渡辺綱:坐摩神社(いかすり)
- tootake
- 10月10日
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第831話~頼光四天王(2)
前回:金太郎と台与で書いた金太郎は、源頼光に仕えた「頼光四天王」の一人です。
頼光四天王は、平安時代の武勇に優れた四人の武士です。四天王は、渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光の四人です。
渡辺綱(わたなべ の つな)は、源頼光の筆頭家臣で、鬼退治の伝説で知られ、特に羅生門の鬼・茨木童子の腕を切り落とした逸話が有名です。
渡辺綱は、渡辺氏の祖とされ、後世の武士たちに崇敬されました。渡辺は、日本全国に見られる地名であり、摂津国の淀川河口近くに存在した渡辺が渡辺姓の由来ともいわれています。この渡辺は渡辺津と呼ばれる港であり、現在の大阪市天満橋から天神橋の間の辺りにありました。渡辺姓のルーツで有名な神社は坐摩神社です(いかすり:ざま)
祭神は以下の5柱ですが、総して坐摩神(いかすり)としています。
生井神(いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神(さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神(つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神(はひきのかみ) - 竃神*(屋敷神。庭の神)
阿須波神(はすはのかみ) - 竃神*(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
生井神・福井神・綱長井神は井戸の神々で、井泉をもって宮殿の象徴とするのは、万葉集の「藤原宮御井歌」にも書いてあります。このブログでは、井泉=泉は台与の居た地としています。~第820話:伊豆美(いずみ)~泉町(4)木津川市
*竃神は台与です。~第536話:塞ノ神と佐比の岡とおくどさん
古語拾遺では、これら座摩神を「大宮地の霊(おおみやどころのみたま)」としています。
ちなみに「いかすり」は「居処領(いかしり)=「居所知」の転と見られ、宮所守護の神々とされています。つまり、これらの5柱の祭神は、宮中の警護役ということが分かります。
ようするに、台与の拠点地です。坐摩神社が最初にあった場所は淀川河口で、菟餓野(とがの、都下野)を指します。*菟餓野の「菟」は「兎」で「兎」は「宇治=菟道」です。菟道稚郎子は台与です。「兎」が付く地は台与と関係がある地です。~第378話:猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都
坐摩神社の創建時は、この辺りは、渡辺津・窪津・大江*、古くは浪速沼などと呼ばれていた淀川河口です。旧・社地は大阪市中央区石町(こくまち)に推定されています。、天神橋、丹間橋間の南、「八軒家」と呼ばれるところです。京阪電車の天満橋駅があるとことです。
石町には摂津国の国府も置かれており、石町(こくまち)は国府の転訛といわれています。平安時代には、佐賀源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こしました。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となります。渡辺津は窪津ともよばれ、熊野古道の基点でもありました。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったところです。*熊野古道を歩くと、「○○王子」と名のついた神社や跡地が数多く現れます。これらは総称して「九十九王子(くじゅうくおうじ)」と呼ばれ、院政期(12世紀)から鎌倉時代にかけて熊野詣が盛んになった際に、修験者たちによって整備された儀礼空間です。王子とは童子の姿ということです。童子とは13歳で邪馬台国(ヤマト)の大王(天皇)に即位した台与のことです。
*大江は、台与のことです。~第583話:履中天皇(第17代)~大江
坐摩神社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀り花を献じたとされ、応神天皇の3年に社殿を奉じたと伝わっています。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られています。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称しています。
*神功皇后も応神天皇も台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与
坐摩神社の末社に陶器神社があります。陶器神社の 祭神は大陶祇神・迦具突智神で
大陶祇神とは賀茂建角身命のことでスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。~ 第280話:建角身命もウツシコオ
・ウツシコオ=事代主は 陶津耳命(すえつみみのみこと)でもあります。~第767話:須恵器と邪馬台国
・迦具突智神はカグツチで台与です。~第608話:鉱物資源と邪馬台国6~淡路島:鉄
坐摩神社は、初代 桂 文治が初めてこの神社で寄席を開いたとされています。このことを基に、上方落語協会により境内に「上方落語寄席発祥地顕彰碑」が建立されています。
関連項目:頼光四天王(1)~金太郎と台与
:第460話:酒吞童子と茨木童子
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
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