御牧と言う地名あり下流域に水巻町
- tootake
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更新日:2 日前
第961話
「御牧と言う地名あり、下流域に水巻町あり、みまき大橋あり。遠賀川流域です。」
このブログを読んでくださった方より、上記のような情報をいただきました。
これは、このブログの第13話:古代史研究者の勘違い ~枚方市牧野を読まれたからでしょう。邪馬台国は、御牧国(枚方市牧野周辺)であると書いたからです。
水巻町に、みまき大橋があるというこは、水巻は「みまき」と読むことができるので、この福岡県の水巻も邪馬台国であったのではないかと思われるのです。
水巻町は福岡県の北部に位置し、東の北九州市と西の遠賀川に挟まれた南北に細長い町です。かつて石炭産業の町として栄えましたが、炭鉱閉山後は、北九州都市圏内のベッドタウンとして発展をみています。
水巻町には、遠賀川式土器で知られる弥生時代の立屋敷遺跡があり、日本武尊(ヤマトタケル)と砧姫(きぬたひめ)の恋物語が伝わるなど古代ロマンに満ちた町でもあります。
福岡県遠賀郡水巻町立屋敷に八剱神社があります。祭神は、ヤマトタケルと砧姫です。
第十二代景行天皇の御代、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地にて砧姫を娶られた。
尊が東国征伐の帰途、崩御されたのを聞き、尊の仮宮跡に社祠を築き「御館大明神」として祭ったのが、この八剱神社の起源です。
砧姫の郷土説話があります。水巻町立屋敷の八剣(やつるぎ)神社境内「霊樹之碑」や遠賀町老良神社鳥居脇の碑に、漢文でその概要が記されています。
これは日本武尊の征西物語の裏話といった形をとっておりますが「砧」という名は、芦屋*の某の妻をシテとする有名な謡曲の題とも同じです。そこでこの二つの話を結びつけて、姫の住まいは芦屋にあったのだ、謡曲は姫をモデルとして書かれたものなのだ、という説もあります。
日本武尊は、南九州の熊襲を征伐するために、まずこの地へ来られ、舟を着けたのが水巻で、しばらく住んでおられたので、ここを館屋敷(たてやしき)と呼ぶことになった。
ある日、尊が屋敷を出て付近を散歩していると、砧を打つ音が聞こえて来た。近寄って見ると一軒の民家があって、そこには美しい一人の娘がいた。どういう素姓かとたずねて見ると、娘がいうには、実は自分は都の宮殿で天皇の身近に仕えていたのだが、同輩のねたみを受けて、いたたまれず、ここまで逃げて来て身をかくしている。そういう返事を聞いた尊は、その娘を自分の屋敷に連れて帰り、砧姫と名付けて可愛かった
やがて尊は姫をここに残して熊襲征伐に行き、終ってまたここへ帰って来た。そのとき姫は尊の子を身ごもっていたが、尊は急ぎ都へ帰らねばならない。そこで泣く泣く別れを告げ・自分.の形見にせよと、屋敷の前に銀杏の苗を植えて行かれた。それが今に残るあの大銀杏である。
*福岡県遠賀郡芦屋町の神武天皇社は、神武天皇が東征の途中に立ち寄った「岡田宮」伝承地です。古事記、日本書紀に記された神武天皇の東征の際、筑紫の岡田宮(芦屋町付近)に1年間滞在した場所とされています。神武天皇は台与です。
遠賀川上流に枚方を思わせる直方という地名があり、遠賀川支流の犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する天照神社(てんしょうじんじゃ)は、古代から中世に栄えた粥田荘の惣社として 古くから人々の信仰を集めた神社として知られています。
天照神社の由来は、貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が垂仁天皇十六年に宮田町の南に聳える 笠置山頂(四二五メートル)に降臨し、同七十七年に笠置山頂に奉祀したことに始まるされています。
饒速日(ニギハヤヒ)も台与です。
水巻も台与(=神武天皇=饒速日)が居た地であることは間違いなさそうです。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>



<台与シリーズ>
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