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地神さん~広島県福山市瀬戸町

  • tootake
  • 15 時間前
  • 読了時間: 6分

第1130話


前回:馬上八幡神社と恐ろしい者では、次のように書きました。


緒方惟栄は、平家物語の巻八で「恐ろしい者の子孫」として語られています。

恐ろしいものとは、日向国・高千穂明神の化身とされる巨大な大蛇(蛇神)です。

平家物語の伝承によれば、緒方惟栄の先祖は次のような出生譚を持ちます。

備後国片山里の娘のもとへ、夜な夜な正体不明の男が通っていました。


この備後国の「片山」の地は、現在の広島県福山市瀬戸町地頭分(じとうぶん)付近にあたります。古代の律令制における「郷(里)」や荘園制度の区分では長和庄(ながわのしょう)などの領域に含まれ、中世にはこの地域に「片山城」などが築かれていました。

この備後国片山里(〒720-0837 広島県福山市瀬戸町地頭分)に史跡:地神碑があります。


自然石に大きく「地神:じじん」と刻まれたもので、これにしめ縄が巻かれ紙垂が下がっています。そうした地神碑は広島県東部、中でも福山地域に広く分布しています。


岡山県南部一帯では五角形の石柱が地神碑として多く分布しており、この五角形の地神碑の側面には「天照大神・倉稲魂命・埴安媛(姫)命・大己貴命・少彦名命」の五神名が刻まれています。地神碑は村道や耕地の道端にあるだけではなく、地蔵尊や辻堂のそばでも見かける事があり、笹竹が立てられしめ縄が巻かれていることから今でもこの地域では人々による地神講によって祀られています。


地神碑は、地神信仰と田の神の信仰は類似点が多くみられます。

「因島、向島、岩子島、生口島あたりに現存する「地祝い」の信仰と、田の神信仰の形は全く同一といっていいほど近似している。」と神田三亀男氏は『ふるさと広島の民俗』(広島民俗第三十一号)の中で述べておられます。


因島市重井町(現尾道市)や豊田郡瀬戸田町(現尾道市)には地神祭りという信仰行事が毎年一月十一日に行われています。


・『文化財ふくやま 第22号』(地神さまによせて 藤井恒太郎)

地神さんは農耕の神として祀り、小集落の農家ごとに地神講がつくられている。地神講では、春分・秋分の日にもっとも近い戊の日を社日と決めその日を『お社日様』と呼び土地の神、五穀の神を祀り祝う


・『沼隈町誌 民俗編』

この地神さんは土の神とされ、農民を守り、稲の生長を助け、豊かな実りを保証した。人びとは地神さんに手を合わせ、供え物をし、春と秋の二回、彼岸の中日に近い戊の日(社日)に講中の全戸が集まって行った。この祭りの日、人びとは農作業や土いじりを休み、当番は注連縄を張り替えて幟を立て、米や酒などを供えて準備し、神職が祝詞をあげ参拝者が御神酒をいただいて神事を終える。神事が終わると当屋や集会所に集まり、当番が準備した煮しめや豆腐汁などで会食をした。また、講によっては当番が集めた米でにぎり飯を作って地神さんに供え、お参りしてきた子どもにこれを配るところもあった


・『福山市農協十周年』(昭和50年)

父祖伝来の敬神、大地自然の恵みへの感謝はいつの時代でもたいせつであり、特に農耕、養畜に従事する者は、地神社の神意を畏敬したいものである。地神社は八幡社に並んで古くから地方住民に親しみ拝まれ、春秋の社日には隣保の人たちが供えた神酒と手作りの季節料理を飲食し、よもやま話に花を咲かせながら、共存共栄、相互扶助を誓い合ったものである。この趣旨をいつまでも大切に後世に残したいことから、市農協は地域に散在して祭られている地神社の祭祀にお供えとして、昭和四十八年三月、約三百八十万円支出した

・『沼隈町誌 民俗編』

この地神さんは土の神とされ、農民を守り、稲の生長を助け、豊かな実りを保証した。人びとは地神さんに手を合わせ、供え物をし、春と秋の二回、彼岸の中日に近い戊の日(社日)に講中の全戸が集まって行った。この祭りの日、人びとは農作業や土いじりを休み、当番は注連縄を張り替えて幟を立て、米や酒などを供えて準備し、神職が祝詞をあげ参拝者が御神酒をいただいて神事を終える。神事が終わると当屋や集会所に集まり、当番が準備した煮しめや豆腐汁などで会食をした。また、講によっては当番が集めた米でにぎり飯を作って地神さんに供え、お参りしてきた子どもにこれを配るところもあった。

と書かれています。


これらのことにより、地神さんは「天照大神・倉稲魂命・埴安媛(姫)命・大己貴命・少彦名命」であり、農耕の神であることが分かります。

倉稲魂命は、稲荷神(宇迦之御魂神:ウカノミタマ)で台与です。~ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

大己貴命・少彦名命も台与であることは、このブログで書いてきました。

~大己貴命(おおなむち=大穴持ち):第798話:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市


この五神は古事記と日本書紀とでは、その出自、神名、神徳なども異なるので各石塔によって表現は多少違っている。①の神は日本の神々の象徴で、国作りの基本である農耕の神として、信仰の中心になるのは当然である。

②の神は大国主命のことである。この日本国土で生え抜きの神で、原初的国作りの神である。

③は小人神であるが大国主命を助けて国作りをなし、特に医療、穀霊を司り、常世の国にかえるという永遠の生命の象徴である。

④は伊勢外宮の豊受大神に象徴される食物の神で、稲荷神とも関連がある。

⑤の「ハニヤス」は土を練って柔らかくするの意で、土作りは農の基本だという現代の篤農精神にマッチするような神である。~地神塔のいろいろ(地神さん)


前回:馬上八幡神社と恐ろしい者で書いた緒方惟栄は、恐ろしい者子孫でした。

そして恐ろしいものとは、巨大な大蛇(蛇神)で、その大蛇は大物主(=台与)で備後国片山里に通っていました。


緒方惟栄の先祖の大蛇=大物主が台与であるとすれば、備後国の「片山」の地は、現在の広島県福山市瀬戸町地頭分の「地神」が台与であることになります。


台与は、日本各地で農耕の促進をしてきたとこのブログでは書き続けています。


{参考資料}


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

3件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
7時間前
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波小僧 - Wikipedia

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井伊谷川とその支川神宮寺川では、昭和49年7月洪水で破堤し、都田川の氾濫と相まって激甚な浸水被害が発生している。昭和47年度からの改修で、この浸水被害対策を進めているが、未だ完了していない。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
15時間前
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<台与シリーズ>

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