天熊人命:桑原神社
- tootake
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第1022話
茨城県常総市の鬼怒川沿いに桑原神社(くわばらじんじゃ)があります。祭神は豊城入彦命(*1)と、天熊人の2柱です。桑原神社(*2)は、下総国(*3)岡田郡・豊田郡の総社。
天智天皇の第7皇子「志貴皇子」の孫、下総国の国司「桑原王」が宝亀3年(772年)3月、鬼怒川西岸の本屋敷と呼ばれた台地に、豊城入彦命、天熊人命を守護神として祀ったことが起源と伝えられています。
天熊人命は、神楽に登場する際は、天熊大人命となっています。
天熊人は、日本書紀で、耕・養蚕・畜産の生成の話に登場します。
天照大神は月夜見尊(*4)に、葦原中国にいる保食神(*5)という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
古事記では、この話は素盞鳴尊が大気津比売神(おおげつひめ)を殺す記述になっており、登場人物が違っていますが、このことから天熊人命=素盞鳴尊(スサノオ)とする説もあります。大気津比売神(おおげつひめ)は保食神(*5)と同一人物です。
但馬故事記では、饒速日命(*6)の田作りを手伝った天熊人命として登場します。
但馬故事記には、次のように書かれています。
「天照国照彦櫛玉饒速日天火明命は、天照大神の勅を奉じ、外祖高皇産霊神より十種瑞宝(奥津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死去玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)を授かり、妃天道姫命と与(とも)に、坂戸天物部命・二田天物部命・嶋戸天物部命・両槻天物部命・垂樋天物部命・天磐船長命・天船山命・天楫取部命・稲年饒穂命・長饒穂命・佐久津彦命・佐々宇良毘売命・佐々宇良毘古命・佐伎津彦命等を率い、天磐船に乗り真名井原に降り、豊受姫命より五穀蚕桑の種子を穫て射狭那子獄に就き、真名井(*7)を堀り、稲の水種や麦菽黍粟の陸種を為べくこれを国の長田・狭田に植え昼夜生井・栄井の水を灌ぐ。すなわち、其の秋瑞穂の稲の可美稲野面に充ち狭し。豊受姫命(*8)はこれを見て大いに歓喜びて曰し給わく「あなに愛やし。命これを田庭(*9)に植えたり」と。然る後豊受姫命は天熊人命をして、天火明命に従って、田作りの御業を補佐けしめ、而して後高天原に上り給う。その後天火明命は五穀蚕桑の道を顕国(うつしくに)(*10)に起こし、大いに蒼生を幸い給う。
~但馬故事記:吾郷清彦著より引用
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*1)豊城入彦命は、台与です。~第424話:豊鍬入姫命~日光と男体山・女峰山
*2)桑原神社の桑原は、丹波にあった桑田郡(くわだぐん)を連想させます。
第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)では、次期天皇候補の倭彦王の住んでいた場所が丹波国の桑田郡でした。敏達天皇の子に桑田皇女(くわたのひめみこ)なる人物がいます。など桑田郡には、様々な重要な人物がいたとされていることを書きました。
~第1013話:扶桑国は投馬国(丹波・但馬)
*3)第985話:下総と忌部氏~千葉県では、総国(上総国、下総国)は、ウツシコオの国であったとしました。ウツシコオは、スサノオ(津田の王)=難升米です。
*4)月夜見尊(ツクヨミ)は台与です。
~第898話:ツキヨミの正体(2):壱岐・対馬
*5)保食神(うけもちのかみ)=大宜都比売は台与です。~第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与
*6)饒速日命(ニギハヤヒ)は台与です。
~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治 ・天照国照彦櫛 玉饒速日天火明命~第420話:火明命は饒速日
*7)*真名井~第669話:元伊勢(番外編)~神呪寺:真名井御前
*8)豊受姫命は台与です。
*9)田庭(タニワ)は、丹波(たんば:タニハ)です。
丹波の地名の由来として、「諸国名義考」には「田庭なるべし」とあります。
*10)顕国(うつしくに)=宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)は、大国主神の別名です。大国主神は、ウツシコオと台与です。~第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命
第798話:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市
京都府京丹後市にある熊野若宮三社神社でも天熊人を祀っています。
崇神天皇の朝、四道將軍の一人丹波主命(たにはぬしの)の勧請と伝承されていいます。
丹波主命=丹波の大縣主:由碁理はウツシコオです。~第1007話:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)
※これらのことにより、天熊大人命(天熊人)は台与と断定できます。
天熊大人命の「天」は「あま」で大阪府交野市の天原(高天原)のことです。
~第588話:持統天皇(第41代)~高天原は交野市 第772話:安満遺跡は高天原?
「熊」は熊野のくまでしょう。~第543話:熊野の神々は
「大人」というのは、台与が13歳の子供であることの対比では、、、、、
関連項目:茨城県
第928話:茨城県の邪馬台国(1):薩都神社
第929話:茨城県の邪馬台国(2):武生神社と坂上田村麻呂
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
