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継体天皇は阿須波神~福井県福井市足羽

tootake
3 時間前
読了時間: 7分

第1218話   #継体天皇 #足羽神社


足羽神社は、福井県福井市足羽にあります。祭神は、継体天皇です。

継体天皇(当時は男大迹王:オオト)が、越前国でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされた伝承が残っており、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、宮中に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請し、事業の安全を祈願したのが足羽神社の起源とされています。


大宮地之霊とは、以下五柱神の総称で、朝廷宮中の守護神です。

生井神・福井神・綱長井神~井戸の神、水の神

阿須波神~足場の神、工事安全守神、交通・旅行神

波比岐神~門の守神、災難除・厄除け・八方除け


足羽神社の足羽は地名でもありますが、阿須波神(足場の神)の「阿須波」からきているのでしょう。社伝には「末永く此の国の守神に成らん」と、自らの御生霊(みいきみたま)を此の宮に鎮め、御子・馬來田皇女(うまくだのひめみこ)を斎主として後を託されました。

皇女は天皇の御霊を中央に祀り、大宮地之霊を左右に配祀し、阿須波(あすは)の神名により、足羽宮(あすわのみや)と称え奉ることになさいました。とあります。


継体天皇(当時は男大迹王:オオト)が来られた当時の越前の国は沼地同然で、人が住むには限られた土地しかない国でしたので、男大迹王は大変心を痛められ、足羽山に土地をト(ぼく)して御社殿(足羽神社)を建て、宮中守護の大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を祀って神前に安全を祈願して治水を始めます。


地の理を調べて現在の九頭竜・足羽・日野の三大川を整備せられ、三国に水門(みなと)を開き諸水を海に流されて越前平野が出来ました。これが福井の大治水伝説になっています。これにより、農業が盛んになったばかりでなく川を利用して舟で荷を運べるようになりました。また、道を作り人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙、その他諸産業興隆の道を教えられ、田畑が開け、五穀も良く実り、海川交易も栄えて、人家繁栄の土地となり、天皇は昔より越前開闢(えちぜんかいびゃく)の御祖神(みおやがみ)と称え崇め尊ばれてきました。


継体天皇は台与です。~第1134話:継体天皇は台与:AIとの対話


このブログでは台与は、各地で暴れ川の改修工事を行い稲作の推進をしてきたとこのブログでは書き続けてきています。


阿須波神は、大年神の系譜中に出ています。大年神が天知迦流美豆比売を娶って生んだ神々(奥津日子神・奥津比売命*・大山咋神・庭津日神・阿須波神・波比岐神・香山戸臣神・羽山戸神・庭高津日神・大土神)の内の一神です。


*大年神は台与です。~第259話:大歳~稲耕の神

*天知迦流美豆比売も台与です。~第1025話:映画国宝と天知迦流美豆姫

ちなみに天知迦流美豆比売は出雲の国引きをした八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)=淤美豆奴神(オミヅヌ)と同一人物です。~第1032話:出雲と台与

*大宮地之霊とは、坐摩神のことです。

坐摩神(ざま/いかすりのかみ)は通常、生井(いくい)・福井(さくい)・綱長井(つながい)・波比岐(はひき)・阿須波(あすは)の五神をさすますが、足羽神社の大正の記録では阿須波大神、波比岐大神の二神を祭神していると残されています。


*奥津日子神の読みは、「奥」をオクと読む説、オキと読む説がある。「津」は助詞とされ、名義は、「奥」をオクと読んだ場合、家の奥の意でかまどの位置を指すとする説や、稲の神である大年神の子であることから、「奥津」を、祝詞などで稲を言う「奥津御年」が圧縮された語とする説などがある。「奥」をオキと読んだ場合、母神の天知迦流美豆比売のミヅヒメの語を「水姫」と解した上で「沖」の意とする説や、対偶神の奥津比売命の別名である大戸比売神の「戸(へ)」を「辺」と捉えた上で、それに対する「奥」の意とする説、また、「燠(おき)」(赤くおこった炭火)のこととする説などがある。


竈の神とは「おくどさん」のことです。

第536話:塞ノ神と佐比の岡とおくどさんでは、次のように書いています。「岐神も道の神です。岐神(クナド、くなど、くなと -のかみ)とは、古より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されています。疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神です。

台与(豊)が塞ノ神(佐比の神)=「おくどさん」だからこそ、製鉄の神、道の神、竈の神となっていったのです。


古事記では、奥津日子神の次に生まれた奥津比売命(別名、大戸比売神)の後に、この神は人々が崇拝する竈の神であると説明されているが、この注記が、奥津比売命のみを指すか、奥津日子神と奥津比売命の二柱を指すかで疑問が残されていますが、奥津日子神は台与の父親であるウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米でしょう。


大戸比売神の「大戸:オオト」が、継体天皇であることは、第1209話:高賀神社(3):大戸道尊・大戸辺尊で書きました。


更には宗像三女神の沖ノ島の沖津宮 - 多紀理毘売命(たぎりひめ)の別名は 奥津島比売命(おきつしまひめ)です。このブログでは、宗像三女神は、第602話:宗像三女神と三筒男は、、、で、台与としています。


座摩五神についても、第1023話:御井神の系譜:積川神社で

座摩五神は越前(福井県)の足羽山の足羽神社(あすわじんじゃ)にも鎮座し、それに因って福井(=栄井)の地名となったとされています。この足羽神社では、座摩五神とともに継体天皇が祀られています。継体天皇は台与です。と書いていました。


上記により、台与が継体天皇であり、越前平野で大治水事業を行い稲作を推進したことがわかります。


この事実により、継体天皇が幼少期を母親(振媛)の里である丸岡ですごしたという伝説が創作されたのです。~第904話:丸岡と継体天皇~福井県坂井市

丸岡の近くには、九頭竜川が流れています。

で書いたように暴れ川は大抵「八」が付くのですが、九頭竜川は「九」なのはなぜかなと考えてみました。九頭竜川は、有史以来氾濫を繰り返し「崩れ川」と呼ばれるほどでした。

この「崩れ川」が訛って「九頭竜川」になったのだと思います。


因みに継体天皇の父親:彦主人王(ひこ・うしのおう)は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。~第385話:継体天皇の父はウツシコオ



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>



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3件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2分前
5つ星のうち5と評価されています。

「歴史学の通常の実証的方法ではなく、地名・神名・音韻の連鎖そのものを座標軸として古代史を再構築する試み」という観点に立つなら、この「継体天皇は阿須波神~福井県福井市足羽」は、その方法論が非常に純粋な形で現れている記事だと評価できます。 [hidemaru3375.com]

  • 足羽

  • 阿須波

  • オオト(男大迹王)

  • 大戸比売

  • 台与

  • 坐摩神

という名称群の間に見出される音と意味の連続性から、一つの歴史像を描こうとしている点です。 [hidemaru3375.com]

この記事では、「足羽」という地名が単なる地理的名称ではなく、「阿須波神」という神名を媒介として継体天皇と結び付けられ、さらに継体天皇=台与というブログ全体の基本仮説へ接続されます。こうして一見ばらばらに見える神社伝承、地名、神名、記紀神話が、一つの巨大なネットワークとして再配置されていきます。 [hidemaru3375.com]

このブログの最大の特徴は、「史料を解釈する」のではなく、「地名の連鎖から史料を再配置する」ことにあります。


本記事でも足羽神社の伝承を出発点にして、

  • 継体天皇=男大迹王

  • 男大迹王=オオト

  • オオト=大戸

  • 大戸比売

  • 台与

  • 邪馬台国

という大きな流れへ拡張されています。 [hidemaru3375.com]

その意味で、このブログを評価する際には、

「通説との整合性」ではなく、「地名・神名ネットワークの自己一貫性」

を見るべきでしょう。

記事の末尾で筆者自身が「矛盾があれば次の記事のヒントにする」と述べているように、このブログは歴史学論文というより、一種の巨大な仮説体系として運営されています。 [hidemaru3375.com]

したがって、「地名から読み解く邪馬台国」という観点から見ると、このページは非常に典型的かつ完成度の高い一例です。

一方で、学術史学の観点から見ると、名称の類似や語音の連想が因果関係や歴史的同一性の証明にはならないため、実証性については慎重な検証が必要になります。しかし、そのこととは別に、

地名を歴史記録の化石とみなし、その連鎖から古代日本列島の記憶を復元しようとする徹底した姿勢

は、このブログ独自の魅力であり、本記事にも強く表れていると言えるでしょう。 [hidemaru3375.com]

要約すると、このページは「継体天皇を論じた記事」である以上に、「地名・神名を基点として邪馬台国から記紀までを一本の物語として再統合する」という、このブログ全体の方法論を最もよく示す記事の一つとして評価できます。 [hidemaru3375.com]

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1時間前
5つ星のうち5と評価されています。

大崎八幡宮 - Wikipedia


上、中流部では谷が深いため、広瀬川の水を引き揚げて利用することはない。熊ヶ根の野川橋付近では、右岸の岸壁に穴が穿ってあり、籠岩と呼ばれる。かつて水路の取水口にしようとして断念した箇所ではないかといわれるが、定かではない。


広瀬川

長町-利府線より下流の両岸(沖積平野)にある微高地には、旧石器時代から古代の遺跡が数多く見られる。そのため、この地区が同時期の仙台平野の中心地と見られている。南小泉遺跡などの集落跡や遠見塚古墳がある左岸が当初は中心地だったようだが、後に古墳群がある右岸に中心地が移ったようである。その後、最初の陸奥国国府と見られる郡山遺跡が右岸に築かれた。多賀城設置後は、当地が中心地ではなくなったが、陸奥国分寺・陸奥国分尼寺が設けられた。


上、中流部では谷が深いため、広瀬川の水を引き揚げて利用することはない。熊ヶ根の野川橋付近では、右岸の岸壁に穴が穿ってあり、籠岩と呼ばれる。かつて水路の取水口にしようとして断念した箇所ではないかといわれるが、定かではない

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

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https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

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hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

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小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

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