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安満遺跡は高天原?

  • tootake
  • 8月12日
  • 読了時間: 6分

第772話 #海神族 #磐手杜神社 #天香語山命


「安満(あま)」は高槻市内の地名です。安満には、弥生時代の大規模な環濠集落跡「安満遺跡」があります。弥生時代の居住域・生産域・墓域が確認されており、約800年間にわたって栄えた拠点集落でした。


安満(アマ)という音は、古代日本の地名や神名に広く見られ、天(あま)=高天原=天孫降臨の神話的イメージと結びつくことがあります。 高槻市周辺は淀川水系を通じて瀬戸内や北陸方面と交流があり、神話的・文化的な伝播の可能性も否定できません。


出土した木棺の材質は主にコウヤマキ(高野槙)などの長大な木材を使用いており、これは地元では入手困難なため、遠方からの搬入が推定されており、広域交流の証とされています。 石器や木製農具、玉鋸なども出土しており、素材の産地は二上山のサヌカイト、近江高島の粘板岩、阿波の結晶片岩など多岐にわたります。これらの出土品は、淀川水系を通じた交易ネットワークの存在を示唆しています。


安満周辺には「天」や「アマ」に関係すると思われる伝承や神社がいくつか存在しています。特に注目すべきは磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)です。

磐手杜神社は、高槻市安満磐手町に鎮座し、古くは「安満社」と呼ばれ、後に春日神社と改称されました。 祭神には天児屋根命(あめのこやねのみこと)が含まれており、「天」の字を持つ神名が見られます。社伝によれば、天智5年(666年)に藤原鎌足が勧請したとされ、中臣・藤原氏との関係が深いと考えられています。


高槻市の古曽部・芝谷遺跡では、丹後地方との類似性が指摘されており、天香語山命の子孫であるアマ氏がこの地に来ていた可能性が考えられています。

出雲伝承によれば、尾張氏や海部氏(いずれもアマ系)が摂津三島に逃れてきたという説もあり、安満宮山古墳がその惜別の地だったのではないかというロマンも語られています。

「出雲と大和のあけぼの」斎木 雲州 (著)では、三島周辺の高槻市から京都府向日市にかけての一帯は、向(富)王家の領地のようになった。鶏冠井町*からは、銅鐸の石製鋳型が見つかっていますが、その鋳型の銅鐸は、古い型式の菱環紐式で、この地方に古くから出雲族が住んでいたことを示している。とありますが、古くから住んでいたのなら、それは出雲族ではなく三島族です。*第266話:鶏冠井(かいで)町~向日市


磐手杜神社の境内には安閑天皇を祀る雲峯神社が合祀されており、「天皇」系の神格も見られます。

地元の伝承では、古代の海人(アマ)氏がこの地に居住していたという説があり、「安満」の地名もそれに由来する可能性があると高槻市史に記されています。


磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)の祭神は、武甕槌命、天児屋根命、経津主命

姫大神で摂社の大将軍社では八衢比古神・八衢比売神・久那度神が祀られています。

八衢比古神・八衢比売神はウツシコオと台与です。~第442話:双体道祖神

久那度神は台与です。

安閑天皇~本朝皇胤紹運録によれば安閑天皇の子に豊彦王(とよひこのみこ)がいるといいます。豊彦王は台与(豊)でしょうか。


安満遺跡のアマは海神族(安曇族)と関連があるのではないかと思い、AIに作文してもらいました。


天香語山命(あめのかごやまのみこと)の子孫とされる「アマ氏」については、直接「アマ氏」と名乗る氏族が『記紀』や『新撰姓氏録』に明記されているわけではありませんが、天香語山命を祖とする氏族の中に「海人系(あま)」の性格を持つ一族が存在する可能性が指摘されています。以下にその背景を整理してみましょう。

  • 津守氏は、住吉大社の神職を代々務めた氏族であり、海人族(あま)としての性格が強いとされます。

  • 津守氏の祖神は天香語山命とされるため、「アマ氏」=津守氏という見立てが可能です。

  • 住吉神(底筒男・中筒男・表筒男)との関係からも、海神信仰と航海安全の祭祀を担う海人系氏族としての性格が明確です。

  • 「アマ(海人)」という呼称は、安曇氏・海部氏・宗像氏などにも見られ、漁撈・航海・水軍・製塩などを担った海民集団を指します。

  • 天香語山命の後裔氏族が海人系の職能を持つ場合、「アマ氏」としての性格を帯びることになります。

  • 津守氏の他にも、尾張氏や伊福部氏が海神祭祀や水運に関与していた場合、広義の「アマ氏」として位置づけることも可能です。


  • 「アマ氏」という固有氏族名は存在しないが、天香語山命を祖とする海人系氏族(津守氏など)が「アマ氏」と呼ばれる可能性がある。

  • 特に津守氏は、住吉神との関係から海人族の性格が強く、天香語山命の後裔として「アマ氏」の代表格と見なせる。

  • この系譜は、海人族の宗教的・政治的ネットワークの中で重要な位置を占めていたと考えられる。


天香語山命(アマノカゴヤマ)は台与です。天香語山命=五十猛命(いそたける)説:

海部氏系図に「天五十楯天香語山命」とあり、天香語山命は五十猛命と同一視されています。~第736話:イタケルは台与(1)


第588話:持統天皇(第41代)~高天原は交野市では、高天原は大阪府交野しとしています。高槻の隣が枚方でその隣が交野市です。


関連項目:第309話:邪馬台国は北摂!!


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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tootake
Aug 11
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