天武天皇は台与(3)~尾張氏と大海人
- tootake
- 8月2日
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更新日:8月2日
第762話
前回:天武天皇は台与(2)では、大海人(天武天皇)と東漢氏の軍事支援について述べましたが、 壬申の乱では、尾張連の一族である尾張大県(おおわりのおおあがたぬし)も大海人皇子(後の天武天皇)を積極的に支援しました。
吉野宮を出発して関東へ向かう大海人皇子に対し、尾張大県は、自らの私邸を掃除し一時的な行宮として提供 し、それ以外にも、軍資(金銭や食糧・兵站物資)を調達して補給を助けとされています。日本書紀では名が直接挙がらないものの、続日本紀その功績が記録されています。
第729話:ウマシマジ=彦火明命は台与2で書いたように、尾張氏の祖とされるのは天火明(アメノホアカリ)です。先代旧事本紀では、饒速日命(ニギハヤヒ)の別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊として、)天火明と同一人物としています。このブログでは、天火明も饒速日もすでに台与としています。
ところで、大伴皇子から大海人皇子側に寝返った人物がいます。
尾張国司の小子部;連鉏鉤(ちいさこべ の さひち )です。壬申の年の6月24日に行動を起こした大海人皇子は、挙兵して吉野宮から伊勢国に入り、27日に美濃国に移ります。その日、不破郡の郡司にさしかかったころに、尾張国司守小子部連鉏鉤が2万の衆を率いて加わります。大海人皇子は鉏鉤を誉め、その軍を分けて処々の道を塞ぎ大友軍に対抗します。
僅かな時日で2万の兵力を動かしたことについて、後代の歴史学者は、5月に朝廷(大伴皇子)が山陵造営のためと称して美濃と尾張の人夫を動員し、武器を渡したこととの関係を指摘しています。大海人皇子を討つために国司に用意させた兵力が、国司の判断で当の反乱に参加したのです。
小子部;連鉏鉤は壬申の乱で多大な功績があるにもかかわらず、鉏鉤は山に隠れて自殺したとされています。大海人皇子も「鉏鉤は功ある者である。罪なくしてなぜ自殺したのか。これは陰謀があったのか」と言ったとされています。鉏鉤は近江朝と通じていたのかもしれないとも考えられますが、真相は不明です。天武朝以降、小子部氏の嫡流は宿禰姓に改姓しており、これは功績を認められた証でもあります。
小子部連(ちひさこべのむらじ)は、古代の品部(ともべ)に属する伴造氏族で、宮中の雑務や儀礼に関わる役職を担っていたとされています。新撰姓氏録によれば、小子部連は多氏(多臣)の一族とされ、神八井耳命(神武天皇の第三子)を祖とする皇別氏族に連なると記録されています。
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<蛇足の追記>~小子部氏、多氏、猿女君、太 安万侶、稗田阿礼(ひえだのあれ)
・ 小子部氏は後に猿女君(さるめのきみ)などの巫女的役割を担う女性を輩出した氏族ともされ、宮廷儀礼に深く関与 しています。
・古事記や系図資料では、小子部連が多氏から分出する分家として記録される一方、猿女君も多氏系の一族として名を連ねる例が見られます。氏姓制度の再編期には、八色の姓制定で多氏が朝臣に昇格した際、猿女君も同様の新称姓を得た可能性が指摘され、当時の氏族ネットワークを理解するうえで重要な視点となります。
・太 安万侶(おお の やすまろ)は、元明天皇から稗田阿礼の誦習する帝紀、旧辞を筆録して史書を編纂するよう命じられ、翌和銅5年(712年)に古事記として天皇に献上したとされています。元正朝の霊亀2年(716年)太氏(多氏)の氏長となっています。
第532話:稗田阿礼は藤原不比等?!では、「奈良県大和郡山市稗田町に賣太神社(めたじんじゃ)はあります。古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)とし、天鈿女命(アメノウズメ)、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀っています。」と書きました。
なぜ、稗田阿礼が天鈿女命(アメノウズメ)=猿女君と同じ神社に祀られているのか不明でしたが、どうやら古事記、日本書紀の創作に関係しているようです。
稗田阿礼=アメノウズメ=台与とすると、どうでしょうか。
台与の活躍を記録した資料が残っていて、その記録が自体が稗田阿礼で、その記録を編纂したのが、太 安万侶ということです。
多氏の祖は神八耳命です。神八耳命は台与です。~第537話:神八耳命は台与(豊)
<天武天皇は台与>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
【maimai】天火明命100.7正攻全外键脑梗手元_哔哩哔哩bilibili_MAIMAI




中臣印達神社:権現は台与
<台与シリーズ>
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