古市大溝 道明寺 修羅
- tootake
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第1113話
大阪府の羽曳野市・藤井寺市には、古市(ふるいち)古墳群があります。
古市古墳群は、20基が国の史跡に指定され、27基(重複含む)が宮内庁により天皇陵(8基)・皇后陵(2基)・皇族墓(1基)・陵墓参考地(1基)・陵墓陪冢(15基)に治定されている。
古市大溝(ふるいちおおみぞ)は、 古市古墳群内を通る巨大な水路で、昭和39年(1964)に航空写真を観察していた際に発見されました。その流路は、軽里の前の山古墳の北東側付近から北西方向に延び細池に至ります。細池西側で北西に向きを変え、下田池・上田池と北上し、岡ミザンザイ古墳の南東部で中池・堀川に続き、北西に下ります。
現存している部分もあり、埋没している部分や池に利用されているところもあります。幅20 - 30メートルの大溝が前方後円墳の墳丘の間を走っています。
日本書紀:仁徳天皇の条にある、感玖(こむく)の大溝(おおうなで)かと推定されていますが、「古市の大溝」と名づけられています。感玖(こむく/こんく)は、紺口(こんく)で、日本書紀:仁徳天皇一四年条に「大溝を感玖(こむく)に掘る。乃ち石河の水を引きて上鈴鹿・下鈴鹿・上豊浦・下豊浦の四処の郊原を潤し、以て墾りて四万余頃の田を得たり」とあります。また住吉大社神代記にも、仁徳天皇が住吉大神に詔宣して、「大島守を以て紺口の溝を掘らしめ」たとあります。日本書紀の感玖の大溝と神代記の紺口の溝は同じものと思われます。感玖は、かつての石川郡、今の富田林から羽曳野市あたりを指した呼び名です。
富田林の東部に咸古神社があります。神八井耳命を主祭神とし、天太玉命を合せ祀っています。神八井耳命は台与で、天太玉命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。
第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤~神八井耳命は聖徳太子(=台与)
第611話:鉱物資源と邪馬台国(9)天太玉命:水銀朱
藤井寺市には道明寺があります。
道明寺は7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。
道明寺周辺は土師(はじ)氏の根拠地です。土師寺を土師神社(現・道明寺天満宮)の南に建立し、やがて神宮寺となった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。
土師氏は、菅原道真の祖先にあたる豪族で、野見宿禰の子孫です。
第1099話:身狭青は土師(はじ)氏~磯歯津道(2)では、
野見宿禰=土師氏のリーダー=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米ということです。と書いています。野見宿禰は台与の父親であるウツシコオです。
~第506話:野見宿禰と当麻蹴速は同一人物
藤井寺市の隣接する羽曳野市には、誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。
誉田八幡宮の社伝によると、最古の八幡宮を称しています。九州にある宇佐八幡宮よりもずっと古い八幡宮なのです。この地は誉田御廟山古墳(伝:応神天皇陵)がある地で、応神天皇が幼少の頃に居住していたところとされています。~第714話:葛井寺・誉田八幡宮~藤井寺市・羽曳野市
応神天皇は台与です。第581話:応神天皇(第15代)は台与
道明寺八幡宮は藤井寺市にあり、祭神は、菅原道真、天穂日命(あめのほひのみこと)
覚寿尼(かくじゅに: 菅原道真のおば)です。野見宿禰の遠祖であるとされる天穂日命は台与です。~第1033話:出雲と台与(2):アメノホヒ、キヒサツミ
第449話:菅原道真は、なぜ天神なのか!では、菅原道真の伝説には、ウツシコオ(内色許男命)の伝説が入り混じっていることを書いています。
三ツ塚古墳(みつづかこふん)は、大阪府藤井寺市道明寺にある方墳3基(助太山古墳・中山塚古墳・八島塚古墳)ですが、1978年に、三ツ塚古墳から古代の運搬具・修羅が出土し、話題となりました。
修羅(しゅら)は、重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型橇です。
重機の存在しなかった時代に重いものを運ぶ重要な手段であった。コロなどの上に乗せることで、摩擦抵抗を減らすことができます。古墳時代には古墳の造営にも使用されていたと考えられています。VないしY字型の形状をしたものが発掘されており、二股に分かれている先端部を舟の舳先のように前方へ向け、これに切り出した石を乗せ、ロープで曳くのです。
巨石運搬具を「修羅」と呼ぶようになったのは近世以降であり、古墳時代にこの名称は存在しないとされています。なぜのちの世に修羅と呼ぶようになったかというと、大石を「タイシャク(帝釈)」と読み、帝釈天に対抗する存在の「阿修羅(修羅)」を掛けて、石を動かす道具を「修羅」と呼んだとする説明が伝わっています。これが中世以降に広まったとされます。帝釈天は台与です。~第1091話:柴又帝釈天と台与
古事記、日本書紀には「軽」という固有名詞が時々出てきます。
地名としての「軽」については、第851話:hidemaru3375.com/post/羽曳野:大阪と邪馬台国で、羽曳野市軽里に軽羽迦神社があり、白鳥陵古墳からも近い竹内街道沿いにある軽墓村の村社であることを書きました。「軽」は台与です。~第1026話:軽は台与~軽の酒折池・軽井沢
物資の移送に係わる運河や農地を開拓するための灌漑用水路(かんがいようすいろ)として機能したものと考えられています。台与とウツシコオの親子が、日本各地で仏教の布教と稲作の推進を行ってきたことはこのブログで延々と書いてきました。
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<蛇足の追記>
映画国宝でロケ地となった玉手橋は近鉄南大阪線:道明寺駅(藤井寺市道明寺)のすぐ近くにあります。
関連項目:第806話:五社水路と三島溝咋耳「三島大溝(みしまおおみぞ)」
:第807話:邪馬台国と栗隈大溝(くりくまのおおうなで)
:第1101話:裂田の溝と三島溝咋耳
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




財賀寺 - Wikipedia
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与