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地名から読み解く邪馬台国


出雲と台与
第1032話 このブログでは、第603話:鉱物と邪馬台国(1)~出雲と鉄で書いたように、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与は出雲には行ったことがないはずだとしてきました。 しかし、第1030話:国引き神話の真実では、出雲の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)=淤美豆奴神(オミヅヌ)は台与であるとしました。 ならば、台与は出雲に来ていたことになります。 そこで出雲の地名(古代)を調べてみました。 出雲にも、健部郷があったことに気づきました。 出雲国風土記:出雲郡条には、「健部郷:たけるべごう・という郷名がはっきり記録されています。 地名の由来についても詳細に説明されており、 宇夜里(うやのさと)景行天皇が倭健命(ヤマトタケル)の名を忘れないために「健部」と改名し、 神門臣古弥(かんどのおみ・こみ)を健部に任じたとあります。 ヤマトタケルは台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与 第699話:https://www.hidemaru3375.com/post/ヤマトタケルの足跡を訪ねて-9-
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4月29日読了時間: 4分


播州清水寺(2)
第1031話 先日(2026.4.23)播州清水寺に行ってきました。2回目です。 寺伝では、およそ1,800年前(古墳時代)に天竺の僧:法道*がこの地に住み、鎮護国家豊作を祈願し、この清水寺を創建したともされています。この地は水に乏しく、水神に祈ったところ霊泉が湧水し、そのことに感謝して「清水寺」と名付けられたといいます。 ~第865話:播州清水寺:法道仙人 *天竺の僧:法道がスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米であることは、第1016話:法道仙人と水軍で書きました。 前回来た時には、気づかなかったのですが、この播州清水寺は、坂上田村麻呂と弁慶とも関係のある所です。坂上田村麻呂、弁慶の伝説はウツシコオの伝説であることは、このブログで何度も述べてきました。 ・坂上田村麻呂がこの播州清水寺に刀を奉納したしたことが、でかでかと掲示されてました。 ・弁慶が使ったという古びた碁盤が本堂の中に展示されていました。弁慶は書写山からきて囲碁を打ったそうです。 <坂上田村麻呂の伝説> 第840話:坂上田村麻呂:田村神社 第841話:hidemar
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4月28日読了時間: 4分


国引き神話の真実
第1030話~台与の日本統一 #八束水臣津野命 #淤美豆奴神 国引き神話は、出雲風土記の冒頭、意宇郡の最初の部分に書かれています。 出雲風土記では、最初に作られた出雲国は、「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったといいます。 「狭布」とは、細長い布のことです。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせます。できた土地が現在の島根です。 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の別名は、淤美豆奴神(オミヅヌ)です。 八束水臣津野命は、日本書紀には登場せず、古事記では須佐之男命(スサノオ)の4世孫とされています。 淤美豆奴神は、水にまつわる神と考えられています。「淤」は「大」の音約、「美豆」は「水」、「奴」は「主」で、名義は「偉大な水の主」という意味です。 第1025話:映画国宝と天知迦流美豆姫で書いたように、「美豆」は京都府京都市伏見区淀美豆町のことです。そして「美豆」は台与のこ
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4月27日読了時間: 5分


事任八幡宮:静岡の台与(3)
第1029話 #己等乃麻知媛命 #事任八幡宮 事任八幡宮(ことのまま はちまんぐう)は、静岡県掛川市八坂にあります。 主祭神は、己等乃麻知媛命 (ことのまちひめのみこと)で、己等乃麻知媛命は、興台産霊神*の妻神で、天児屋命*の母とされています。 配神は、息長帯姫命 (神功皇后)、誉田別命 (応神天皇)、玉依比売命で3柱合わせて八幡大神とされています。八幡大神は台与です。 *興台は台与を思わせます。台与は、壹與とも表記されます。魏書東夷傳の倭人之条には「壹與」と記載されています。 *天児屋命は、ウツシコオです。~第349話:天児屋命はウツシコオ!! 事任八幡宮は、東海道沿いにあって、難所であった小夜の中山の西側の麓にあたることや、「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄り、また江戸幕府も朱印高百石余りを献上するなど崇敬を集めました。 また古くから多くの書物がこの社のことを記しており、平安時代には清少納言の「枕草子」や多くの和歌、鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には十返舎一九の「東
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4月26日読了時間: 6分


大井川と大井神社:静岡の台与(2)
第1028話 #法多山・尊永寺 箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川と唄われたように大井川は、東海道の最大の難所でした。大井川は、何度も洪水も繰り返したことから、流域では大井川に対する信仰が深く、大井神社が50社以上も分布することが知られています。 静岡県島田市大井町にある大井神社(おおいじんじゃ)は、それらの中で中心的な存在です。一方で大井川は農耕に欠かせない存在です。洪水、農耕と言えば台与です。 台与は、各地の暴れ川の治水工事を行い稲作を行ってきたことは、このブログで延々と書いてきました。 第808話:邪馬台国と大河(1):天竜川:矢奈比売神社 第809話:邪馬台国と大河(2):千曲川:伊豆毛神社 第810話:邪馬台国と大河(3):信濃川:金峯神社 第826話:保津川と葛野大堰では、秦氏=台与の治水工事について述べました。 第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)で書いた丹波国桑田郡にある大井神社(京都府亀岡市大井町)は洛西松尾大社から大堰川を遡上した地にあり、洛西にも大井神社が嵯峨渡月橋の近く(京都市右京区嵯峨天龍寺造
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4月25日読了時間: 5分


天白磐座遺跡:静岡の台与
第1027話 天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)は、静岡県浜松市浜名区引佐町(いなさちょう)井伊谷(いいのや)にある古代祭祀遺跡です。静岡県指定史跡に指定されており、指定名称は「渭伊神社境内遺跡」です。 静岡県西部、神宮寺川と井伊谷川により形成される小盆地(井伊谷)の北西部、渭伊神社)後背の薬師山山頂において、巨岩群を神の依代(磐座)*とした古代祭祀遺跡です。1988年(昭和63年)に祭祀遺跡と確認され、1989年(平成元年)に発掘調査が実施されています。磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成された大規模なもので、特に西岩の西壁直下では、古墳時代の手づくね土器200以上・滑石製勾玉・鉄矛・鉄刀・鉄鏃・鉇など、古墳時代前期後葉から平安時代中期の祭祀遺物が検出されています。 この天白磐座遺跡については、神宮寺川が井伊谷に流入する喉元にあたる位置にあることから、水源(水分)*祭祀の性格が指摘されています。 *磐座(いわくら)は台与のキーボードです。~磐衝別命と健磐龍命 「長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造り
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4月24日読了時間: 5分


軽は台与~軽の酒折池・軽井沢
第1026話 古事記、日本書紀には「軽」という固有名詞が時々出てきます。 人名では、軽大娘皇女、木梨軽皇子、軽皇子(孝徳天皇)、軽皇子(文武天皇)などです。 他に允恭天皇の皇女の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)がいます。軽大娘皇女は、衣通郎女(そとおりひめ)としてよく知られています。 衣通郎は台与です。~第398話:衣通姫(そとおりひめ) 衣通郎*は、美しさが衣を通してあらわれているという意味です。 木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)は、軽大娘皇女とは同母の妹であり、允恭天皇の第一皇子、皇太子です。日本書紀で容姿が美しかったことが記されており、美男子であることが強調されています。木梨軽皇子は、実の妹である軽大娘皇女と通じたことで、伊予*に流されます。しかし、この話はフィクションです。軽大娘皇女、木梨軽皇子、軽皇子(孝徳天皇)、軽皇子(文武天皇)はすべて台与のことです。 古事記:大国主条の最後には三諸山の上にいる神、大年神の神統譜が掲載されて、この大年神の妻神一人の天知迦流美豆比売について、古事記伝は「美豆」を「みづみづしき意」として地名の「軽」に関
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4月23日読了時間: 5分


映画国宝と天知迦流美豆姫
第1025話 ~京都市伏見区淀美豆町 前回: 御井神の系譜(2):越後屋三井家 、前々回: 御井神の系譜:積川神社 で書いた座摩神五神は、 大年神* が天知迦流美豆比売を売を娶って生んだ子とされています。 「天知迦流」は、アメチカルと訓んで、天を領する生命力に満ちた太陽の女の意で、「知迦流」は近づく、「美豆」は水、またはみずみずしいの意と捉える説があります。 そして「知迦流」の「ちかる」には方言で「すわる」「乗る」などの意味があるといいます。(日本国語大辞典小学館)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『古事記』大国主条の、大年神の妻神、天知迦流美豆比売は水の女神であること。|保立道久の研究雑記 より引用 ・「ちかる」の「ち」は「 雷:いかづち *」のチと同じで自然の神秘の力をいい、「ちかる」は「力:ちから」に関係する語であろうか。 ・天知迦流美豆比売は「天に坐す水の女神」という神名の釈義が可能であろう。これは民俗的に実際に使われていたというよりも、「机上」で意識的に考えて作った神名だろう。なおそうだとする
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4月22日読了時間: 5分


御井神の系譜(2):越後屋三井家
第1024話 前回: 御井神の系譜:積川神社 では、 御井神の「御」は「三」のことで、御井は三井です。 と書きました。 以下の文章は、宝賀寿男氏の 鳥トーテムをもつ秦王室とその族裔たち をアレンジしたものです。 ・東山道の美濃には御井神社の分布が顕著であり、とくに各務(稲葉)郡三井郷及び養老郡多芸村金屋に式内社の御井神社が鎮座するが、前者は物部連一族の三野後国造・村国連の領域であり、後者からは同じ一族の物部多芸連が起こっています。各務は鏡であり、金屋といい、鍛冶部族に関係する地名でもあります。鏡、金は台与のキーワードです。 ~ 第941話: 坂上田村麻呂と金 ・大和の宇陀郡檜牧に御井神社があり、宇陀主水部・宇陀県主の奉斎を受けています。これら一族は、つ鴨県主と同族であったかとされています。肥伊であり、火です。 火は、台与のキーワードです。~ 第935話: 火闌降命は台与 第936話: 彦火火出見尊は台与 ・讃岐の多度郡にも三井郷があり、伊勢国桑名郡の古社である多度神社は、天津彦根命を祀り三上祝の一族桑名首が奉斎しています。...
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4月21日読了時間: 5分


御井神の系譜:積川神社
第1023話 積川神社は、大阪府岸和田市積川町にあります。「和泉五社」の一つ(和泉国四宮)として和泉国*でも有数の格式ある神社として信仰されてきました。社伝によれば崇神天皇の御代に創建されたと伝えられています。由緒は詳らかでありませんが、当地が牛滝川と深山川が「高低相会する地」であることから積川(つがわ)と呼ばれているとも言われています。 当社の前に牛滝川が、背後に深山川が流れ、両河川が当社の北方で合流する様を「積川」と呼んだのでしょう。*泉国は台与の国です。~ 812話: 泉国:大鳥大社 当社の五柱の祭神はいわゆる「坐摩神」で、宮中の神祇官西院や大阪市中央区久太郎町渡辺に鎮座する「坐摩神社」において祀られた神です。 ~ 第831話: 渡辺綱:坐摩神社(いかすり) 「坐摩神」は、宮中を守護する神であるとされており、「坐摩神」の五柱の中でも「生井神」「福(栄)井神」「綱長井神」はそれぞれ「井」が付くことから水に関する神、「阿須波神」「波比岐神」は土地の神・家屋の神であるとも言われています。 祭神は以下の5柱ですが、総して 坐摩神(いかすり) として
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4月20日読了時間: 6分


天熊人命:桑原神社
第1022話 茨城県常総市の鬼怒川沿いに桑原神社(くわばらじんじゃ)があります。祭神は豊城入彦命(*1)と、天熊人の2柱です。桑原神社(*2)は、下総国(*3)岡田郡・ 豊 田郡の総社。 天智天皇の第7皇子「志貴皇子」の孫、下総国の国司「桑原王」が宝亀3年(772年)3月、鬼怒川西岸の本屋敷と呼ばれた台地に、豊城入彦命、 天熊人命 を守護神として祀ったことが起源と伝えられています。 天熊人命は、 神楽 に登場する際は、天熊大人命となっています。 天熊人は、日本書紀で、耕・養蚕・畜産の生成の話に登場します。 天照大神は月夜見尊(*4)に、 葦原中国 にいる保食神(*5)という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るように
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4月19日読了時間: 6分


狼信仰:大口真神:塞の神のと道祖神
第1021話 第1003話: 天一位 大原神社:丹波と邪馬台国(2) では、狼信仰について少し述べました。 京都府福知山市三和町大原にある 大原神社の本殿内には、狼の狛犬があります。 関東の三峯神社では、神の使いとして狼(御狗)像が祀られています。 大原神社の狼信仰は、関東の三峯山よりも狼信仰は古いと言われています。 第755話: 鳴神山とヤマトタケル(=台与) では、「 三峯神社(埼玉県秩父市)は、日本武尊が東征の際に山犬(狼)に導かれたという伝承を持ちます。狼は境界の守護者、山の神の使い、水源地の守り神としての象徴性を持ちます。」と書いています。 三峯神社系統の神社では、狼(山犬)=大口真神を「神の使い(御眷属)」として祀る独特の信仰が形成され、関東や東北に広く広がりました。これは日本武尊伝承・山岳修験・江戸期の御眷属信仰が重層的に結びついたものです。 *日本武尊(ヤマトタケル)は台与です。~ 第439話: ヤマトタケルは台与 三峯神社の神使が狼である理由は、ヤマトタケル(日本武尊)の白狼伝承です。 三峯神社の縁起では、日本武尊が山中で道
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4月18日読了時間: 5分


雅楽と多氏:蘇利古
第1020話 雅楽に、蘇利古という演目があります。蘇利古は、顔に雑面(ぞうめん)という、特徴的な顔を和紙に描いたものを付け、白楚(ずばえ)を手に持ち、襲装束を着け、冠をいただいて舞います。ジブリ作品「千と千尋の神隠し」に登場する油屋の客人・春日様のモデルとなりました。 顔に雑面(ぞうめん)をつけるということで、 第462話: 秦河勝:摩多羅神はウツシコオ! で書いた 牛祭を思い出しました。 秦氏の本拠地である太秦の牛祭は京の三大奇祭の一つに挙げられています。広隆寺大略縁起によれば、三条天皇の御代、長和元年9月11日に比叡山の恵心僧都(源信)が声明念仏を行なっていたところ、仏法の守護神である摩多羅神から「この法会は末世まで絶やしてはならない」と夢のお告げがあり、摩多羅神の祭祀を行いました。その祭祀は、神主が牛に乗っているので「牛祭」と呼ばれるようになったといいます。 摩多羅神は頭に唐制の頭巾を被り、服は和風の狩衣姿、左手に鼓、右手でこれを打つ姿として描かれており、仮面をつけています。また左右の丁禮多・爾子多のニ童子は、頭に風折烏帽子、右手に 竹 、
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4月17日読了時間: 6分


事代主と鶏:闘鶏神社
第1019話 第1017話: 飛騨の匠:邪馬台国と飛騨(2) 第1012話: 邪馬台国と飛騨:飛騨は日田 では、飛騨のことを書きました。 飛騨国一宮とされる水無神社は岐阜県高山市にあります。 祭神は水無大神(みなしのおおかみ)で以下の15柱の総称とされてます。 主祭神:「水無神」=御歳大神 配神:大己貴命、三穗津姫命*、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命 御歳神は、尾張連祖神の天火明命の別名とも、高照姫(御歳神と同じ)あるいは少彦名神ともする説もあります。これらは、すべて台与のことです。~ 第1012話: 邪馬台国と飛騨:飛騨は日田 *三穗津姫は、御保津姫で保津は京都の保津川のことです。 ~ 第81話: 三穂津姫尊(御保津姫)~亀岡 第339話: 丹の湖~亀岡盆地は湖だった!! 水無神社には、特殊神事として闘鶏楽があります。闘鶏楽は古来の飛騨独自の神事で、宮川流域各地の神社で行われてきて、「鳥毛打」ともいいます。 鶏は、事代主と関係しています。事代
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4月16日読了時間: 6分


出雲風土記の嘘:語臣猪麻呂説話
第1018話 勾部猪麻呂と 語臣猪麻呂 前回: 飛騨の匠:邪馬台国と飛騨(2) では、飛騨の匠の祖と思われる 勾部猪麻呂とよく似た名前の 語臣猪麻呂が出雲風土記に登場していることを書きました。 出雲風土記意宇郡安来郷には、天武三年(甲戌、674)のこととして語臣猪麻呂の説話が出ています。以下のような説話です。 猪麻呂の娘が鰐に殺されてしまう。 猪麻呂は、国内の神社三百九十九社と海神に娘を殺した鰐を殺させてほしいと祈る。 祈りが通じて百匹余りの鰐が一匹の鰐( ワニ )を取り囲んでやってくる。 猪麻呂は鉾を真ん中の鰐に刺すと百匹余りの鰐( ワニ )は散り散りに去っていった。 前回: 飛騨の匠:邪馬台国と飛騨(2) では、 勾部猪麻呂 が スサノオ = ウツシコオ(内色許男命) ・台与と何らかの関係がるのではと思って調べてみると 大変なこと が分かりましたと書きました。 大変なこととは、 出雲風土記の内容が、全く信用できず大幅に改竄(かいざん)された ものであるという文献を見つけてしまったということです。この文献は、私の述べてきたことが間違っていない
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4月15日読了時間: 7分


飛騨の匠:邪馬台国と飛騨(2)
第1017話 # 勾部猪麻呂 少し話は前後しますが、 第1012話: 邪馬台国と飛騨:飛騨は日田 では、 飛騨国造(斐陀国造)の始祖について、旧事本紀、国造本紀、:斐陀国造条によると、成務朝に、 瀛津 世襲命が斐陀国造に任じられたとあり、瀛津世襲命は、 スサノオ = ウツシコオ(内色許男命) または台与で、斐陀(飛騨:岐阜県) も彼らが開発した地であることを述べました。 古代の飛騨が最初に見えるのは、日本書紀の「両面宿儺」の伝承です。この宿儺なる者は、仁徳朝のとき飛騨国に現れた二つの顔と四手四足の身体をもつ怪物(鬼神)であり、動きが敏捷で怪力をもち、皇命に背いて民衆を苦しめたので、仁徳六五年に朝廷が征討軍を差し向け、和珥臣祖の難波根子武振熊命により退治されたと記されています。 しかし、両面宿儺はたんなる妖怪・鬼神ではなく、飛騨国造の祖先の一人であったという説もあります。「宿儺」は「スクナ」の神、すなわち少彦名神(鴨県主・葛城国造や鳥取造などの祖)に通じます。宿祢=宿儺はウツシコオのキーワードです。記紀に登場する宿祢のほとんどは、武内宿祢ウツシコオ
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4月14日読了時間: 5分


法道仙人と水軍
第1016話 先日(2026.4.12)西国三十三番札所の 書写山・円教寺と法華山・一乗寺に行ってきました。いずれも数年前にも行ったことがあり、次のような記事を書いています。書写山 圓教寺 →第846話: 弁慶 大物(だいもつ)・書写山 第866話: 法華山一乗寺と法道仙人 法華山一乗寺で貰ったパンフレットには、次のような「縁起」が書かれていました。前回来た時にはこの「縁起」には気が付いていませんでした。 瀬戸内(せとうち)の海を航海 してい た一そうの船に、法道仙人の鉢が飛んできました。けれどもこの船に積んであった米は、 税として集められた米 だっ たのです。 「これは、税として都へもってゆく米なのです。私が勝手に、差し上げるわけにはゆきません。」 藤井という名の船頭がそう言うと、鉢は空っぽのまま飛び去ってゆきました。ところが、その鉢に続くように、 船に積んである米俵が、次々と飛んでゆくではありませんか。船頭はびっくりして、必死にあとを追いかけまし た。 鉢と米俵は、まるで雁(かり)の群れのように空を飛んで、法華山までやってきました。あとを
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4月13日読了時間: 6分


甲斐の磯部
第1015話 前回: 甲斐国と邪馬台国 では、 彦坐命=狭穂彦命=台与で、塩見足尼=台与の父の スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米 としました。 この彦坐王系統の諸氏族が海神族系の 磯城県主* の初期分流に出ており、本来は「磯部・石部」を氏とすることが分かってきたという文献があります。~宝賀寿男: 甲斐国造の系譜と一族 宝賀寿男氏は両毛地方の毛野氏検討などの過程で、「東国各地における磯部の分布を追いかけるうち、甲信地方における磯部の存在につきあたった。」と述べられておられます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 信濃の磯部は、埴科郡に磯部郷が和名抄にあげられており、それが北陸の磯部・石部から両毛のそれにつながる結節地点ともなっている。磯部・石部の地名や神社は甲斐にはなく、毛野の移動経路からもはずれているので、甲斐についてはあまり気に留めていなかった。ところが、太田亮博士の『姓氏家系大辞典』にはイソベの第34項に甲斐の磯部について触れ、甲斐三宮の国玉大明神(玉諸神社。甲府市国玉町)の
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4月12日読了時間: 6分


甲斐国と邪馬台国
第1014話 中田憲信編「諸系譜」第七冊に掲載されている甲斐国造家の系図は、「甲斐国造系図」とし、開化天皇*から始まり、その子の「彦坐命*-狭穂彦命*-塩見足尼*」とあり、塩見足尼が狭穂彦命の兄弟、子か甥くらいの近親に位置づけられており、古事記や「国造本紀」にほぼ合致する記事となっています。*開化天皇は台与です。~ 第574話: 開化天皇(第9代)は大彦! *彦坐命( 日子坐王)は台代です。~第1008話: 日子坐王命:丹波と邪馬台国(7) 日子坐王(彦坐王)の子が、 狭穂彦王(さほひこのみこ)です。沙本毘古王(さほびこのみこ、狭穂彦王)は 日下部連祖、甲斐国造の祖とされています。~近現代の系譜研究(宝賀寿男・関晃など)/Wikipedia、先代旧事本紀:甲斐国造条 *狭穂彦は日向土本毘古王*( むこうやま・とほひこ・おう) と同一人物で甲斐国造の祖とされています。*日向土本毘古王は台与です。~第577話: 日向土本毘古王=沙本毘古王は台与 *塩見足尼( しおみのすくね) は、 第694話: ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮 で
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4月11日読了時間: 5分


扶桑国は投馬国(丹波・但馬)
第1013話 ~ 扶 桑 国は 丹波国 桑 田 郡 扶桑(ふそう)は、古代中国の伝説で東の海の果て、太陽が昇る場所にあるとされる巨大な神木のことで、転じて日本の異称として使われ、平安時代以降は日本を指す雅称となりました。 太陽信仰(日の出)の聖地であることから、中国東方に位置する日本が「扶桑国」と呼ばれていました。 梁書*に諸夷海南東夷西北諸戎には、「扶桑国については昔から未聞である。普通年間(西暦520~27)に 或る道人(*下記) がそこから来たと称し中国南朝に着いたが、その言は当地を知悉したものだったので、ここに併せて記録する」と記されています。 梁書には、倭国の記事がまずあり、これに続けて、倭国東北七千余里の文身国、さらにその東五千余里の大漢国の記事があり、そのあとに扶桑国の記事が続き、そこでは、「扶桑在大漢国東二万余里、地在中国之東」と記されています。*梁書(りょうしょ)は、中国南朝の梁(502年から557年)の歴史を記した歴史書です。 この記事の解釈としては、直列式に「中国属領としての帯方郡→倭国→文身国→大漢国→扶桑国」と進むと考え
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4月10日読了時間: 7分
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