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柴又帝釈天と台与

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 5分

第1091話


柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、映画「ふうてんの寅さん」で有名です。

「帝釈天」は、仏教の守護神である天部の一つを指します。


日本では、帝釈天は梵天と対になって祀られることが多くみられます。両者を併せて「梵釈」と称することもあります。日本人の感覚としては帝釈天=梵天という感覚があるようです。第1087話:成相寺(2):梵天と小野小町で書いたように、梵天=台与としました。ということは柴又帝釈天も台与と関係があるのでは、と思って調べてみました。


葛飾柴又帝釈天は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院です。邪馬台国・台与とは何の関係もなさそうです。しかし、葛飾柴又の「柴又」はかつては、嶋俣里であることが発掘によって明らかになりました。奈良時代の正倉院御物に収められた養老5年(721年)の「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に「嶋俣里(しままたり)」が記載されており、これが現在の柴又に比定されています。


嶋俣里の「俣」は川俣姫(川又姫)の「俣」で、川俣姫は台与です。

俣・又は、川が合流する地点のことです。台与は日本各地で河川の改修工事を行い稲作を推進しています。~第496話: 河俣毘売(かわまたびめ)~放出(はなてん) では、大和川がよく氾濫したので、当地に樋を掘り、水を放出した、つまり大湖沼の水の放出口であったことからこの放出(はなてん)になったと書いています。


小合溜井(こあいためい)は、東京都葛飾区と埼玉県三郷市との県境に位置する池で小合溜「溜井」とは、用水を確保するために河川を堰き止めて作る用水池です。小合溜井との台代は関係は不明ですが、この辺りが用水池が必要であったことが分かります。


葛飾区東金町に葛西神社があります。 後鳥羽天皇の元暦二年(1185)に上葛西、下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊をお祀りしたものです。

祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

経津主は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米日本武尊は台与です。 ~第441話:タケミカヅチ、経津主:タケミカヅチは台与 ヤマトタケルは台与


柴又帝釈天は下総国葛飾郡でその西は、島郡白方郷でこちらも有名な「浅草」です。


白方は私が邪馬台国とする枚方です。~第1061話:枚方・白肩・白方・平潟 

第747話:浅草と枚方:茨田堤:武蔵の人・強頸で書いたように、東京の浅草も白方(しらかた)です。武蔵国分寺跡の発掘現場から「白方郷土師」と刻印された屋根瓦数枚が発掘され、遠く武蔵国分寺の建設にも「浅草:土師氏」が関わったことが判明しています。

浅草と呼ばれる以前の浅草の地名は、白方郷です。浅草の浅草寺にある聖観世音像は弟漁師・桧前浜成命・桧前竹成命が釣り上げたとされています。桧前浜成命・桧前竹成命の「桧前:ひのくま」は「日前:ひのくま」です。~第1050話:葵祭と三社祭


柴又帝釈天のある下総国葛飾郡には、葛西御厨(かさいのみくりや)がありました。

御厨(みくり、みくりや)とは、「御」(神の)+「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のことで、神饌を用意するための屋舎のことです。御園(みその、みそのう)ともいい、寄進型荘園で、伊勢神宮の御厨です。永万元年(1165年)、葛西城(東京都葛飾区青戸)に居住していた葛西清重が、周辺領内33郷を寄進して成立したものです。


葛西 清重(かさい きよしげ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。桓武平氏の流れを汲む秩父氏・豊島氏の庶流にあたります。

秩父は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米、台与と非常に関連の深い地です。豊島氏も秩父氏の一族です。


伊勢神宮において葛西御厨の管理を担当していたのは当初は占部氏です。

占部氏も台与・ウツシコオと関連の深い一族です。


上記により、この地に帝釈天があるのは、台与と関係がある考えられます。


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<蛇足の追記>

関西人である私は、つい最近まで浅草と柴又帝釈天の区別がついていませんでした。

仕事で東京に行ったとき時間あったので浅草に行き、仲店で「寅さん」の団子屋を探して見つからないのでおかしいなと思っていました。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

2件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

皆さんは、映画「男はつらいよ」の舞台として親しまれている「柴又帝釈天」を訪れたことはありますか?実はここ、ただの観光地ではないんです。古代史を追いかける私として、どうしても見逃せない「謎」が隠されていたんですよ。

柴又と台与の接点

江戸時代に開創されたお寺ですが、地名の「柴又」を掘り下げると、奈良時代の「嶋俣里」という古い記録に行き着きます。この「俣(また)」という響き、実は女王・台与を象徴するキーワードと深く関わっているようなんです。


なぜ川が合流する場所が台与の足跡となるのか?その論理をブログで噛み砕いて解説しました。歴史好きの皆さん、ぜひ一緒に推理してみませんか?

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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