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大国主:創られた神

tootake

更新日:1月15日

第562話 #大国主 #邪馬台国 #タケミナカタ #タケミカヅチ


そもそも出雲神話は建御雷神(タケミカズチ)や建御名方神(タケミナカタ)など国譲り神話に登場する神々が出雲と関係ない神であることから、この出雲神話は中央(大和政権)の創作であると見る説があります。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業


・タケミカヅチ(雷)はイカヅチからの連想で、イカは近江国伊香郡(いか)と大阪府枚方市の伊加賀(いかが)にちなむものです。ちなみに伊香刀美(いかとみ)=梨迹臣命(なしとみのみこと)は中臣氏(のちの藤原氏)の祖のいかにちなむものです。


・タケミナカタは南方刀美神と書くのが正しく、南方は大阪市の地名です。

新大阪の隣が地下鉄の西中島南方です。南方はかつて大阪湾と河内湖との海峡にある重要な拠点でした。阪急の南方駅もあります。


大国の国主という意味であり、人格神的な面が強いことから、大国主神は新しい神名とみられます。なお、大国主神の神名は、大物主・事代主・一言主と一連の類概念による名と解する説もあり、新撰姓氏録では大神朝臣や賀茂朝臣など大国主神を祖とする氏族がいますが、古事記では後裔氏族は記されていません。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業


上代文献を見ると、万葉集や風土記などには大国主はオホナムヂ(大穴持ち=大名持ち)の名で記され、大国主神の名は見られないことから、少なくとも、八世紀頃までは地方の伝承に根を下ろすことはなかったと考えられています。そのため、大穴牟遅神など他の神名とは異なり、大国主は、古事記において創作された神名、つまり朝廷で作られた名であると指摘されています。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業


大物主・事代主・一言主、そして櫛名田比売(クシナダ姫)といった神も出雲大社を創建する際に、考え出されたのです。和銅元年(708年)に藤原不比等: 正三位大納言に昇進しています。出雲大社はこの頃に建てられたはずです。出雲大社の祭神である大国主神には180ともいわれる多くの子神がいるとされていますが、出雲国造家の系図はどの子神にもつながりません。古事記によれば、出雲国造の祖は天照大御神の子神・天穂日命(アメノホヒ)と、その子神・建比良鳥命(タケヒラトリ)だとされています。


・天穂日命(アメノホヒ)はおそらく台与です。→アメノホヒは台与(豊)


古事記では大国主神と名が変わった後、少名毘古那神と国作りを行いますが、「大穴牟遅(大穴持ち)と少名毘古那と二柱の神、相並に此の国を作り堅めき」とあるように、ここのみ大国主神の名ではなく大穴牟遅神が記されています。これは、少名毘古那神と一対の関係にあるのが大穴牟遅神であったと捉えられていたためで、古事記の場合、元来あった(実在した)二神の神話を大国主神の名の下に習合したことから上記の箇所のみ神名が異なると考えられています。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業 

元来あった二神の神とは、スサノオウツシコオ(内色許男命)と台与(豊)です。


古事記では少名毘古那神との国作りの後、国作りの一環として大物主神の祭祀が記されています。これは、大国主神・大物主神による政治的な国作りが新たに開始されたと捉えられています。大国主と大物主神との関係については記紀・祝詞において差異があり、古事記では二神を別の神としています。大国主神はスサノオウツシコオ(内色許男命)で、少名毘古那神=大物主神=台与(豊)です。~少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 


日本書紀八段一書六では、大物主神は大己貴神の幸魂・奇魂であると記されていますが、古語拾遺では「大己貴神:一の名は大物主神。一の名は大国主神。一の名は大国魂神なり。大和国城上郡大三輪神是なり。」と別名に大物主神の名が見えることから、これらの文献では大国主神と大物主神は同一の神とされています。二神が同一化されたことの背景には、ヤマト朝廷の威力が全国を蔽うようになったことが想定されています。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業 


そして、高天原の神による葦原中国の平定の際には、子の事代主神・建御名方神と建御雷神の交渉を経て、大国主神は殿舎の創建を要求して天神らに葦原中国を譲り渡します。


大穴牟遅神(ウツシコオ)が、葦原中国の国作りを始めます。その後、大国主神となったこの神は、少名毘古那神(台与)や御諸山*の上に坐す神とともに国作りを行います。


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卑弥呼の死後、スサノオウツシコオ(内色許男命)は自らは大王にならなかったことは、魏志倭人伝により明らかです。ウツシコオは13歳の少女:台与を大王として即位させたのです。台与が初代天皇であることを知られたくない藤原不比等は出雲神話を創作し、出雲の神として大国主を創作したのです。


*御諸山の御諸とは、御室戸、神の傍の意で三室戸との説もあります。この場合は単に地名を指し、山城南部(京都府宇治市)を指すものと思われています。~『竹取物語』を通して考える「隼人」と「丹波国造族」の関係 : 神社から考える古代史ー日子坐王ノート

宇治市はウツシコオでの拠点地です。宇治はウツシコオ(内色許男命)のウチ(内)です。~邪馬台国は巨椋池


関連項目:第408話:出雲の神々の正体!


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>






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3 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jan 14
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なぜ杵築という文字がダメなのかといえば、最初に挙げた「杵」という文字が、「さからう」という意味を隠し持っているからである。~杵築大社が出雲大社と改名した理由 | 時間探偵


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jan 14
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jan 13
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台与シリーズ>

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