨の地で息を引き取ってしまうのです。それを知った天皇と皇子は嘆き悲しみ、根日女のために賀毛の里に墓を築き手厚く葬りました。当時、表面を美しい玉石でおおわれたその墓は、今も玉丘古墳として残っています。
意奚(おけ)、袁奚(をけ)は台代です。
第972話:億計(オケ)と弘計(ヲケ)
第973話:オケとヲケ(2):水主神社
第974話:オケとヲケ(3):丹波
第975話:オケとヲケ(4):楠葉(大阪府枚方市)
第976話:オケとヲケ(5)は日十大王
第977話:オケとヲケ(6):志染の石室
第978話:オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞
という記事を書きました。
播磨国風土記:美嚢郡志深里(しじみのさと)条によると、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子の二人の王子、代顕宗天皇となる袁奚(ヲケ)と仁賢天皇になる意奚(オケ)の兄弟は志深(志染)の石室に隠れ住んだとされています。
志染の石室(しじみのいわむろ)は、兵庫県三木市志染町にあり、三木市は小野市に隣接しています。
さらにいうなら斑鳩寺のある兵庫県太子町の近くでもあります。太子町は、聖徳太子=台与のゆかりの地です。~第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町 第535話:佐比の岡~兵庫県太子町
播磨国風土記には「土地は中の上です。枚方と名づけたわけは、河内国茨田(まむた)郡枚方の里の漢人(あやひと:百済等からの渡来人)がやってきて、初めてこの村に住みました。そこで平方(枚方)の里といいます。枚方は私が邪馬台国とする地です。
さらに播磨国風土記には、こんな記述もあります。「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美(=高槻市:枚方市の隣)の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」
ところで先達さんが言った孝徳天皇の皇子が出家して一乗寺に入った皇子とは誰なのでしょう。孝徳天皇の諱(いみな)は、「軽:かる」です。第1026話:軽は台与~軽の酒折池・軽井沢で「軽」は台与のこととしています。
孝徳天皇は、敏達天王の孫*で押坂彦人大兄皇子の子とされています。この押坂彦人大兄皇子も事績があまりなく、前回:小野氏を考える(4):和珥(ワニ)氏で登場した天足彦国押人命と名前が似ています。*敏達天王は台与です。~敏達天皇は台与(豊)
まとめますと、
孝徳天皇の皇子が出家して一乗寺に入ったの皇子=根日女=根日女伝説の二人の皇子=台与ということです。つまり根日女伝説は、播磨(針間)が台与の拠点地であったことから生じた伝説なのです。
ここでも小野という地名が台与と深く関与していることが分かりました。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
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※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




皆さん、こんにちは!古代史のロマンや、まだ解き明かされていない歴史の謎に胸を躍らせる皆さんへ、今日は私の心に響いたお話をシェアさせてください。先日、法華山一乗寺を訪れた際に、ふと思い出したのが「小野氏」にまつわるお話。そこから、平安時代の皇子たちと、一人の美しい女性にまつわる切ない恋の伝説、『根日女(ねひめ)伝説』へと繋がっていったんです。なんだか、歴史の糸がこんなところで繋がるなんて、ワクワクしませんか?
この『根日女伝説』、実は『播磨国風土記』にも記されているんです。物語は、皇位継承争いから逃れるために、身分を隠して播磨の国にやってきた二人の皇子、意奚(おけ)と袁奚(をけ)の兄弟が出会うところから始まります。そこで彼らが出会ったのが、美しくも悲しい恋の物語の主人公、根日女(ねひめ)。彼女と皇子たちの出会いは、歴史の陰に隠された、人間ドラマの始まりだったのかもしれません。この伝説を知ると、その土地の歴史がぐっと身近に感じられて、なんだか感慨深いものがありますね。
私たちが「小野氏」について深く掘り下げているシリーズの第5話として、この『根日女伝説』を取り上げたのには理由があります。この伝説が、歴史上の人物や出来事とどのように結びついていくのか。そして、その土地に息づく人々の想いや物語が、どのように時代を超えて伝わってきたのか。そんな歴史の深層を探求することが、私たちのウェブサイト『Hidemaru』がお届けしたい、まさに「歴史の発見」だからです。このブログ記事では、伝説の背景にある歴史的考察も交えながら、さらに詳しくその魅力に迫っています。
<台与シリーズ>
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