top of page

高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与

  • tootake
  • 8 時間前
  • 読了時間: 5分

第874話


高負彦根神社(たかおひこね神社)は、埼玉県比企郡吉見町田甲にあります。

NHK・BSの田中美佐子さんの「こころ旅」に登場していてりっぱな神社なので調べてみました。


高負彦根神社の祭神は、味鉏高彦根尊、大己貴尊味、または素盞嗚命とされています

ので、高負彦根神社の高負彦根は味鉏高彦根尊(あじすきたかひこね)のことでしょう。


和銅3年(710年)に創建され、延喜式神名帳に記載されている延喜式式内社の一つです。社の鎮座する玉鉾山(ポンポン山)は、かつて荒川が流れ、水運の要所だったと考えられています。縁起式内社で昔は玉鉾氷川明神とも称し、素盞嗚命との関わりが深いとされています。 埼玉県には、氷川神社と氷川女体神社があります。氷川神社は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)で氷川女体神社は台与であることは、第730話:氷川神社と氷川女体神社~埼玉県さいたま市で書きました。


味鉏高彦根尊は、台与です。第553話:阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食では、社伝では、「この地:安食(あじき)の名は当社名阿自岐に由来するもので食物豊富にて安住できる地の意で、湧水は干魃甚だしき時もこんこんとして尽きることなく常にこの地を潅漑して年穀豊かに稔り、文字通り安食の里となした。」とあります。阿自岐=安食=農耕の神=台与(豊)ということです。台与は稲作(農耕)の神です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 


第692話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社で書いた都都古和氣神社では、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)と日本武尊(ヤマトタケル)が祀られています。このことによっても、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)=日本武尊(ヤマトタケル)が台与であることが分かります。


社殿の後方の巨岩*に近い地面を強く踏むとポンと音がでます。そこでこの山をポンポン山と言います。*巨岩(磐座:いわくら)は台与のシンボルです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。~磐衝別命と健磐龍命

・大阪府交野市に巨石があり饒速日(にぎはやひ)が天下った船神社になっています。

・熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)が速玉大社の本宮です。祭神は高倉下(=台与)です。


巨岩の直下二十メートルの平地は古代荒川の流路であった。吉見丘陵の東端をめぐった荒川流域に式内三社が存在したのはこの地域が早くから開発が進んでいました。(吉見町・埼玉県掲示)この高負彦根神社のある田甲は旧荒川の水利とともに交通条件に恵まれ、古くから開けていました。東南の丘陵部には旧荒川筋が残り、そこへ突き出るかのように望める岩山が玉鉾山で、その頂上に鎮座するのが高負彦根神社です。岩山の下にかつては湊石があり、船の綱を結んだ石と伝えられ、船着き石とも呼ばれていました。上流の八ツ林には船木神社があり、その付近には冑山古墳や埼玉古墳群が存在することから、やはり古代の水運の要所と考えられています。そして、下流の川越市吉野地区からは縄文後期の丸木舟が出土しており、当地の発達も同時期に比定されています。スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)と台与の一族は、日本各地を船で巡っており、木を植えて船を作ってきたことは、これまでも書いてきました。~第834話:穂高・佐久・上高地:地名の由来


高負彦根神社周辺は、奈良時代の集落地跡「高負彦根神社周辺遺跡」として有名で、吉見町は安閑天皇元年(534年)に置かれた横渟屯倉の推定地であり、大化前代に集落地が既に存在していたと思われています。 屯倉管理のための吉志氏の当地派遣が考えられており、神護景雲二年(七六八)には橘樹郡の「飛鳥部吉志五百国」が朝廷に白雉を献上した記事があります。吉志氏は摂津を本拠として海洋貿易などで膨大な経済基盤を持つ豪族です。一族は政治・経済はもとより祭詞においても重要な地位を占めていた。ちなみに大嘗祭に奏上される吉志舞は、吉志一族に伝承されていた歌舞*です。


吉志氏については、第196話:阿部(安部)氏~岸辺(吹田市) 第701話:大阪と邪馬台国:阿倍野などで書いており、ウツシコオ、台与の一族です。*歌舞は多氏のお家芸です。多氏の祖は、神八井耳命で神八井耳命は台与です。~第537話:神八耳命は台与(豊)



社殿の後ろに御神体と考えられる巨岩があり、その手前の地面で足踏みするとポンポンと音がするのです。田中美佐子さんも自分の足でポンポンと鳴ることを確認されておられました。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





ree

 
 
 

1件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
tootake
8時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

いいね!
bottom of page