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台与の生誕の地は?

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 6分

第844話


台与はどこで生まれたのかを考えてみました。このブログでは、台与の父と思われるヒコユキ(ウツシコオ)の出身地は和歌山県の名草(和歌山市)だとしています。~第771話:和歌山の宇治 第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)

だとすれば、台与が生まれた地も和歌山県周辺である可能性が高いと思い調べてみました。


第703話:花窟神社(はなのいわやじんじゃ)を考えるで、日本最古の神社とされる花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は、三重県熊野市にあります。


花窟神社は、日本書紀にも記されており、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が火の神である軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ際に亡くなり、その御陵として祀られた場所と伝えられています。つまり遇突智尊(カグツチ=台与)が生まれたのはこの花窟神社ということになります。


第420話:hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのかでは~火明命は台与としています。火明命も火の神で軻遇突智尊と同じです。火は鉄を溶かすための溶鉱炉のことです。

第216話:五十鈴姫は鉄の神では、「ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメのホトは鞴(ふいご)、蹈鞴(たたら)です。たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名前です。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できます。」と書きました。


花窟神社の御神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれ、高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられています。

この巨岩は「石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれています。ホトとは女の意味もあります。


そして、第256話:ウガヤフキアエズのミコトでは、ウガヤフキアエズの命(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命:あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)は和歌山県の名草(和歌山市)で生まれたとしました。


また、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命という名前の中に「高日子」がはいっています。

高日子はアジスキタカヒコネ(以下:高日子根)と関連した名前です。アジスキタカヒコネは「今迦毛大御神(いま・かものおおみかみ)と謂ふぞ」とあります。大御神とは最高神という意味です。迦毛は鴨(カモです)、今の鴨の大神(高日子)はアジスキタカヒコネで、依然の高日子はウガヤフキアエズというわけです。古事記で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけです。アジスキタカヒコネがこのように扱われているの高日子根が台与だからでしょう。


滋賀県犬上郡豊郷町大字安食西にある阿自岐神社(あじき神社)では、味耜高彦根神は農耕の神とされています。社伝では、この地:安食(あじき)の名は当社名阿自岐に由来するもので食物豊富にて安住できる地の意で、して年穀豊かに稔り、文字通り安食の里となした。~第553話:阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食

阿自岐=安食=農耕の神=台与(豊)ということです。台与は稲作(農耕)の神です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 


アジスキタカヒコネ=ウガヤフキアエズ=台与と考えると、ウガヤフキアエズが生まれた和歌山県名草で台与は生まれたと考えられます。三重県の熊野の方は、那智の滝やゴトビキ岩、花窟神社などの古代人を驚かす絶景・奇景が多くそれが、神話や信仰に結びついて行ったのです。第543話:熊野の神々は、、、では、熊野三山、神倉神社と台与の関係を書きました。


八咫烏(ヤタガラス)は神武天皇を熊野から、大和の樫原に導き初代天皇として即位させました。八咫烏はウツシコオで、神武天皇は台与です。樫原は大阪府枚方市です。


そして、三重県熊野市有馬町に産田神社(うぶたじんじゃ)があります。

「産田」は産所の意で、日本書紀には、イザナミが火の神である軻遇突智尊(軻遇突智かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれています。


有馬という地名と台与の関係については、第822話:有馬温泉と台与ですでに書いています。新撰姓氏録には、「孝徳天皇の御代、祭神である豊城入彦命の子孫である阿利真公(ありまのきみ)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って当地から水を送り、その功績をたたえられ、垂水公(たるみのきみ)の姓を賜り、垂水神社を創始した。」 とあります。豊城入彦命*の子孫である阿利真公(ありまのきみ)は「有馬の君」で台与のことです。*豊城入彦命も台与です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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1件のコメント

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tootake
2日前
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