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地名から読み解く邪馬台国


神岡鉱山・カミオカデンと邪馬台国
第1077話 前回:咲田姫伝説:杉原神社では,、「杉原神社の社伝によれば、「十代崇神天皇即位十年に大彦命が勅命を受けてこの地にとどまり耕作の道を教え給うたとき、、、、」と書いています。大彦がこの地に居たことは確かなようです。大彦=高倉下(タカクラジ)=台与です。 ~第91話:大彦の北陸道遠征 :大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村 高倉下の別名は、天香語山命です。天香語山命は尾張氏の祖とされています。台与も尾張氏の祖と思われます。~第370話:とよ(乎止与命・台与・臺與) 岐阜県飛騨市神岡町大字船津に大津神社があります。 祭神は、大彦命・武渟河別命・建南方富命です。武渟河別命(たけぬなかわ)*・建南方富命(タケミナカタ)も台与です。 *武渟河別命~古事記によると、大国主はコシの沼河比売(ぬなかわ)を妻にしようとはるばる訪ねて行き、歌を詠み交わして次の日に結ばれたといいます。河川(ヌナカワ)は、ヒスイの原石産地です。大彦=大国主=カミヌナカワ=綏靖天皇です。そして沼河比売は小楯姫=台与です。 *建南方富命~第992話:タケミナカタはなぜ諏訪に行った
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6月13日読了時間: 5分


咲田姫伝説:杉原神社
第1076話 富山県に神通川という川があります。神といえば、台与とスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米であることをこのブログでは見てきました。 神通川の近くに杉原神社があります。 杉原神社は富山県富山市八尾町黒田(やつおまち くろだ)にあります。 主祭神として辟田彦命(さくたひこ)と辟田姫命(さきたひめ)を祀り、治水・農地開拓の神、夫婦円満、病気平癒、縁結び、などに御利益の高い神として今も広く信仰を集めています。また、木祖神(きのおやのかみ)も祀られています。 この辺りは、かつての婦負郡で歴史はかなり古く、弥生時代の遺跡や古墳時代中期の四隅突出型墳丘墓が発掘されています。杉原神社のある杉原野開拓伝承に、沼に落ちた女神を男神が背負って助けた(婦を負う)という史話があります。 万葉集には婦負(をむなゐ)と訓読しており、婦負郡の当時の状況を描いた、複数の歌が収録されています。 杉原彦と咲田姫(さいだひめ)の伝承が風土記としてこの地方に伝わっています。 「黒田の杉原彦=辟田彦(さいだひこ)が咲田姫(辟田姫)と共にこの地を開拓(治水工事)
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6月12日読了時間: 6分


稗田野神社と稗田阿礼
第1075話 #縣神社 #蒲田 五穀豊穣の五穀は、「いつつのたなつもの」あるいは「いつくさのたなつもの」とも読みます。実は、古代からその内容は一定しておらず。古事記では、稲・麦・粟・大豆・小豆で、日本書紀では、稲・麦・粟・稗・豆となっています。 今回、取り上げたいのは、稗(ひえ)です。京都府亀岡市稗田野町に稗田野神社があります。亀岡・丹波については少し前に記事を書きました。台与・スサノオ=ウツシコオ(内色許男命)=難升米と関連の深い地です。約3000年程前にこの地に住み着いた人達が現在の稗田野神社の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え作物の豊作と子孫の繁栄を祈り捧げたとされています。大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛の前に社殿を造営し佐伯郷の産土神として祭り、国の安泰と五穀豊穣を祈ったのが稗田野神社の起源です。 佐伯については、第1047話:佐伯部と蝦夷(1) 第1048話:佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)で書いたように、佐伯氏=蝦夷=隼
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6月11日読了時間: 6分


八郎太郎(2):八郎潟
第1074話~ダイダラボッチ(7) 米代川を下った八郎太郎は一夜の宿を求めて歩き回り、天瀬川(三種町天瀬川)で、年老いた夫婦に宿を提供してもらいます。八郎太郎はお爺とお婆に、泊めてくれたことのお礼を述べ、明日の朝、鶏が鳴くと同時に大地が割れ、ここが大きな湖になると老夫婦に告げます。翌朝、鶏*が鳴くと同時に轟音が響き渡り、水が溢れました。八郎太郎の姿は龍になり、そして大地は瞬く間に湖となったのでした。お婆は、天瀬川の反対側の芦崎(あしざき)(三種町芦崎)に飛ばされてしまいました。お爺は天瀬川の南の夫殿権現(おどどのごんげん)に、お婆は芦崎の姥御前神社(うばごぜんじんじゃ)に祀られるようになりました。そして、この両地域では鶏を禁忌とし、鶏を飼うことを禁じるだけでなく、鶏や卵を一切食べませんでした。 こうして、現在の位置に八郎潟が誕生し、八郎太郎はここを永住の地としたのでした。 姥御前神社(山本郡三種町芦崎字芦崎)の祭神は、手名槌神(てなつち)です。 テナヅチ・アシナヅチは、スサノオのヤマタノオロチ退治に登場する櫛名田比売の両親です。第946話:テナヅ
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6月10日読了時間: 6分


ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎
第1073話 前回:ダイダラボッチ(5):久慈では、三湖伝説に登場する八郎太郎は、ダイダラボッチと思われます。と書きましたが、八郎太郎がダイダラボッチとする文献はありません。 私が勝手に思っているだけです。が、八郎太郎=ダイダラボッチ=台与である根拠はあります。 三湖伝説は、青森、岩手、秋田にまたがる伝説です。主に秋田県を中心として語り継がれています。各地にこの物語が残されていますが、細部はそれぞれ異なっています。 三湖とは、八郎潟、十和田湖、田沢湖のことです。 八郎太郎は、この三湖すべてに関係しています。 八郎太郎は、鹿角(かづの)で生まれたとされています。鹿角市草木字保田(ぼった)には、地元住民が「八郎太郎生誕の地」碑を建立しています。 第1068話:小野氏を考える(6):小野篁は、、、では、 小野 篁には、篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説を持つ小野篁は、陸奥国(むつ)に赴いています。陸奥国鹿角郡(かづのぐん)にも小野篁はいたはずです。というのも鹿角地方では、千数百年前から、砂金が採掘さ
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6月9日読了時間: 8分


ダイダラボッチ(5):久慈
第1072話 第1070話:ダイダラボッチ(3):稲村神社では、福島県、茨城県を流れる一級河川の久慈川について書きました。「久慈:くじ」といえば、少し前にNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台である久慈を思い出します。 岩手県久慈市山形町には、霜畑八幡宮があります。 創立年代は不詳ですが、境内に樹齢900年~800年の欅群(県指定天然記念物)があっるために平安時代以前からすでにこの地に霜畑八幡宮にあったと考えられます。 源義経主従(義経と弁慶)が、蝦夷地へ北行(逃走)の途次、病ありて、関の馬場家に数日滞在後、久慈大川目に向かう途中にこの霜畑八幡宮に参詣したとの伝承があり、義経が奉納したとされる兜・太刀二振・陣笠が社宝として現存しています。義経と弁慶は兄の頼朝に追われて逃走中ですので神社で奉納などしている余裕はないはずです。このブログでは義経・弁慶の伝説は台与の伝説としています。~第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山 第860話:園城寺(三井寺) 第1019話:事代主と鶏:闘鶏神社 岩手県久慈市小久慈町には蒼前神社がありますが、由緒や祭神は不明
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6月8日読了時間: 5分


ダイダラボッチ(4):弥五郎どん
第1071話 弥五郎とは南九州地方、主に宮崎県、鹿児島県、伝説の巨人(大人伝説)=ダイダラボッチ です。最も有力な伝説は、七二〇年の隼人の乱で殺された隼人の首領の名と伝くわっており、大人弥五郎とも言われています。 大人弥五郎は、山に腰かけ海の水で顔を洗う程の巨駆を誇ったという。宮崎県に伝わる伝承では「洪水で川の土手が決壊し村人が困った時、軽々と持ち上げた大岩で塞いでくれた」「川の水を大岩でせき止めた」「高い山に登り、雲をかき回して雷が鳴るのを鎮めようとして村人を驚かせた」など、一般の人間達とは、時に助け時に困らせるなどしつつ、概ね友好的な関係を築いていた巨人とされています。 弥五郎どんとは、武内宿禰だという説もあります。 このブログでは、隼人=熊襲=スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米・台与としてきましたので、弥五郎どんとは、武内宿禰=ウツシコオ・台与というのは、納得できます。 ~第959話:熊襲のボスは、、、:熊襲惣領 第958話:襲武媛・豊戸別皇子は台与 第1057話:開聞岳と枚聞神社 ウツシコオ・台与(=秦氏)が日本の
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6月7日読了時間: 5分


ダイダラボッチ(3):稲村神社
第1070話 茨城県常陸太田市天神林町に稲村神社(いなむらじんじゃ)があります。 主祭神は、饒速日命(ニギハヤヒ)です。 稲村神社の鎮座地一帯は、律令制以前の久自国造の本拠地であったとする説が知られています。この久自国造国造については、先代旧事本紀:国造本紀では、成務天皇の御世に伊香色雄命(物部連遠祖)三世孫の船瀬足尼命(ふなせのすくね)が初代久自国造に任命されたとあります。社伝では、この任命の際に船瀬足尼命が始祖の饒速日命を祀ったといい、その時に「天神」、または7面の神鏡が祀られていたので「七代天神」と称したといいます。また、日本武尊が東征の際にこの地に天神七代の霊を祀ったともいわれています。*日本武尊(ヤマトタケル)は台与です。(→下記) 稲村神社の南西には梵天山古墳群(茨城県常陸太田市島町)があり、その主墳の梵天山古墳は茨城県第2位の規模で、船瀬足尼命の墓とする伝承があります。 久自国の「久自:くじ」とは、「久慈川」のことです。久慈川は、福島県、茨城県を流れる一級河川です。 常陸国風土記の久慈郡の条に、薩都(常陸太田市里野宮)からみて東の
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6月6日読了時間: 7分


ダイダラボッチ(2):太平山~秋田県
第1069話 #太平山三吉神社 #鵜飼 秋田県にある太平山三吉神社の霊峰・太平山は、かつて「オイダラボッチ(ダイダラボッチ)」の山と呼ばれていました。この山に伝わる巨人伝説は、神社の主祭神である「三吉霊神(みよしれいじん)」の化身ともいわれています。ダイダラボッチと太平山の関係には、以下のようないわれがあります。 太平山(たいへいざん)は、かつて「オイダラボッチ山」や「ダイダラボッチ山」と呼ばれていました。 日本各地に伝わる巨人のダイダラボッチですが、秋田では「三吉さま」の化身であると考えられています。三吉霊神のご利益: 祀られている三吉霊神は「力の神」「勝負の神」として知られ、事業繁栄や勝利成功のパワースポットとして信仰されています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎では、次のように書いています。 ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人です。 山に腰かけ海の水で顔を洗う程の巨駆を誇ったといいます。 宮崎県に伝わる伝承では「洪水で川の土手が決壊し村人が困った
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6月5日読了時間: 7分


小野氏を考える(6):小野篁は、、、
第1068話 小野篁(おのの たかむら)については、第1063話:小野氏を考える(1):小野篁ですでに書いており、実在した人物であることは、ほぼ間違いないと思います。しかし、小野篁の事績を見ていて、気になることがあります。 小野篁は、陸奥国(むつ)に赴いています。 陸奥には、鹿角郡(かづのぐん)という地名があります。この「鹿角」が気になります。 このブログでは、「鹿」「角」はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米のキーワードとしています。 ~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、 調べてみると、鹿角地方では、千数百年前から、砂金が採掘されていました。 ウツシコオ・台与と「金」については、第476話:金華山と百済王敬福では、次のよう書きました。 金華山は、日本で初めて金が採れた場所だそうで、金華山には黄金山神社(こがねやま)があり、神の使いとして鹿が保護されています。祭神は鉱山の神である金山毘古神、金山毘売神です。ということは台与とウツシコオのコンビのコンビです。 金華山の黄金山神社の社伝によれば、奈良時代に国家事業としての
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6月4日読了時間: 6分


小野氏を考える(5):根日女伝説~兵庫県小野市
第1067話 先日、また西国三十三番札所巡りのバスツアーで法華山一乗寺に行きました。 ここも2回目です。1回目では、第866話:法華山一乗寺と法道仙人 2回目では、第1016話:法道仙人と水軍という記事を書きました。 今回、小野氏を考えるシリーズを書いていて、バスの中で先達さんが、一乗寺について話された逸話を思い出しました。 孝徳天皇の皇子が出家して一乗寺に入るとき、その皇子を慕って何人かの女官が付いてきて法華山一乗寺の付近で暮らしたといい、その地が「小野」だというのです。 調べてみると、法華山一乗寺のある兵庫県加西市坂本町に隣接して、小野市があり、平安時代の皇子たちと美女の悲恋である「根日女(ねひめ)伝説」があることが分かりました。 播磨国風土記に、根日女伝説が記されています。それは、根日女と二人の皇子との出会いから始まった、美しくも悲しい恋の物語です。 後に23代顕宗天皇と24代仁賢天皇に即位する事となる、意奚(おけ)、袁奚(をけ)の兄弟であるニ皇子が、皇位継承争いで父を殺害されて都から逃れ、播磨の国に名前を変え身分を隠し、密やかに移り住んで
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6月3日読了時間: 5分


小野氏を考える(4):和珥(ワニ)氏
第1066話 小野氏は、和珥氏の枝氏です。和珥氏(わにうじ)は、2世紀後半頃、日本海側から越前・若狭から畿内に進出した日の御子信仰または太陽信仰をもつ鍛冶集団とする説や、漁労・航海術に優れた海人族であったとする説があります。 大和朝廷成立以前に、大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた名族で、諸国に多い小野の地名の由来となった一族です。 和珥氏族は孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(天押帯日子命)から出たと称してますが、孝昭天皇~第443話:孝昭天皇は台与:日原は目原では、孝昭天王は台与としています。 天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は、日本書紀、古事記とも、事績に関する記載はなく、実体が殆ど無く架空の人物であるとされています。 第461話:猪は倭国?? では、奈良県生駒郡平群町信貴畑にある猪上神社(いがみじんじゃ)の祭神は、天足彦命と国押人命ですが、二人は同一人物であるとされており、足と彦がついていることからやはりウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)でしょう。と書いています。第494話
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6月2日読了時間: 5分


小野氏を考える(3):矢田寺
第1065話 「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は、現在放送中の大河ドラマ豊臣秀長の城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。奈良県大和郡山市矢田町 大海人皇子(おおあまのみこ:後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。 天武天皇は台与です。天武天皇は台与(3)~尾張氏と大海人 天武天皇は台与(2):大友皇子と東漢氏 天武天皇は台与(1):ツクヨミ 当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。 第1063話:小野氏を考える(1):小野篁では、矢田寺(金剛山寺)の滿米上人の項で、小野篁(おのの たかむら)が閻魔大王に菩薩戒を授ける人物として上人を紹介しています。この伝説に基づき、京都矢田寺の梵鐘を「送り鐘」と称して六道珍皇寺(京都市東山区大和大路通四条下)の「迎え鐘」と対の存在としてい
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6月1日読了時間: 6分


小野氏を考える(2):小野妹子
第1064話 小野 妹子(おのの いもこ)は、日本書紀によると、推古天皇の時代に冠位大礼で大使に選ばれ大唐(当時の隋)に派遣されたいわゆる遣隋使で有名です。。日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされています。 このブログの第519話:六角堂と平安京で小野妹子は登場しています。 この寺の本堂である六角堂は寺内塔頭で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理に当たってきた。聖徳太子*の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが華道の由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれています。ただし、縁起類には、聖徳太子が沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子を寺主としたことは述べられています。 *聖徳太子は台与です。~第540話:広隆寺と聖徳太子立像 東からやってきた老翁(鎮守神の唐崎明神)が、紫雲たなびく杉の霊木のありかを教えてくれたので、その材を用いて六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりとされています。 このブログを書き続くているうちに、何度
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5月31日読了時間: 5分


小野氏を考える(1):小野篁
第1063話 小野氏(おのし)は、7世紀前半から平安時代中期にかけて活躍した氏族です。孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする和珥氏の枝氏です。*孝昭天王は台与です。~第443話:孝昭天皇は台与 小野 篁(おのの たかむら)は、平安時代初期の公卿、文人です。 日本三大美人の小野小町、三跡(さんせき)*の一人である小野道風の小野道風の祖父ともされています。*三跡とは、平安時代中期に活躍した書道の能書家のことで小野道風、藤原佐理、藤原行成の3名を指します。 和歌もたしなんでおり、小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)と名乗っています。 小野 篁には、篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が、江談抄、今昔物語集、元亨釈書といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての説話集に紹介されています。これらを典拠にして後世では冥官小野篁とも呼ばれています。 現実世界で司法を司る刑部少輔だった小野篁は、昼の内は朝廷で刑部少輔として働き、夜になると地獄に行って、閻魔大王の裁
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5月30日読了時間: 6分


中嶋神社:丹波と邪馬台国(11)
第1062話 中嶋神社は、兵庫県豊岡市三宅にあります。 田道間守命(たじまもり)を主祭神とし、天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)を配祀しています。創建は、推古天皇15年(606年)と伝わっていますから相当古い神社です。 田道間守命は天日槍命の5世の子孫で、日本書紀では、垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のこと)を持ち返ったとされる人物です。橘(みかん等 柑橘類の原種)は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として、また柑橘の祖神としても崇敬されています。また、現鎮座地に居を構えて当地を開墾し、人々に養蚕を奨励したと伝えられることから、養蚕の神ともされています。 養蚕を奨励したと伝えられることから、養蚕の神といえば、秦氏です。 秦氏(=台与)と養蚕については、第467話:虚空蔵菩薩は台与!! 第898話:ツキヨミの正体(2):壱岐・対馬などで述べています。 天湯河棚神は中古に合祀された安美神社の祭神で、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神です。日本書紀によれば、垂仁天皇の命により皇子誉津別命の為に鵠(くぐい。白
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5月29日読了時間: 6分


枚方・白肩・白方・平潟
第1061話 前回:太遣馬宿禰:毛馬(大阪市都島区)で登場した近江臣毛野は、その名のとおり近江の人とされています。滋賀県長浜市平方町に天満宮があり、「平方史跡顕揚之碑」があります。小さな神社の大きな碑として知られています。 古代近江地域の各地には、和邇(わに)氏・息長(おきなが)氏等、さまざまな古代豪族が居住していたことが、残された文献史料から分かっています。日本書紀に記された「近江毛野臣(おうみけののおみ)」は、その名からも近江出身の古代豪族とみてほぼ間違いない人物の一人です。 前回紹介した「ひらかたゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る」の「ひらかたゆ」の「ひらかた」は、私が邪馬台国とする大阪府枚方市ではなく、滋賀県長浜市の「平方」であるとする説もあります。 この滋賀県長浜市平方町は、近江国坂田郡でまさに息長氏の本拠地とされる地です。 神功皇后(じんぐうこうごう)の出身地も、日本書紀などの伝承によると、近江国坂田郡とされています。日本書紀での名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)で「気長」は「息長」です。...
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5月28日読了時間: 5分


太遣馬宿禰:毛馬(大阪市都島区)
第1060話 第318話:空海のルーツは内色許男命!でも、書いたように弘法大師はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米の子孫です。 大師の「高野雑筆集」上の書簡において「我が遠つ 祖 、太遣馬の宿禰、是れ則ち彼の国(紀伊国)の祖、大名草彦の派わかれ なり」とあります。大名草彦命は紀氏の初祖です。 太遣馬の宿禰も大名草彦の子孫でしょう。「太」は「フツ」でウツシコオのことです。遣馬は「けま」と読むと思われます。 大阪市都島区に「毛馬(けま)」という地名があります。 毛馬は古くから淀川の治水の要所でした。仁徳天皇が茨田堤の造るときに 「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、(茨田堤の)工事(が難渋した。」 その場所の一つがコワクビの断間(大阪市旭区千林)です。 ~第202話:茨田堤 第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 大阪市旭区千林は大阪市都島区毛馬に隣接しています。*仁徳天皇は台与です。~第582話:仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳 都島という地名は、応神天皇の大隅宮(おおすみのみや)や孝徳天皇の長柄豊碕宮(ながらとよさ
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5月27日読了時間: 5分


宇美八幡宮と荒木武彦
第1059話 #須玖岡本遺跡 #奴国 福岡県の中西部に春日市があります。この春日市は、魏志倭人伝に書かれている奴国や伊都国の中心であったとされています。 春日市には、須玖岡本遺跡があり、弥生時代を中心とする60以上の複数遺跡があり、青銅器生産遺構を持ち、古代奴国の中心地をなす大遺跡群であったと考えられています。 春日市北東に接する大野城、かつての大野村には、「大野の邑(むら)に赴かれた神武天皇は、田中の庄の邑長: 荒木武彦の奉迎を受け、武彦の案内で宇美に進む際、四王子山(大城山) に使いを立て、山上に武甕雷(タケミカズチ*)を祭って王城の鎮守とされた」とする伝承があります。*タケミカヅチは台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!! 春日市と大野城わずか1㌔弱の至近距離であることから、 伝承の大野村はかつての奴国の領域内にあったものと思われます。 神武一行は次に奴国の北東約6㌔の宇美八幡宮に向かっており、この宇美は、魏志倭人伝にかかれている不弥(ふみ)国と思われます。倭人伝では、奴国の次に「東行 不弥国に至る百里」と記しています。...
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5月26日読了時間: 5分


巨樹と台与:蒲生八幡神社と山宮神社
第1058話 蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にあります。旧名は「正八幡若宮八幡宮」。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡三神を祀っています。 摂社・末社 四所宮(仁徳天皇・宇治皇子・ウレ姫・クレ姫) 武内神社(武内宿禰)、天社(天神七代)、國社(地神五代) 早風社(大人隼人) この神社には、日本一の巨樹である「蒲生のクス」があります。 保安4年(1123年)に蒲生院の領主であった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が、豊前国宇佐八幡宮を歓請して、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社)を建立した。その時すでに「蒲生のクス」は神木として祀られていたといいます。伝説では、和気清麻呂(わけきよまろ)が宇佐八幡の信託を奉上(ほうじょう)し、大隅に流された時に蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根付いて大きく成長したものが「蒲生のクス」だとも言われています。 巨樹=神樹については、中国人研究家の徐朝龍氏は、長江上流の中国四川省の三星堆遺跡から出土した樹木状の巨大な青銅器(神樹)こそ、山海経に見える「扶桑*
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5月25日読了時間: 6分
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