海石榴市・長谷寺・補陀落
- tootake
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更新日:3 日前
第923話 #仏教伝来
日本書紀には、「隋の使者である裴世清が難波津から小墾田宮に入った。その日に飾りつけた馬75匹を派遣して海石榴市の衢で迎えた」とあります。海柘榴市は飛鳥時代も都の外港の機能を果たしていたとみられています。
実は、当時の奈良県には、かなり大きな湖がありました。このことは、第26話:奈良に湖 もう一つの古代高速道路かですでに述べています。
奈良県は、四方を山に囲まれた窪地です。
雨水が溜まりやすく、 河川が放射状に集まり、 大和川が唯一の出口です。
古代の人々はこの奈良盆地湖を水運として利用しました。
海石榴市はまさにその「出口に向かう水系」の結節点に位置します。
海石榴市は初瀬川(大和川上流)に接し、大和と難波を結ぶ水陸交通の要衝でした。
隋使・裴世清の一行は難波から大和川→初瀬川を遡り、海石榴市に至ったと考えらています。海石榴市は水運と陸路(上ツ道・横大路など)の結節点でもありました。
その上流には、初瀬川・寺川・飛鳥川などが集まっています。
古奈良湖の跡地は長く湿地帯で、古代にも洪水が多かったことが記録されています。
湿地帯は舟運にとってはむしろ利点で、浅い川でも船を引くことができました。
つまり海石榴市は、初瀬谷に入る玄関口であったのです。
そしてここで見逃せないのが、長谷寺です。 海石榴市は初瀬谷の入口に位置しています。
長谷寺の成立は海石榴市の交通・水運基盤を前提にしています。長谷寺は奈良時代から貴族の参詣が盛んで、 平安期には藤原道長らが頻繁に訪れています。
海石榴市は平安期以降、長谷寺参詣の宿場として繁栄したと記録されています。
海石榴市は仏教伝来の地でもあります。
538年(日本書紀では552年)に、百済の聖明王が欽明天皇に仏像と経典を献上し、仏教が公伝した。百済の使者は難波津から大和川(初瀬川)をさかのぼり、磯城嶋金刺宮に最も近い海柘榴市に上陸したと考えられています。
日本での「補陀落」の名を冠する寺院が川や水辺に近い場所にあるとされており、それには一定の根拠があります。これは単なる偶然ではなく、補陀落信仰の象徴性と地理的な立地選定が深く関係しています。
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※補陀落
長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。
~ 第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
補陀落山(Potalaka)は、華厳経などにおいて「南方の海上に屹立する霊山」とされ、泉・流水・池沼が豊かに湧き出る理想郷と描かれています。
このため、補陀落信仰を体現する寺院は、水のある風景=浄土の象徴として、川・池・海に近い場所が選ばれることが多いのです。
国三十三所の観音霊場のうち、補陀落山のイメージと合致する寺院(青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺など)は、川や海に近接し、水景が豊かな場所に立地していることが確認されています。
奈良県の壷阪寺(南法華寺)なども、かつては湧水が豊かで「岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭のいさごも 浄土なるらん」と詠まれるほど、水との関係が深い寺院です。
北陸地方の古代寺院でも、河岸段丘や谷筋など水流の近くに立地する例が多く、補陀落的景観を意識した配置が見られます。
日本での補陀落信仰は、長谷信仰で、その原点が奈良の長谷寺であることは、
で書きました。この補陀落山のイメージと「川や海に近接し、水景が豊かな場所」に立地していることが確認されています。この「川や海に近接し、水景が豊かな場所」というのが奈良盆地湖というのが私の考えです。
前回:邪馬台国は河内湖:長柄船瀬で書いた河内湖。第284話:邪馬台国は巨椋池で書いたように水運の拠点となるのが、邪馬台国です。
台与、ウツシコオと水運の関係、そして補陀落信仰=観音信仰の原点にいるのが台与です。
長谷寺と海石榴市は、その事を証明する地です。
関連項目:第539話 :仏教伝来異聞
第628話:観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺
第629話:観音菩薩と台与(2)~法輪寺
第630話:観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君
第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺
第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺
第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
第635話:観音信仰と台与(8)金剛院 :摂津市味舌
第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田
第637話:観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




杉ヶ本神社 : 神社参詣 - 大阪府 - 枚方市 : 御中主 - 社寺探訪
<台与シリーズ>
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