金太郎と台与
- tootake
- 10月9日
- 読了時間: 5分
更新日:10月10日
第830話~頼光四天王(1)
おとぎ話の金太郎(きんたろう)は、坂田金時(坂田公時:さかたのきんとき)の幼名とされています。
金太郎にはいくつも伝説が存在します。私たちが子供のころに聞かされた話に近いのは静岡県駿東郡小山町の金時神社の伝説です。静岡県駿東郡小山町は前回の御殿山と邪馬台国で書いた御殿場の近くです。
金太郎は天暦10年(956年)5月に誕生しました。彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供で、八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、坂田が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにした。成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。
天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となった。金太郎は坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となります(四天王には他に渡辺綱、卜部季武、碓井貞光がいます)。 当時、丹波の国の大江山(現在の京都府福知山市)に住む鬼の頭目、酒呑童子が都に来ては若い男女を誘拐するなどの悪事をなしており、 永祚2年3月26日(990年4月28日)、源頼光と四天王たちは山伏に変装して大江山に行き、 神変奇特酒(神便鬼毒酒、眠り薬入りの酒)を使って酒呑童子を退治するというものです。
第460話:酒吞童子と茨木童子 では、酒呑童子はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)で茨木童子は台与としました。諸説の中に、実は茨木童子は「男の鬼ではなく、女の鬼だった」という説もあります。
坂田金時は寛弘7年12月15日、九州の賊を征伐するため筑紫(つくし・現在福岡県)へ向かう途中、美作(みまさか)勝間田荘(現在の岡山県勝央町)の仮陣屋滞在中に重い熱病にかかり、享年55で死去します。村の人々は金時を慕い、倶利伽羅(くりから:剛勇の意)権現として祀った。その神社は今もあるの栗柄神社です。
他にも兵庫県川西市の満願寺の墓、滋賀県長浜市など、各地に伝説があります。
・満願寺には、金太郎の墓があります。この満願寺は、元々は多田院(多田神社)で清和源氏発祥の地です。満願寺、多田院(多田神社)は、第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市の近くで、前回:御殿山と邪馬台国 書いたいた御殿山町は数キロの近さです。
前回では、御殿のつく地名は台与のいた所としました。
・滋賀県長浜市の伝説では、金太郎は平安時代中期、天暦9年に近江国坂田郡布勢郷(長浜市西黒田地区)で生まれたとされます。地元の有力氏族「息長氏」の一族として誕生し、鍛冶屋で働いていたという伝承があり、これは、金太郎の「赤い肌」「金の腹掛け」「まさかり」などの特徴が、製鉄作業に由来するという説に結びついています。
滋賀県長浜市と米原市は、昔は坂田郡であり、今も長浜市には足柄神社や芦柄神社が何カ所もあり、子ども相撲の行事が行われています。この地域は古代豪族息長氏の本拠地であり、金時はその一族であるといいます。
金太郎が身につけている腹掛けには「金」や「王」の文字が描かれていることがあります。特に「王」の字は、まさかり(鉞)を象徴する象形文字とされる説があります。縦棒に三本の横棒がついた形が、まさかりの柄と刃を表しているという見方です。
金太郎がまさかりを担いでいる姿と、「王」の文字が重なることで、力強さや支配力の象徴として描かれているのです。
🔥 鍛冶文化との関連
金太郎の赤い肌や腹掛け、まさかりなどの特徴は、製鉄や鍛冶の文化を反映しているとも言われています。
そのため、「王」の文字は単なる飾りではなく、鉄を操る者=力の象徴=王者という意味合いを持っていた可能性があります。
このように、「王」の文字は金太郎の物語において、武力・鍛冶・支配・成長といった多面的な意味を持つ重要なシンボルとなっています。
このブログでは、第216話:五十鈴姫は鉄の神
第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第490話:日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤
第491話:森製鉄遺跡~交野市河内磐船
などで台与と製鉄の関係をのべました。
息長氏についても、第403話:伊福部氏と息長氏 で息長氏と製鉄の関係について書いています。
上記のように、王の文字はマサカリの象形文字で、腹掛け姿は鍛冶を象徴することからとされているそうですがますが、いち早く鉄文化を手に入れたのは13歳で邪馬台国(ヤマト)の王に即位した台与です。
金太郎も台与を基に創作された人物です。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




園城寺 - Wikipedia
とし、これを現在の護法善神堂がある場所に設置して寺を再興し、新羅社(新羅善神堂)を創建している[
<台与シリーズ>
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