太平山神社:天目一大神
- tootake
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第873話
太平山神社は、栃木県栃木市平井町にあります。
NHK・BSの田中美佐子さんの「こころ旅」に登場していてりっぱな神社なので調べてみました。
太平山神社は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)*、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)*をはじめ、御稲荷様、天満宮、福の神様、足尾様など多くの神様が祀られています。
*瓊瓊杵命は台与です。~瓊瓊杵尊:ニニギは台与
*豊受姫大神も台与です。~https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)
太平山神社の周辺からは古い時代の祭祀遺跡・祭祀遺物が出土しており、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。宝暦9年の神社お取り調べにも書かれ旧号大神社(おおみわのやしろ)と記載されています。
太平山神社の歴史は、諸神座記を始め多くの古文書に記録されており、垂仁天皇の御宇に大物主神(おおものぬしのかみ)・天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われています。
ここで注目したいのは、大物主と天目一大神が同一の神のように扱われていることです。
天目一大神とは、第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命で書いたように、天之御影神です。大物主は、第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!で台与であるとしました。
<天目一大神と大物主神は同一の神?>
天目一大神は、三輪山周辺や古代の祭祀文献で登場しており、古事記(中巻・神武記)において、「美和の大物主神」と同じ祭場(三輪山)を用いる神として記録されています。
学者の間では「天目一大神=美和の大物主神」とする見解が根強く存在しています。
三輪山という共通の祭場、祭祀伝承、神武天皇との関わりから、同一視するのが定説です。
ということは、大物主=天目一大神=台与ということになります。
天目一箇神は、日本神話における鍛冶・製鉄・金工の神です。
神名の「目一箇」は「片目」の意味で、鍛冶職人が鉄の温度を判断する際に片目で作業したこと、または火花による職業病に由来すると考えられています。古代の祭祀用金属器や神鏡の製作にも関与したとされ、忌部氏など鍛冶・金工集団との深い関係が伝わっています。
天目一箇神は刀剣、斧、鉄鐸などの祭具の製作を担当していたとされています。
古語拾遺では、人工祭具の製作を「雑の刀、斧、鉄鐸」を作ったと記し、日本書紀では「作金者」として任命されたとされています。
太平山神社は、第53代淳和天皇の御代、風水害や疫病で人々が苦しむさまに淳和天皇は御心を痛められ、「下野国(栃木県)の霊峰三輪山に天下太平を祈る社を造営せよ」との詔を賜り、太平山神社が造営されたとされています。
なぜ奈良県の大神神社の神が栃木県で祀られているかというと、前回:野木神社:莵道稚郎子命は台与でも書きましたが、台与が、日本各地、関東にもやってきて各地の暴れ川(洪水を起こす川)の改修工事を行うためだったのでしょう。
太平山神社のある辺りは、一級河川利根川水系永野川(栃木県栃木市)が流れています。
令和元年東日本台風(台風第19号)では越水による家屋の浸水や堤防決壊、護岸崩壊、橋梁等の損傷といった多大な被害が発生しました。
天目一大神(大物主=台与)は、刀剣、斧、鉄鐸などの祭具ではなく、本当は治水工事に必要な鉄の工具作っていたのです。
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<蛇足の追記>
大阪府の堺が、戦国時代には鉄砲を作り、現在では包丁、自転車などの製造を行うことが出来たのは、大仙古墳(通称:仁徳天皇陵)を作るために様々な鉄の工具を作っていたためだとされています。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
田中美佐子さんはこの石段を登っておられました。




<台与シリーズ>
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