室生寺は神宮寺
- tootake
- 7月11日
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更新日:7月12日
第740話 #神宮寺(交野市)#ブドウ#台与
昨日、テレビ(レッツGo若一調査隊を見ていて、室生寺が神宮寺であることを知りました。~Let's GO!若一調査隊 | ten. | 読売テレビ
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にあります。女人高野として有名です。
奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院です。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在し、平安時代前期の建築物や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られています。
室生の地は火山性地形のため、奇岩や洞穴が多く、室生寺奥の室生川の上流には、洞穴は竜穴、すなわち龍神の住み家として信仰を集めた室生龍穴神社があります。当地は祈雨や止雨の霊地とみなされ、朝廷による奉幣も行われました。実は、室生寺は、この室生龍穴神社の神宮寺なのです。
神宮寺 とは一般的に宮寺とも言い、神社に付属して建てられたお寺のことです。日本に仏教が 入って来た時に、それを日本の神々とどう共存させるかを考えた結果、日本の神々は、日本人に理解しやすいように仏が仮の姿を現したものであるという考え方が生まれました(本地垂迹説:ほんちすいじゃくせつ )。神社の境内や周辺に寺が建てられ、神社と寺院の両方を管理して神社の祭祀を仏式で行う社僧が置かれるようになったとされています。
神宮寺は、神社を守るためのものいう考え方もあります。つまり主体は神社なのです。
神宮寺とは、神社に付属して建てられた仏教寺院です。逆に寺院のために神社を作ったところもあり、これは「鎮守社」と言います。
室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)は起源が明確ではありません。室生龍穴神社は古来から水の神・龍神を祀っていたとも言われています。奈良時代から平安時代には朝廷からの勅使が派遣され、雨乞いが行われていました。
桓武天皇(山部親王)は宝亀年間(770年~781年)の東宮時代に病気になり、龍神信仰があった室生山で祈祷を修したところ龍神の力によって回復したとも言われています。
それにより桓武天皇の発願により、国家鎮護の寺として創建されたと言われています。
つまり室生龍穴神社が先にあったのです。
室生寺(むろうじ)の「室」は、第723話:三室戸寺~宇治(莵道)の「室」と同じ意味です。三室戸(みむろと)は「ミムロ:御室」に由来し、「神が坐す場所」という意味です。
室生龍穴神社の祭神は、高龗神(たかおがみのかみ)です。高龗神は、第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)で書いたように、台与です。
奈良県には、水分(みくまり)神社が4社あり、1つは、宇陀市(菟田野)にあります。す。水分(みくまり)神社は本来は水の神ではなく、水銀に由来するとされるのは、地元の研究者の田中八郎氏です。室生寺のある奈良県宇陀市付近は、水銀(朱)の産地なのです。
水銀採取のために台与もこの辺りに来たのでしょう。
神武天皇が、八十梟帥(やそたける)、兄磯城(えしき)と戦ったのも、宇陀市(榛原区西方の坂)です。~第83話:八咫烏の活躍
室生龍穴神社も本来は、水銀(朱)の由来する神社であったはずです。なお台与は各地で竜神としてもまつられています。
で、今回の本題はここからです。私が邪馬台国=台与の最重要な拠点である交野市に神宮寺(〒576-0062)という地名があるのです。
交野の〝神宮寺〞 は郡山街道沿いの通称「宮山」と呼ばれる所にあったといわれています。神宮寺と対をなしていた神社の名前は伝わっ ていませんが、盞鳴尊(スサノオ)を主神とし、末社に金比羅・稲荷・天神・春日・愛宕の神が祀られていて、 明治8年に機物神社に合祀されましたと伝わっています。~第356話:七夕幻想~機物神社
昭和29年に神宮寺で天平時代(7世紀の終わりから8世紀の中ごろ)の礎石が発見され、古代の交野に大きな寺が栄えていたことが確認できました。これまで、この礎石の見つかった寺については、嘉吉元年(1441年)に作成されたとする「興福寺官務牒疎」という書物に河内交野郡の開元寺の記述があることから、天平時代に開創された開元寺とされていました。しかし、この「興福寺官務牒疎」については、最近の研究で、江戸時代に作成された偽文書である可能性が高く、その内容についても信ぴょう性が疑われています。
ただし、江戸時代には、開元寺という天台宗の寺院が源氏の滝の口にあり、明治時代に廃寺となったことは様々な資料で確認できます。~広報かたの 郷土史かるた めくり
大阪府交野市は、饒速日(ニギハヤヒ=台与)が天下った地で、高倉下(タカクラジ=台与)の名前の由来となった倉治という地名もあります。
交野市に神宮寺という地名があるのを以前から不思議に思っていたのですが、今回で少し腑に落ちました。各地にあるの神宮寺も台与に関係していると思われます。
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<蛇足の追記>
交野市の神宮寺では、古代よりブドウが栽培されています。いまでは、ブドウは大阪府柏原市の方が有名ですが、柏原という地名はもともと大阪府枚方市(旧交野郷)の地名です。
桓武天皇は日本で初めて郊天祭祀を交野ヶ原の柏原で行っています。この交野ヶ原(柏原:かしはら)というのが、枚方市片鉾本町で私が毎日ポケモンGOをしている場所です。日本文徳天皇実録 10巻. [8],藤原基経編,寛政8(1796)に郊天祭祀の場所は、河内國交野郡柏原野とあります。~~第559話:杉ヶ本神社~郊祀とポケモン
<柏原のブドウ>
大阪府は、昭和初期(1930年頃)にぶどうの生産量で全国1位を記録してたそうです。
特に、1928年から1931年の3年間と、1933年から1935年の2年間において、ぶどうの栽培面積が全国1位となっていたこともあります。柏原のぶどうは、安土桃山時代(約500年前)の記録が残っているようで、それ以前のかなり昔から栽培されていたそうです。
私は、ブドウ栽培も邪馬台国=秦氏と関係があると思っています。おそらく交野市神宮寺のブドウ栽培が、日本最古なのでしょう。
<交野市にある邪馬台国についての記事>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




台与も葛城の生まれ: この人が卑弥呼
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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