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地名から読み解く邪馬台国


宇治神社と宇治上神社
第895話 宇治神社は、京都府宇治市宇治山田にあります。祭神は、菟道稚郎子*です。 *このブログでは、菟道稚郎子=聖徳太子=台与としています。 第781話: 日出処天子の嘘 第129話: 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) 菟道稚郎子の「菟」が、「兎」と字が似ていることから、兎は神の使いとされています。 菟道稚郎子命が、河内の国から菟道へ向かわれる途中、道に迷われた。その際、一羽のうさぎが現れ、後からついてこられる命を先導したという古伝から「みかえりうさぎ」といわれ、神使とされています。現在、宇治神社ではみかえり兎の絵馬やおみくじを頒布しています。 第378話: 猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都 では、兎は「内=宇治」としています。「内」はウツシコオの「鬱=内」です。 宇都宮のウツは兎のことだそうです。宇佐家の氏神は、ウサ神ですなわち兎神だそうです。 第129話: 菟道稚郎子 (うじのわきいらつこ)では、地名「宇治」について、山城国風土記では、日本書紀の垂仁天皇紀・仲哀天皇紀・神功皇后紀にはすでに「菟道河(宇治川)」の記載があることから、菟道稚
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2025年12月13日読了時間: 6分


二つの三嶋鴨神社
第894話 三島鴨神社は、大阪府高槻市に二つあります。三島江地区に鎮座する「三島鴨神社」については、 第257話: 邪馬台国の誕生 で書いたように、 三島鴨神社の対岸の枚方市の地名は伊加賀(イカガ)です。伊加賀は、崇神天皇の母親:イカガシコメの由来となった地です。 もう一つの三島鴨神社は、大阪府高槻市赤大路町にあります。 三島江地区の「三島鴨神社」はかつて淀川の中州にあったと伝えられ、その中州を神の力によって作られた「御島」と讃え、これが「三島」となったとしています。三島江地区の三島鴨神社はかつて「幾島*大明神」と呼ばれたことからも、淀川に形成された幾つもの島々を神聖視し祀ったことを思わせます。また、伊予国風土記逸文に「和多志の大神」とあり、淀川の「渡し」の神だったと思われます。*幾島=磯嶋は、 磯城(しき)です。~ 第688話: 磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市) 赤大路町の三島鴨神社は、賀茂氏の神として「鴨御祖大神」を祀っています。先述の通り当社の鎮座地の小字を「鴨林(かんばやし)」といい、当地に賀茂氏が居住し祖神を祀ったことが考えられま
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2025年12月12日読了時間: 5分


阿知女作法:忍陵神社・津桙神社(3)
第893話 阿知女作法(あちめのわざ)とは、宮中 及び神社等で歌われる神楽歌の一つです。本来は、神の降臨を喜び、神聖な雰囲気を作るためと思われる一種の呪文です。 あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)、お~けー(一度)のフレーズを阿知女作法と呼び、これが2組(本方・末方)に分かれて唱和されるものです。 宇佐家が自家の家伝として行っていた鎮魂祭(たましづめのまつり)は「あちめわざ」と呼ばれる神楽歌であり、今も宇佐八幡宮の分霊社である石清水八幡宮に伝承されているそうです。 「あちめ」とは安曇磯良を指すとする説があります。阿知女と「女」がついているのでアメノウズメであるとする説もあります 。 鎮魂祭での鎮魂歌では、「上ります 豊日孁女(トヨヒルメ)が御魂ほす 本は金矛 末は木矛」という歌詞があります。 本と末とは、神楽歌の本方と末方のことで、金矛・木矛といのうのが、前回: 忍陵神社(2):津桙神社 、前々回: 忍陵神社(1) で書いた 忍陵神社=津桙神社の桙だとする説があるのです。 古代史研究家の 大和岩雄氏によると、 津桙 の「ホコ」を「桙」と書
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2025年12月11日読了時間: 4分


忍陵神社(2):津桙神社
第892話 前回: 忍陵神社(1) の忍陵神社は、津桙神社に近隣の2社を 合祀 し改称したものです。 奈良県磯城郡にある多神社の「多神宮注進状」の裏書に、多神社の若宮・皇子神命神社ご祭神が瓊々杵尊で、高宮郷天津瓊々杵神社の元は河内国讃良郡にある津桙神社と同体異名だと書かれています。河内国讃良郡は大阪府寝屋川市・ 四條畷市のことです。 津桙神社は津桙氏の氏神だったと言います。 日本古代氏族事典には津鉾氏は出てこず、どういう氏族かはよく分からないようです。 津桙神社の桙は、 津桙は八千矛の矛とする説もあります。八千矛神とは大国主*の別名です。 津桙神社 の神官がかつて「津守長者」と呼ばれ、その屋敷の跡を通称「ツンボジ:津守地」と呼ばれていたことから、津鉾氏と津守氏との関りが推測されす。 ・大国主は台与です。~ 第798話: ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市 ・津守氏はウツシコオの一族です。~ 第775話: 邪馬台国の水軍(2):津守氏 ・長者もウツシコオです。~ 第854話: 長者伝説と台与(邪馬台国) 江戸時代の「赤山*津桙神社縁起書」によると、
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2025年12月10日読了時間: 5分


忍陵神社(1)
第891話 忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)は、大阪府四條畷市岡山にあります。附近にある忍ケ丘*駅の駅名の由来となっています。祭神は、藤原鎌足 です。配神として熊野大神と品陀和気命、馬守大神、大將軍神が祀られています。 ・熊野大神と品陀和気(応神天皇)は台与です。 第543話: 熊野の神々は、、、 第581話: 応神天皇(第15代)は台与 ・馬守大神はスサノオ(=ウツシコオ=難升米)のことです。大將軍神については、 第505話: 大将軍・艮の金神 で、 牛頭天王= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) と書きました。 *忍が丘については、 第494話: 忍坂(押坂)は忍が丘(四条畷) で、記紀に出てくる 忍坂(押坂)という地名は、この 四條畷市の忍が丘だとしました。 この忍陵神社は、天武天皇*の御宇、役優婆塞の開基との伝承があります。 ・役優婆塞とは役行者のことです。 第475話: 役の行者(役 小角)と韓国広足 では、役行者もウツシコオとしています。*天武天皇は台与です。~ 第760話: 天武天皇は台与(1):ツクヨ
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2025年12月9日読了時間: 4分


浦島神社と三筒男(塩土老翁)
第890話 浦嶋神社は、京都府与謝郡伊根町本庄浜にあります。宇良神社(うらじんじゃ)とも呼ばれています。浦島太郎発祥の社です。 祭神は、浦嶋子(浦島太郎)で、相殿神として月読命(つくよみのみこと)と祓戸大神(はらえどのおおかみ)も祀られています。月読命は台与です。~ 第749話: 出羽三山(2)~月山・月(調)と兎 社伝によると、創祀年代は平安時代、淳和天皇の825年(天長2年)7月22日とされ、浦嶋子を筒川大明神*として祀るのが始めであると伝えられています。祭神の浦嶋子は、丹後国与謝郡筒川の庄の浦嶋太郎の子で、その太祖が月読命の子孫。当地の領主であったといいます。*筒川はこの浦島神社の近くを流れ日本海に通じています。 浦嶋子について「丹後国風土記」は、丹後国与謝郡日置里「筒」川村の日下部首等の先祖・筒川嶋子のこととする記載を挙げられます。そして、筒川嶋子は塩筒老翁とダブルイメージです。~ 第111話: 塩土老翁~浦島太郎2 では、塩筒老翁は猿田彦であることを述べました。 鹽竈神社縁起の中には、「塩釜六所明神或曰 猿田彦 事勝國勝 塩土老翁...
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2025年12月8日読了時間: 5分


鞍馬寺の真実:牛若丸は、、、
第889話 鞍馬寺(くらまでら)は、京都市左京区鞍馬本町にあります。本尊は「尊天」。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるといいます。開山はあの鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)です。鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少の弟子です。鞍馬寺の創建は770年で、京都にあるほとんどのお寺は、日本の首都が平城京に移った794年よりも前に建てられたものなので、鞍馬寺はかなり歴史が古いことがわかります。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として有名で、鞍馬天狗でも知られています。 前回の 開口神社の天狗 では、「 各地に残る天狗伝説は、ウツシコオに関係しているということです。」と書きました。 鞍馬寺の本尊は「尊天」であるとされています。この尊天=天狗が ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) でしょう。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として有名ですが、鞍馬寺で牛若丸(源義経)が修行したという記録は、正史的な史料には見られません。これは主に、平家物語や能「鞍馬天狗」、江戸期の絵画や縁起などに描か
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2025年12月7日読了時間: 5分


開口神社の天狗
第888話 開口神社(あぐちじんじゃ)は、大阪府堺市堺区にある神社。通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれています。これは明治維新まで大念仏寺が併存していた為です。「大寺縁起」によると、天平十八(746)年僧行基*が神社境内に一寺を創建し、薬師如来を安置したのに始まりです。 *行基~ 卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は、大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)で生まれました。井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架けて 台与と同じ ように日本各地で治水工事を行っています。初出は、 第629話: 観音菩薩と台与(2)~法輪寺 祭神は、塩土老翁神、素戔嗚神、生國魂神の三柱です。塩土老翁神が スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) であることは、このブログでは何度も述べています。~ 第111話: 塩土老翁~浦島太郎2 延喜式神名帳に和泉国大鳥郡24座のうちの一社として記載されていて、この延喜式神名帳では「開口」を「アキクチ」と読ませています。この「アキ
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2025年12月6日読了時間: 5分


泉井上神社と井於神社
第887話 泉井上神社は、大阪府和泉市府中町にあります。境内には和泉国総社の和泉五社総社も鎮座しています。祭神は、和泉大明神(独化天神)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 高産巣日神、神産巣日神です。これらの神々はすべて、 スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) と台与です。 この神社は、大阪の重要な古地名の一つ「和泉」の語源になったとされています。 和泉清水とも呼ばれる泉井上社の創祇由緒になった清水の跡は、現在はその本殿の横に残っています。この清水は神社の創祇のみならず、「和泉」という地名の起源にもなったとされています。この清水は、下流の水田の灌漑に利用されて和泉国の農業開発に大きな役割を担ったとされています。 720年の九州隼人の反乱ののち、その戦没者慰霊の放生会が諸国で行われた時、和泉五大社の神輿がここに渡御して数万匹の鯉を放流したと伝えられます。この放生会は、 第885話: 傀儡舞の住吉様 で書いたように 隼人に関係しており、隼人とは、ウツシコオと台与の一族のことです。~ 第304話: 隼人族は呉の勝 のブログでは、
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2025年12月5日読了時間: 6分


阿智神社:思兼命
第886話 # 阿智族 信濃国を開拓した一族に阿智一族がいます。阿智一族は、信濃国南西部飯田市近辺の神社に阿智一族の祖、思兼命を祀った阿智神社(長野県下伊那郡阿智村智里)があります。 社伝によれば、「孝元天皇5年春正月、天八意思兼命御児神を従えて信濃国に天 降り、阿智の祝(はふり)の祖となり給うた」と伝えられています。 近くにある安布知神社(長野県下伊那郡阿智村駒場)の社伝では、天思兼命は、高天原最も知慮の優れた神として、古事記、日本書紀に記され 、先代旧事本紀に、天思兼命とその子:天表春命*は共に信濃國に天降り、阿智祝部(阿智の神事を司る神主)等の祖となったと記されています。思兼命は、古代の伊那谷西南部一帯を開拓した天孫系の神で、阿智神社の御祭神と同一で両社は古くより密接 な関係があり、北信の戸隠神社とも因縁が深い神社です。 思兼命については、 第3話: https://www.hidemaru3375.com/post/ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米! で、内色許男命=大綜麻杵=難升米としています。 *天表春命についても 第687話:
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2025年12月4日読了時間: 6分
邪馬台国 第841話~第880話
第1話~第40話 第41話~第80話 第81~第120話 第120話~第160話 第160話~第200話 第201話~第280話 第281話~第320話 第321話~ 第360話 第361話~第400話 第401話~第440話 第441話~第480話 第481話~第520話 第521話~第560話 第561話~第600話 第601話~第640話 第641話~第680話 第681話~第720話 第721話~第760話 第761話~第800話 第801話~第840話 邪馬台国地図別目次 邪馬台国 家系図 古代史 人名辞典 第841話: hidemaru3375.com/post/坂上田村麻呂(2):東北での長谷信仰 第842話: hidemaru3375.com/post/坂上田村麻呂(3):鈴鹿御前 第843話: hidemaru3375.com/post/蝉丸神社と逢坂関 第844話: hidemaru337
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2025年12月3日読了時間: 2分


傀儡舞の住吉様
第885話 古要神社(こようじんじゃ)は大分県中津市大字伊藤田にあります。 祭神は息長足姫命*・虚空津比売命( *下記 )です。 この古要神社では、3年に1度、10月12日に傀儡子(木製の人形)による舞と相撲が奉納されます。傀儡子の舞人形の大きさは、体長27cm~40cm位で、腕だけが動きます。相撲人形の体長は、最大の"祇園さま" が65.7cm、最小の"住吉さま" が33.2cmで、こちらは腕と片足が動きます。この行事は、奈良時代に、朝廷の命により隼人*の反乱の平定に向かった豊前国の軍が、戦場で傀儡子の舞を演じて隼人の気を引き、その隙に乗じて隼人の軍を攻めたことに由来するといいます。古要神社は、同じ大分県の宇佐神宮との関係が深い神社で、隼人の反乱で戦死した隼人の慰霊のために宇佐神宮で放生会が始められると、その際に傀儡子の舞が奉納されるようになり、それが古要神社に伝わったといわれています。同様の神事は、福岡県築上郡吉富町の八幡古表神社にも伝わっており、八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲として同じく国の重要無形民俗文化財に指定されています。 ~...
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2025年12月3日読了時間: 8分


欠史八代:大間宿禰
第884話 欠史八代の天皇の后はほとんどは磯城の出身であることは、 第881話: 欠史八代と磯城県主 で述べました。 しかし、第3代安寧天皇(磯城津彦玉手看)の后妃の氏姓(日本書紀一書)に 磯城県主と並んで太間宿祢の名がみえます。 太間の地名については、 大阪府寝屋川市に 寝屋川市太間町(たいま)があります。イカガシコオ・イカガシコメの枚方市伊加賀(イカガ)の近くです。 第506話: 野見宿禰と当麻蹴速は同一人物 では、 太間(たいま)は 当麻(たいま)であるとしました。 当麻蹴速(たいまのけはや)は、その名から當麻寺(たいまでら)がある奈良県葛城市の当麻邑(たいまのむら)の出身と思われています。 第469話: 石の宝殿2~大阪府寝屋川市 とも近い場所です。 日本書紀の仁徳天皇11年10月の項には、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、(茨田堤の)工事(が難渋した。」それが、 コワクビの断間 (大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市 太間 )とあり、この寝屋川市太間は茨田堤のとも関連が深い場所なのです。 そして 第631話: 観音菩薩
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2025年12月2日読了時間: 5分


近つ飛鳥と遠つ飛鳥~同名地名の謎
第883話 飛鳥は近つ飛鳥と遠つ飛鳥の2か所あります。 「近つ飛鳥(ちかつあすか)」は現在の大阪府羽曳野市・太子町周辺を指し、河内飛鳥とも呼ばれています。また、古墳時代から飛鳥時代にかけての王族陵墓が集中する「王陵の谷」と呼ばれ、敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵、聖徳太子廟などがあります。古事記によれば、履中天皇の弟(後の反正天皇)が難波から石上神宮へ向かう途中に泊まった場所を「近つ飛鳥」と名付けたとされています。 「遠つ飛鳥(とおつあすか)」は奈良県高市郡明日香村を中心とする地域を指します。両者は古代の地名で、難波から見て近い方を「近つ」、遠い方を「遠つ」と呼んだとされます。 奈良県高市郡明日香村を中心とする地域。現在の「飛鳥」として有名。飛鳥時代の政治・文化の中心地。大化の改新(645年)や藤原京建設など、日本古代国家形成の舞台。難波から見て遠い方の飛鳥であるため「遠つ飛鳥」と呼ばれています。 地理的対比 :難波宮(大阪市)から見て近い方が「近つ飛鳥」(河内)、遠い方が「遠つ飛鳥」(大和)。 文化的役割 :近つ飛鳥は陵墓や渡来人
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2025年12月1日読了時間: 6分


宰(みこともち)は、ウツシコオ(内色許男命)
第882話 #武内宿祢 #ウツシコオ 前回: 欠史八代と磯城県主 では、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) は 宰(みこともち) であって天皇(大王)にはならずに、自分の娘である台与を大王(天皇)に即位させたのです。」と書きました。 一般名詞としての宰「みこともち」は、天皇の命を受けて土地の政治を司る者のことです。日本書紀では、新羅の「宰」(神功前紀)、遠江の国の「司」(仁徳紀)などが「みこともち」と訓まれています。 海部氏勘注系図には、 「大日本根子彦太瓊(孝霊天皇)御宇、於丹波國丹波郷、爲 宰 以奉仕、然后移坐于山背國久世郡水主村、故亦云山背直等祖也、后更復移坐于大和國」 とあり、建田勢命は最初丹波の宰(みこともち)となり、その後、山城久世水主村(やましろくぜみずしむら)*に移り、さらにその後大和に戻ったと書かれています。建田勢命が大和王権の命を受けて丹波支配を行ったのです。*山城久世水主村は、巨椋池のあるところです。~ 第284話: 邪馬台国は巨椋池 第471話: 秦大津父と平原広沢 建田勢命は、彦火明命六世孫でと
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2025年11月30日読了時間: 6分


欠史八代と磯城県主
第881話 欠史八代とは、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇のことです。古事記や日本書紀にその系譜が記されている初期の天皇の系譜は、これまでは後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的には、ほぼ無いとされてきていましたが近年、ではその研究が見直され、これらの天皇は実在したと思われています。と 第320話: 欠史八代はヤマト=三島 で書きました。 后妃の氏姓(日本書紀一書) 2 綏靖 カミヌナカハミミ 磯城県 3 安寧 シキツヒコタマテミ 磯城県主 4 懿徳 オホ ヤマト ヒコスキトモ 磯城県主 5 孝昭 ミマツヒコカエシネ 磯城県主 6 孝安 オホ ヤマト タラシヒコクニオシヒト 磯城県主 7 孝霊 オホ ヤマト ネコヒコフトニ 磯城県主 8 孝元 オホ ヤマト ネコヒコクニクル *穂積臣 9 開化 ワカ ヤマト ネコヒコオホヒヒ *穂積臣 ※穂積は大阪府茨木市の地名 上記で分かるように、欠史八代の妃のほとんど、磯城の出身です。 そして、 第68
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2025年11月29日読了時間: 5分


金剛組と天王寺
第880話 金剛組は、世界最古の企業です。創業は、聖徳太子の時代までさかのぼり寺院建設のために設立された大工集団です。 聖徳太子は四天王寺を建立するため578年に朝鮮半島の百済から「金剛」「早水」「永路」という3人の工匠を日本に招聘しました。その一人「金剛」が金剛組初代の金剛重光です。当時の日本には本格的な寺院を建築できる技術者がいなかったため、仏教の先進国であった百済から技術者を呼び寄せたのです。金剛組は、近世に至るまで四天王寺お抱えの宮大工です。 ところでこのブログでは、聖徳太子は台与としています。 ~第540話: 広隆寺と聖徳太子立像 そして、 第478話: 天王寺の亀と酒船石 で書いたように、 四天王寺が推古朝以前にはすでに存在したことは考古学的にも確認されています。 四天王寺縁起によりますと、当初の四天王寺は現在地ではなく、上町台地の北部に位置する玉造(JR森ノ宮駅付近)の岸上にあったとようです。鵲森宮(カササギ)の社伝では、隣接する森之宮公園の位置に「元四天王寺」があったとしています。 鵲森宮 (かささぎもりのみや)の...
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2025年11月28日読了時間: 6分


穴太衆と邪馬台国
第879話 穴太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した石工の集団です。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団で、石工衆、石垣職人と呼ばれています。 穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(滋賀県大津市坂本穴太):延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊。穴太ノ里〈あのうのさと〉などとも俗称)の出身で、古墳時代に朝鮮半島から渡来した古墳築造などを行っていた石工の末裔であるといいます。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになります。以降も江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られています。 現代でも、坂本の町に多数立ち並ぶ里坊(さとぼう)と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は、彼らの組んだ石垣で囲まれ、町並みに特徴を与えています。 穴太衆の一つである粟田家は、江戸時代初期の阿波屋喜兵衛が祖で、会社組織として存続しています。 粟田家は坂本を門前町とする比叡山延暦寺の石積みの仕事を代々請け負ってきた
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2025年11月27日読了時間: 5分


淀屋と三島溝咋耳
第878話 日本の歴史で、大規模な土木工事を行った人物を調べてみました。 日本の古代史で大規模な土木工事を行ったのは、秦氏です。 秦氏の行った土木工事については、 第412話: ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 第344話: 聖徳太子伝説~堀江と茨田堤 第806話: 五社水路と三島溝咋耳 第807話: 邪馬台国と栗隈大溝(くりくまのおおうなで) などで書いています。 近畿には、淀屋、安井道頓、金剛組、穴太衆など大規模な土木工事を行った人達がいます。 これらの人物は、秦氏、 三島溝咋耳の技術を受け継いだ人たちではないでしょう。 三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)の「溝咋」とは文字通り「溝を掘削するという意味です。今回は、淀屋です。前回は: 道頓堀と三島溝咋耳 前々回は: 太田 道灌と三島溝咋耳 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 淀屋(よどや)は、京阪電車の終点(始発)駅の淀屋橋の淀屋で、中之島で繁栄を極めた豪商です。総資産は約20億両(換算すると約200兆円)とも言われています。全国の米相場の基準となる
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2025年11月26日読了時間: 6分


道頓堀と三島溝咋耳
第877話 日本の歴史で、大規模な土木工事を行った人物を調べてみました。 日本の古代史で大規模な土木工事を行ったのは、秦氏です。 秦氏の行った土木工事については、 第412話: ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 第344話: 聖徳太子伝説~堀江と茨田堤 第806話: 五社水路と三島溝咋耳 第807話: 邪馬台国と栗隈大溝(くりくまのおおうなで) などで書いています。 近畿には、淀屋、安井道頓、金剛組、穴太衆など大規模な土木工事を行った人達がいます。 これらの人物は、秦氏、 三島溝咋耳の技術を受け継いだ人たちではないでしょう。 三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ) の「溝咋」とは文字通り「溝を掘削するという意味です。今回は、 安井道頓 です。前回は: 太田 道灌と三島溝咋耳 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 大阪南の道頓堀で有名な安井道頓は、成安氏出身とする説が有力となっており、成安 道頓(なりやす どうとん)と呼ぶのが正しいそうです。安土桃山時代から江戸時代初めにかけての人物で、道頓堀の開削者として
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2025年11月25日読了時間: 6分
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