水戸:茨城県の邪馬台国(4)
- tootake
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第1054話
水戸という地名は「水の門」に由来し、那珂川(なかがわ)*と千波湖に挟まれた台地の出入口を意味しています。水戸は、の「戸」は、那珂川の舟運や水路の出入り口という地形的特徴に由来しています。古くから海や川の水の出入口を「みと」または「みなと」と呼ばれていました。15世紀ごろ江戸氏がこの地域を支配するようになると、那賀郡の一部を「水戸」と呼ぶようになり、江戸氏の時代には「江戸」とも併用されていました 。
水戸の始まりは、大和朝廷から東国に派遣されてきた建借間命*(たけかしまのみこと)とされています。建借間命は軍船を率いて霞ヶ浦に入り、鹿島・行方地方、さらに那珂川流域一帯を切り開いたとされています。那賀国*は、当初いまの水戸市飯富付近を根拠としたとみられ、これが水戸の始まりとされています。
飯富には、この地方で最も古いとされる安戸星古墳がありましたが、発掘調査(1981年)ののち整地され、いまは駐車場になっています。
飯富(いいとみ)には、水戸地方で最も古い神社の一つ大井神社*があります。祭神は最初に水戸地方を治めた建借馬(間)命である。
那賀国造について、古事記では、神武天皇の第一皇子を祖先とする九州の意富臣(おおのおみ)・火君(ひのきみ)・大分君・阿蘇君やと同族であると記されています。
水戸市史:上巻も「仲国造の初祖:建借間命は、火の国造家から別れた意富臣の一族であり、火の国を中心に根拠をもち、東国に進出したという説が有力である」と記しています。「火の国」とは古代の北九州地方の名称で、のち肥前・肥後に分けられました。水戸の始まりと関連深いのは、肥前、特に今の佐賀県地方です。堀原地区で平成二年から毎年「火の国まつり」を行っているのは、水戸の始まりが九州火の国と関連深いことによります。
建借間命は、台代です。
この建借間命の借間(かしま)は「鹿島」であり、鹿島神宮の祭神の建甕槌(タケミカヅチ)との関連が推測されます。建甕槌は、常陸国鹿島の神と同名で、「彦狭島」の「狭島」が「鹿島」と同義であることされています。
・第441話:タケミカヅチは台与!!としています。第777話:邪馬台国の水軍(4):彦狭島命と建借間命では、
彦狭島命=建借間命=建甕槌(タケミカヅチ)=台与となりますので、彦狭島命は台与となります。建借間命は軍船を率いてとありますので、建借間命=台与は水軍の長(おさ)でもあったのです。と書いています。
・第371話:彦狭島命~吉備児島では、
常陸国風土記の記述から、彦狭島のは「鹿島」と同義とする説があります。 と書いています。
鹿島といえば、鹿島神宮です。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として、建御雷之男神(タケミカヅチ)が祀られていおり、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれています。と書いています。タケミカヅチは台与です。~タケミカヅチは台与!!
神武天皇の第一皇子を祖先とする九州の意富臣(おおのおみ)の「意富」は「多」です。
多氏は「太」「大」「意富」「飯富」「於保」などとも表記され、神武天皇の皇子・神八井耳命を祖とする皇別氏族とされます。神八井耳命は台与です。
~第537話:神八耳命は台与(豊)
・火君(ひのきみ)とは、台与のことです。火の付く神は台与です。
・大分君~第908話:日田(大分県)の伝説を検証するでは、大分と台与のことを書きました。
・阿蘇君~第428話:阿蘇都媛は台与
那珂川、那賀国の「なか」とは、長髄彦(ナガスネヒコ)の「なが」のことです。
第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡では、次のように書きました。
粉河寺がある地は那賀郡ということを言いたかったからです。この那賀郡の「那賀」は「中」で長髄彦(ナガスネヒコ)=中津彦(ナカツ彦)ではないかとされるのは、「謎の四世紀」の著者である上垣内憲一先生です。~P162
長髄彦の名前については、日本書紀に「長髄は是邑の本の号なり」=「長髄とは村の名前(地名)」と書いてあります。
長髄彦はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。長髄彦は饒速日(ニギハヤヒ)にいつも寄り添っています。
饒速日(ニギハヤヒ)は台与です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
*大井神社については、第1028話:大井川と大井神社:静岡の台与(2)で書いたように台代と関係の深い神社です。
<茨城県の邪馬台国>
第928話:茨城県の邪馬台国(1):薩都神社
第929話:茨城県の邪馬台国(2):武生神社と坂上田村麻呂
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




粟鹿神社は七不思議の伝説があるご利益満載の癒やし系最強パワースポット【兵庫県一之宮】 | 神社ラボ
https://genbu.net/place/indexkansai.htm 神社一覧
「水の門」が語る、太古の息吹
この「水戸」という言葉、実は「水の門」という意味合いがあるそうです。具体的には、那珂川と千波湖に挟まれた、交通の要衝、つまり「出入口」を意味していたとか。古くから、海や川の出入り口を「みと」や「みなと」と呼んだ歴史があるそうで、まさに地形がそのまま名前に結びついているんです。思わず、古代の人々がこの地の利をどう活かしていたのだろうかと、想像が膨らんでしまいますね。
さらに、水戸の始まりは、なんと遠い昔、大和朝廷から東国へ派遣された建借間命(たけかしわのみこと)にまで遡ると言われています。この方が軍船を率いて霞ヶ浦に入り、この地域一帯を開拓したのだとか。飯富(いいとみ)という地域には、この地方で最も古いとされる安戸星古墳(あどせこふん)があったことからも、この土地がいかに古くから栄えていたかが伺えます。今は駐車場になっているそうですが、いにしえのロマンが眠っている場所なんですよね。
邪馬台国への新たな視点
これまで邪馬台国というと、九州説や近畿説が有力視されてきましたが、水戸のような関東の地名や歴史を紐解いていくと、「もしかしたら、関東にもその勢力があったのでは?」という、新しい可能性が見えてくる気がします。建借間命の開拓や、古い古墳の存在は、この地域が古代において重要な役割を担っていたことを示唆しているように思えるのです。歴史の謎は、本当に、どこに転がっているか分かりませんね!
<台与シリーズ>
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孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与