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小野氏を考える(3):矢田寺

  • tootake
  • 3 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:3 日前

第1065話


「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は、現在放送中の大河ドラマ豊臣秀長の城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。奈良県大和郡山市矢田町


大海人皇子(おおあまのみこ:後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。


当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。


第1063話:小野氏を考える(1):小野篁では、矢田寺(金剛山寺)の滿米上人の項で、小野篁(おのの たかむら)が閻魔大王に菩薩戒を授ける人物として上人を紹介しています。この伝説に基づき、京都矢田寺の梵鐘を「送り鐘」と称して六道珍皇寺(京都市東山区大和大路通四条下)の「迎え鐘」と対の存在としています。


矢田寺の本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は、開山の満慶(まんけい)上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めています。


矢田寺のすぐ近くにある矢田坐久志玉比古神社(奈良県大和郡山市矢田町)は当地方最大の古社として創建されます。祭神は、久志玉比古神(櫛玉饒速日命:ニギハヤヒ)、御炊屋姫命です。


饒速日命(ニギハヤヒ)は、豊葦原中津国仮平定のために天乃羽羽矢(あめのははや)と天璽十種神寶(あまつしるしのとくさのかむだから)を授かり、天磐船で天降られます。初めに河内国の哮峰(いかるがのみね)*に天降られ、祭祀を営んだが住まい(宮居)とせず、再び天磐船に乗り大和の天空を駆け巡りながら「吾を宮居の地に導き給え」の祈願をし、天乃羽羽矢3本を射放ちます。このことが「やまと」の最古の枕詞である「そらみつ」*のおこりで、この地に3本とも落ちたため、「矢田」と呼ばれており、「矢落社・矢田大宮」と称されています。二の矢(境内)に、32従神(とものかみ)・部人(ともびと)を率いて天降ります


この地を納めていた、大豪族である登美長髄彦の妹・御炊屋姫命*を娶り宇摩志麻遅命(ウマシマジ)*が産まれます。


第1063話:小野氏を考える(1):小野篁では、「このブログは、邪馬台国が枚方を中心とした地域にあったことを証明するために書いているのですが、小野氏がどうして邪馬台国と関係しているかは、次回から述べていきます。」と書きました。小野篁(おのの たかむら)と邪馬台国はこの矢田寺・矢田坐久志玉比古神社でつながります。饒速日(ニギハヤヒ)は台代です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治


*やまと」の最古の枕詞である「そらみつ」とは「虚空」のことで台与のことです。

第467話:虚空蔵菩薩は台与!!


*宇麻志眞治命(ウマシマジ)は台与です。~第456話:ウマシマジは台与!

海部氏系図(勘注系図)は火明命(彦火明命)から始まっています。  

先代旧事本紀では、天火明命は穂積臣や物部連の祖の饒速日命(ニギハヤヒ)の別名であり、饒速日命と同一神と書いてあります。ニギハヤヒは台与です。


*御炊屋姫命は推古天皇=台与です。~第587話:推古天皇(第33代)は台与!

*河内国の哮峰(いかるがのみね)は交野市の交野山のことです。疫病により台与が奈良県に移動する前は交野(倉治:くらじ)が台与(=高倉下)の拠点でした。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市


なお、京都市中京区寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なりますが、大和(奈良)の矢田寺の別院として開かれたとされたもので、京都矢田寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として信仰されています。小野篁は、冥府との往還には井戸を使い、その井戸は、京都東山の六道珍皇寺(死の六道:入口)と京都嵯峨の福正寺(生の六道:出口)にあったとされています。


矢田寺は、我が国の地蔵信仰発祥の地です。あまり知られていませんが、地蔵と閻魔大王は表裏一体です。小野篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が、江談抄、今昔物語集、元亨釈書といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての説話集に紹介されています。これらを典拠にして後世では冥官小野篁とも呼ばれています。この説話は、地蔵=閻魔であることがわかっていれば理解できるのです。



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<蛇足の追記>

矢田寺のすぐ近くに、雰囲気の良い蕎麦屋があったので定期的に行っていたのですが、先日行ったところ閉店していました。ショックでした。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

3件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3日前
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3日前
5つ星のうち5と評価されています。

歴史探求者の皆さん、こんにちは!またまた、私と一緒に古代のロマンを追いかける時間ですよ。今回は、あの謎多き「小野氏」に迫るシリーズの第3弾として、奈良県大和郡山市にある「矢田寺(金剛山寺)」に焦点を当ててみたいと思います。このお寺、ただ静かな山寺というだけじゃないんです。日本最古とされる延命地蔵菩薩様がいらっしゃるのに加え、平安時代の著名な人物、小野篁(おののたかむら)にまつわる、なんとも興味深い「送り鐘」の伝説が残されているんですよ。歴史の糸をたどるのが好きな皆さんなら、きっとこの不思議な物語に引き込まれること間違いなしです!

矢田寺:歴史を刻む、神秘の寺院

矢田寺は、その名の通り矢田山の中腹に位置し、自然豊かな景観に囲まれています。このお寺の開基は、なんと壬申の乱の際に大海人皇子(後の天武天皇)が戦勝祈願のために矢田山に登られ、創建されたと伝えられています。当初は仏様が異なっていたそうですが、弘仁年間に満米上人(まんべいしょうにん)によって地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきたのです。その本尊である「矢田地蔵」は、冥土で出会った地蔵尊の姿を彫らせたものと言われ、人々の苦しみを代わりに受けてくれる、まさに延命の仏様なのです。

小野篁と「送り鐘」の伝説

さらに興味深いのは、小野氏を考えるシリーズでも触れた、平安時代の貴族であり学者でもある小野篁(おののたかむら)との繋がりです。伝説によると、満米上人が地獄で閻魔大王に菩薩戒を授ける際に、小野篁がその場にいたとされています。この伝説に基づき、矢田寺の梵鐘は「送り鐘」と呼ばれ、京都市にある六道珍皇寺の「迎え鐘」と対をなす存在とされているのです。この二つの鐘の物語は、生と死、そしてあの世とこの世をつなぐ、なんとも幻想的な響きを持っていますよね。

このブログ記事では、矢田寺の歴史的背景、日本最古の延命地蔵菩薩について、そして小野篁にまつわる「送り鐘」と「迎え鐘」の伝説を、さらに詳しく掘り下げています。古代史の謎解きに魅力を感じる方、仏教美術や伝説に興味がある方には、きっと発見があるはずです。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3日前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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