野木神社:莵道稚郎子命は台与
- tootake
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第872話
野木神社は、栃木県下都賀郡野木町野木にあります。莵道稚郎子命を主祭神とし、誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、宗像三女神が配祀されています。
NHK・BSの「こころ旅」に登場していてりっぱな神社なので調べてみました。
仁徳天皇の時代、奈良別王が下毛野国造として下野国に赴任したとき、莵道稚郎子命の遺骸を奉じて当地に祀ったのに始まると伝えられています。その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村麻呂*が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地に社殿を造営し遷座し、弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神が祀られたようです。
乃木大将を祀る乃木神社ではありませんが、陸軍大将:乃木希典は、何度かこの神社に参拝し、陣羽織などを奉納しておられます。
菟道稚郎子(うじの・わき・いらつこ)の稚(わき)は「若」、郎子は「郎女(いらつめ)」の多くが皇女に用いられていることから「郎子」も皇子のことでしょう。「若殿、若様、若ぼん」といった感じです。
郎子は非常に賢い子であったらしく、漢文の書物をすらすらと読みこなせたそうです。
日本書紀によれば、応神天皇28年には、高句麗からの上表文に「高麗王、日本国に教ふ」とある非礼を指摘し、これを破り捨てています。高句麗が日本に教えるなどとは失礼だということらしいのですが、この話も作り話でしょう。なぜなら郎子は百済から貢上品(馬と呉服)持ってきたとされた阿直岐(あちき)に典籍を学んだとされているからです。邪馬台国異聞2~馬と呉服 高句麗がダメで百済が良いというのはおそらく後の百済系の渡来人の創作でしょう。
第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) では、莵道稚郎子命は、崇神天皇としました。
第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!では、莵道稚郎子命は、聖徳太子であるとしました。
莵道稚郎子命の莵道は京都の宇治のことです。なぜ、京都の宇治から遠く離れた栃木県に来たのでしょう。莵道稚郎子命=聖徳太子で、聖徳太子は台与(豊)です。
~第540話:広隆寺と聖徳太子立像
台与が、日本各地、関東にもやってきて各地の暴れ川(洪水を起こす川)の改修工事を土蜘蛛を使って行ってきたことは、このブログで何回も述べています。~第828話:久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛! そのことが、ヤマトタケルの伝説となっていったことものべました。
野木神社の傍には、渡良瀬川が流れています。
渡良瀬川は、北関東を流れる利根川水系利根川支流の一級河川である。流路延長107.6kmは利根川の支流中で、鬼怒川、小貝川に次いで第3位の長さを持ち、流域面積は利根川の支流中では最大です。この渡良瀬川も過去に何回も氾濫を起こしています。
1890年(明治23年)の洪水が有名で、これが鉱毒問題への関心を高めるきっかけとなりました。また、明治時代には他にも多くの洪水が発生しており、1896年(明治29年)の利根川大洪水も記録されています。近年でも2019年(平成30年)の台風19号では、渡良瀬川を含む利根川水系でも計画規模に匹敵する大雨が観測され、各地で浸水被害が発生しました。
*坂上田村麻呂についても、第840話:坂上田村麻呂:田村神社 第841話:https://www.hidemaru3375.com/post/坂上田村麻呂(2)
でも書いており、各地にある坂上田村麻呂を祭神とする田村神社の伝説は、本当は台与の伝説だったというのが、私の考えです。
野木神社からそう遠くない場所に板倉雷電神社(総本宮) 群馬県邑楽郡板倉町板倉
があります。この当神社の歴史も古く、1400年をさかのぼります。火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良(いなら)の沼に浮かぶ小島に祠(ほこら)を設け、天の神をお祀(まつ)りしたのが最初とされています。
聖徳太子の伝説が残っていることが、莵道稚郎子命=聖徳太子=台与の傍証になります。
大雷大神がウツシコオで、別雷大神は台与です。京都の上賀茂神社の祭神は、賀茂別雷大神
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
この長い参道を田中美佐子さんが自転車で走っておられました。




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<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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