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天武天皇は台与(2):大友皇子と東漢氏

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 7分

更新日:10 時間前

第761話 #安曇族


第40代天武天皇の諱は大海人(おおあま)です。

大海人(おおあま)という名前は、幼少期に養育を受けた凡海氏海部一族の伴造)にちなんだもので、天武天皇の殯に凡海麁鎌*が壬生(養育)のことをしたことからこのように推測されています。(日本書紀) この大海人という名前からは、第314話:海人族~ワタツミで書いたように阿曇(安曇)族との関連をどうしても考えてしまいます。


谷川健一凡海氏と同族とされる阿曇氏には祖神を宇都志日金柝命*(うつしひかなさくのみこと)とする伝えがあり(古事記)、その神名に見える「金柝」が金属に因むもので、その阿曇氏が各地の開墾や岩盤の開鑿伝承に現われることから、同氏が海部の伴造という海洋氏族であると共に朝鮮半島との交易を通じて金属器に深くなじんだ氏族でもあった可能性を指摘、同様に凡海氏も冶金技術に優れた氏族で、そのために天武天皇の壬生に選ばれたのではないか、少なくとも麁「鎌」という名前や冶金のために陸奥国に派遣されたことから、麁鎌が鉱山採掘や金属精錬に詳しい人物であったと思われるとされておられます。


*第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 では、宇都志日金柝命は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王としています。


大海人(天武天皇)は、壬申の乱に勝利して天皇に即位したとされています。対立したのは、大友皇子で、その大友皇子を養育したのが、大友村主です。大友村主も宿祢(蕃良宿禰)ですので、ウツシコオ(内色許男命)でしょう。大友氏の本貫は、近江国滋賀郡大友郷は、現在の滋賀県大津市坂本地区周辺に比定されています。この辺りは穴太積みで有名な穴太衆のいる地です。

穴太衆の中には「阿波国から来た」という伝承を持つ家系もあり、私は、穴太衆が安曇族の分派ではないかと思っています。近くに安曇川(あどがわ)が流れており、JR湖西線の安曇川駅もあります。文献上の確証はありませんが、穴太衆と安曇族の両者が近江国に拠点を持ち、技術職能集団として活躍していたという点で、文化的・技術的な接点があった可能性は十分に考えられます。


大友村主は一説では仁徳天皇の時代に阿智使主とともに日本に渡来した帝利(みかどり)を祖としています。恐らく、近江朝廷における大友皇子(弘文天皇)の主たる支持勢力を成したと推察されています。応神天皇20年9月条に「倭漢直(やまとのあやのあたひ)の祖である阿智使主*と、帝利ら一行が朝廷に仕えた」と記載があります。


東漢氏(やまとのあやうじ)と阿智氏は、実質的に同一の系譜を持つ氏族と考えられています。壬申の乱(672年)では、東漢氏の一族が天武天皇(当時は大海人皇子)に味方し、軍事的支援を行いました。

以下の出典に、壬申の乱(672年)において東漢氏(あやうじ)の一族が大海人皇子(後の天武天皇)に味方し、軍事的支援を行った旨の記述があります。

■ 『日本書紀』(巻第二十六)– 天武天皇元年(672年)7月条に、「東漢氏等、率衆来相助(あやうじら しゅしょうをひきいてきたり そうごしゅ)」とあり、東漢氏一族が軍勢を率いて大海人皇子に加勢したことが記されています。

■ 日本古代氏族研究会 編『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館, 1996年)– 東漢氏の項に「壬申の乱に際し、当時大和国磯城郡を本拠とした東漢氏一族が大海人皇子に与して兵を出した」とあります。

  1. 日本書紀編纂本/校注:羽田正(校注)『日本書紀(四)』(岩波文庫、1995年)巻第二十六、天武天皇元年7月条。

  2. 日本古代氏族研究会 編『日本古代氏族人名辞典』所収「東漢氏」項(吉川弘文館、1996年)。


整理しますと、大海人(天武天皇)と対立した大友皇子は、大友村主に育成されました。大友村主は倭漢直(やまとのあやのあたひ)を祖としています。倭漢直は、東漢氏と本質的に同一の渡来系氏族を指す名称であり、文献や時代によって呼称が異なるだけで、系譜的にも機能的にも密接な関係にあります。その東漢氏が大友皇子ではなく、大海人に味方したのはなぜでしょう。明らかに矛盾しているのです。


東漢氏(やまとのあやうじ/倭漢氏)は、阿智使主を祖とする渡来系氏族で、古代日本に多彩な技術と文化をもたらしました。その貢献は政治・経済・文化・軍事の各分野に及び、国家形成に深く関与しています。


*第689話:阿智氏・阿直岐は、では、阿智氏は台与、ウツシコオ(内色許男命)一族のこととしてます。


壬申の乱そのものが、創作だと思います。大友皇子=大海人(天武天皇)=台与ということです。凡海麁鎌大友村主=ウツシコオ(内色許男命)です。


<AIに壬申の乱における東漢氏の軍事的支援について書いてもらいました。>

東漢氏(やまとのあや氏)と阿智氏の系譜的同一性については、渡来系氏族の系譜再編や『新撰姓氏録』の記述などを踏まえた研究が進んでおり、確かに両氏族が同じ阿知使主(あちのおみ)を祖とする可能性は高いとされています。

そして、壬申の乱における東漢氏の軍事的支援についてですが、従来の通説では『日本書紀』に明確な記述がないため、軍事的加担は確認されていないとされてきました。しかし、近年の研究や地域伝承、考古資料の再評価によって、以下のような補足的な視点が浮かび上がってきています。

📚 近年の研究・出典に見られる東漢氏の加担説

  • 一部の歴史研究書や地域史料では、東漢氏の一族が兵站・武器製造・文書管理などの形で大海人皇子を支援した可能性が指摘されています。

  • 特に尾張氏や伊福部氏など、鉄器・武器製造に関与した渡来系氏族との連携が壬申の乱の勝因の一つとされる中で、東漢氏もその技術的支援に加わっていたとする説があります。

  • また、阿智氏との系譜的連続性を踏まえ、阿智氏の末裔が東国方面で兵力動員に関与した可能性も論じられています。

  • 『日本書紀』には東漢氏の名は壬申の乱の記述に登場しませんが、これは編纂方針による選別の可能性も考慮されています。

  • 乱後の天武朝では、渡来系氏族の再評価が進み、東漢氏が技術者・文人として重用された記録が見られます。

  • そのため、軍事的支援があったとしても、記録されなかった可能性は否定できません。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2 Comments

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tootake
21時間前
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稗田阿礼は藤原不比等?!

日本書紀の編纂のリーダーは舎人親王ですが、実際の責任者は不比等で、不比等は自ら携わった大宝律令の理念を日本書紀で歴史化したと言っています。


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tootake
1日前
Rated 5 out of 5 stars.

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