大国主と出雲の嘘
- tootake
- 2 日前
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第799話
前回:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市:ではヲナンジ=オオナムチの事を書きました。(藤原不比等?)は、このオオナムチ=大穴持ちをヒントにして大国主なる神を創作し、そのことを本当のように思わせるために、わざわざ島根県に杵築大社(出雲大社)を創建したというのが私の持論です。~第787話:中臣鎌足は、
風土記自体は成立期(713年)に国ごとにまとめられた地誌です。
出雲風土記の本文では,「オオクニヌシ」の名は散見されるものの,「オオナムチ」「オオナモチ」としての登場は確認できません。地名由来や社伝の文脈で「大国主」の名義のみが用いられています。
出雲大社をはじめ周辺の神社の多くは祭神を〈大国主命〉と掲げ,社伝や口碑では「オオナモチ」など俗称的に呼ぶこともありますが,本文史料として「オオナムチ」の表記で独立した神話的エピソードが残るのは古事記、日本書紀のみといえます。
結論として,出雲地域の代表的古資料である「出雲国風土記」ではオオナムチという固有表記では登場せず,あくまで「大国主」「大国主命」の枠内で語られます。
前回:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市:では、奈良県の桜井市に、ヲナンジという地名があり、この「ヲナンジ」は、実際には「大己貴(おおなむち)」と記されており、大神神社の祭神である大物主神と同一視される神格です。地名そのものが神名を表しており、土地が神の依代(よりしろ)として認識されていた可能性があります。三輪山を御神体とする大神神社は、大己貴命を祀る古社であり、ヲナンジの地名が残る地域はその信仰圏に含まれます。
つまり、ヲナンジ=オオナムチ(大穴持ち)が大国主の本来の名称で、出雲大社に祀られている大国主は、後からつけられた名前であるのです。オオナムチ(大穴持ち)の大穴とは鉱山のことであることはこのブログで何度も述べています。そもそも邪馬台国の時代には出雲には鉱山がなかったのです。~第603話:鉱物と邪馬台国(1)~出雲と鉄
そして大国主の子とされる事代主*を祀った神社は出雲には一つもありません。他の出雲系の神々も出雲との結びつきはみられません。出雲系の神々の始祖スサノオ信仰の中心が紀伊国(和歌山県)にあり、須佐神社もあります。大和国には、出雲系とみられる石上神社、大神神社もあります。これらを考え合わせると、出雲文化圏の中心地は大和国から紀伊国にかけての地方であったと推測することができます。また、出雲系の神々は四国、中国、近畿、中部地方と広範囲に分布しています。事代主は、三島の溝杭とされています。三島は私が邪馬台国とする地です。~第6話:三島(御島)本当の奈良 第1話:邪馬台国はミマキ国 ~枚方
古事記によると大国主神(大己貴神)は、国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処のように、太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造ってほしい」と要求し、 その結果、出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」が造営されたとされます。
2000年(平成12年)に出雲大社の境内で発掘された巨大な柱「宇豆柱(うづばしら)」は、鎌倉時代前半(13世紀)に造営された本殿のものと考えられています。
推定年代:科学分析や文献調査から、宝治2年(1248年)造営の本殿を支えていた柱とされています。
関連資料:「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」という古代の設計図に描かれた柱構造と一致。
この発見は、神話に登場する「柱は高く太く、千木は天に届くほど」という表現と見事に呼応します。つまり、神話的壮麗さが実際の建築に反映されていたことを示す、非常に象徴的な考古学的証拠なのです。しかし「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」の正確な作成年代は不詳ですが、考古学的・文献的な状況から、鎌倉時代前半(13世紀)頃に描かれた可能性が高いと考えられています。
以上のことから、大国主と出雲大社が創作されたのは、古代(邪馬台国の時代)ではなく、藤原不比等が誕生(659年)して以降であることは、確かです。台与、ウツシコオが生きていたのはBC200~300年で、出雲大社が創建されるかなり前です。
*事代主=八咫烏=スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。
※大国主は台与です。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
出雲大社が初めて文献に記載されるのは、950年頃の平安時代です。

長柄神社 (御所市) - Wikipedia
<台与シリーズ>
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https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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