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宇美八幡宮と荒木武彦

  • tootake
  • 5月26日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月26日

第1059話 #須玖岡本遺跡 #奴国


福岡県の中西部に春日市があります。この春日市は、魏志倭人伝に書かれている奴国や伊都国の中心であったとされています。


春日市には、須玖岡本遺跡があり、弥生時代を中心とする60以上の複数遺跡があり、青銅器生産遺構を持ち、古代奴国の中心地をなす大遺跡群であったと考えられています。


春日市北東に接する大野城、かつての大野村には、「大野の邑(むら)に赴かれた神武天皇は、田中の庄の邑長: 荒木武彦の奉迎を受け、武彦の案内で宇美に進む際、四王子山(大城山) に使いを立て、山上に武甕雷(タケミカズチ*)を祭って王城の鎮守とされた」とする伝承があります。*タケミカヅチは台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!!


春日市と大野城わずか1㌔弱の至近距離であることから、 伝承の大野村はかつての奴国の領域内にあったものと思われます。


神武一行は次に奴国の北東約6㌔の宇美八幡宮に向かっており、この宇美は、魏志倭人伝にかかれている不弥(ふみ)国と思われます。倭人伝では、奴国の次に「東行 不弥国に至る百里」と記しています。


宇美八幡宮といえば、神功皇后が応神天皇を出産された地として有名ですが、そこには巨大な楠の古木が林立しており、「蚊田(かた)の森」とも総称されています。この辺りは、

古代では「蚊田の里」と呼ばれていたようで、鞍手(くらて*)郡誌によればその蚊田の里 の項に「荒木(武彦)の女(むすめ)志津姫が(蚊田)皇子を生まれた地」とあり、蚊田皇子は神武天皇の皇子と伝承されています。


宇美八幡宮(うみはちまんぐう)は、福岡県糟屋郡宇美町宇美にあります。安産の神として信仰されています。祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉大神、伊弉諾尊です。

社伝「伝子孫書」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地とされ「宇美」の地名も「産み」に由来するという説が一般的です。


この蚊田皇子というのは、応神天皇=台与ではと思ってしまいます。蚊田(かた)は私が邪馬台国とする枚方(ひらかた)の「かた」です。


荒木武彦は、荒田別(あらたわけ)であるとされるのは、「天孫降臨の道」の著者 上垣内憲一先生です。宇美八幡宮の神官は神武(こうたけ)氏で、その祖が筑紫の豪族である荒木武彦です。


荒田別について、日本書紀に「倭・百済による新羅攻撃が計画され、荒田別と鹿我別(かがわけ)を将軍に任命し、卓淳(とくじゅん)国に至り、百済の木羅斤資、沙沙奴跪(ささなこ)の増兵を得て、新羅を討ったとあります。


・荒田別(あらたわけ)は、上毛野君(かみつけのうじ)の遠祖でとされています。

第985話:下総と忌部氏~千葉県では上毛野=上総国は、ウツシコオの国と書きました。鹿我別も、上毛野君・吉弥侯部の遠祖で、神功皇后の時に朝鮮へ派遣されたといいます

・第523話:荒田別・鹿我別・千熊長彦では、荒田別と鹿我別もウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王と台与(豊)としています。


福岡県古賀市筵内(むしろうち)に熊野神社にあり「神武天皇東征のとき、 船を海浜につなぎ、この山に登って腰をかけた石を御腰石と云う。田中熊別(くまわけ)が、ここまで従軍したが 老齢の故をもって別れを告げた」とあります。九州に熊野神社があるのは、熊野=台与だからです。~第543話: 熊野の神々

荒木武彦は、先述したように田中の庄の邑長でした。この田中熊別もスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米でしょう。


宇美八幡宮の「宇美」は、魏志倭人伝にかかれている不弥(ふみ)国だとする説もあります。日本考古学会では不弥国は福岡県飯塚市立岩遺跡群を中心地に比定しています。

飯塚市は、宇美八幡宮とそう遠くないので、宇美(うみ)は、不弥(ふみ)国だとしても中らずと雖も遠からずということです。


※「宇美」は「産み」を連想させ、応神天皇や蚊田皇子がこの地で生まれたという伝説が創作されたのです。


関連項目:第961話:御牧と言う地名あり下流域に水巻町

    :第962話:北九州と神武天皇(=台与)

    :第997話:大興善寺~基肆郡(肥前風土記)

    :第998話:一大卒と大宰府


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>









 
 
 

3件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5月26日
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5月25日
5つ星のうち5と評価されています。

皆さん、こんにちは!古代史のロマンを追いかける私たちが、また一つ、興味深い場所と物語に出会いました。今回は、福岡県春日市から始まる、知られざる古代日本の秘密に迫る旅にご一緒しませんか?

須玖岡本遺跡と奴国の中心地

福岡県の中西部に位置する春日市。ここには、弥生時代を中心に60以上の遺跡が集まる須玖岡本遺跡があります。青銅器の生産遺構も見つかっており、かつてここが古代奴国の中心地だったと推測されているんですよ。想像するだけでワクワクしませんか?

神武天皇の足跡と不思議な伝承

さらに、春日市に隣接する大野城市には、神武天皇にまつわる興味深い伝承が残されています。かつて「大野の邑」と呼ばれた地で、邑長であった荒木武彦氏の案内で宇美へ向かう途中、四王子山(大城山)に武甕雷(タケミカヅチ)を祀ったというのです。そして、一行が向かった宇美は、魏志倭人伝にも記されている「不弥国」ではないかと考えられています。奴国から東へ百里の道のり… この地域が、古代日本の重要な舞台だったことが伺えますね。

この伝承について、さらに詳しく知りたいと思いませんか?荒木武彦氏や、タケミカヅチ(台与)との関連など、ブログでさらに掘り下げています。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5月25日
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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