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観音菩薩と台与(4)~明尾寺

  • tootake
  • 3月24日
  • 読了時間: 5分

更新日:3月25日

第631話 #用明天皇は台与 #中将姫 #磐余池辺雙槻宮


枚方市東部方面の丘陵地帯に山田池公園(枚方市山田池南町)があります。山田池は結構大きい池です。その山田池公園の真ん中に明尾寺があります。


明尾寺畧縁起によりますと、推古天皇の時代に高麗国光明寺僧:徳胤僧正が来朝し聖徳太子に11面観音像を奉献します。太子はこれを河内国交野郡山田郷へ七堂伽藍を創建なされて、多慶山万法蔵院禅林寺と号し、この観音像を本尊として安置なされて我が国最古の三論宗の名刹として開創なされし とあります。


明尾寺は院号を万法蔵院といい、寺伝によると、本尊十一面観音は用明天皇のとき、高麗の沙門:徳胤が持ち帰り、聖徳太子に賜ったもので、太子の弟麻呂子がこの観音を本尊として当山を開創したと伝わっています。その後、弘法大師が留錫して真言宗になりました。

1801年(享和元年)刊行の河内名所図会には「寺説云、初は中将姫の開基也とぞ、土人、元当麻と呼ぶ、本尊十一面観音、長2尺許」とあります。


奈良県葛城市にある當麻寺(たいまでら)の縁起は、元は河内の交野郡山田郷に建てた万宝宝蔵院に始まるとし、その後、681年(天武10年)に麻呂子の孫にあたる當麻国見(たいまのくにみ)が大和国・當麻の地に移し、この地方の豪族當麻氏*の氏寺として整備したと伝えています。當麻寺にも中将姫に関わる伝説も残されており、この明尾寺の縁起と相通ずる部分が多く、古代にはこの2寺院は何らかの関わりがあったものと思われています。


つまり奈良県の葛城市にある當麻寺は元々は、枚方の山田池公園にあったのです。


中将姫については、結構長いお話がありますがここでは省略します。


中将姫と台与(豊)の関連をうかがわせる逸話としては、雲雀山があります。

中将姫は、継母の暗殺から逃れるためにた雲雀山に行きます。和歌山県有田市糸我町と橋本市恋野に雲雀山の地名があり、どちらも、中将姫にまつわる言い伝えが残されている。

有田市は和歌山市(名草:スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)の出身地)のやや南で奈良県の宇陀の近くです。この辺りは朱(水銀)の産地です。鉱物資源と邪馬台国(7)空海と丹生都姫:水銀


漢方薬のツムラの創業者津村重舎大和国宇陀郡出身で、雲雀山青蓮寺の檀家であり、母の実家の藤村家に、逃亡中の中将姫をかくまった御礼に製法を教えられた薬(中将湯)が、代々伝えられていたという。これは、仏事の一環として薬学の習得があったとされています。


でこれからが今回の本題です。用明天皇の宮は池辺宮(磐余池辺雙槻宮)とされています。

用明天皇は聖徳太子の父親とされています。別名は、大兄皇子、橘日命(たちばなのとよひのみこと)


※弟橘豊日命(たちばなとよひのみこと)、池辺宮(いけのへのみや)に坐(ましま)して、天下(あめのした)を治さめたまふこと、参歳(みとせ)。


明尾寺は聖徳太子が建てたとされています。聖徳太子は台与です。

・大兄(おおえ)=大江=大枝=太子(聖徳太子)は台与(豊)です。

 ~第583話:履中天皇(第17代)~大江 第537話:神八耳命は台与(豊)

・この辺りの地名は、枚方市池の宮です。〒573-0005


◎明尾寺は、用明天皇の宮:池辺宮(磐余池辺雙槻宮)の跡地であると思われます。


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<追記>

枚方市・交野市に住んでいるものは、親族が死ぬと翌年(初盆)に、明尾寺に参るという風習があります。私も数年前に義父が亡くなった翌年に明尾寺に参りました。これは、明尾寺が古代の宮であったからではないでしょうか。宮は今の市役所の役目(戸籍の管理)もしていたのです。



<観音信仰と台与>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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秀丸 遠嶽
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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天皇から中将の位を賜ったため、中将姫と言ったとの伝承もあるが、「中」が重要な鍵ではないかと考える説があります。「中」が例えば「神(仏)と人との仲立ちをする」意味を示しているとし、他の例として中大兄皇子、中皇命、忍坂大中姫中臣氏中宮等が挙げられるが、詳しいことはわかっていない。奈良県奈良市三棟町にある、中将姫生誕地と伝わる誕生寺の三棟殿略縁起に拠れば、姫は天平19年8月18日の早朝に生を受け、父親の藤原豊成はその日のうちに「中将内侍」の官名の勅許を受けたことから中将姫と呼ばれるようになったとされている。

 

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秀丸 遠嶽
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