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八女津媛は台与~福岡県八女市

  • tootake
  • 2月5日
  • 読了時間: 5分

更新日:2月6日

第949話


第947話:八面大王と八女大王では、八面大王=八女大王=台与としました。そして八女大王の「八女」は、九州・福岡県の八女市の事と思われます。


福岡県八女市矢部村北矢部に八女津媛神社があります。

景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから八女の地名が起こったといわれています。近くには吉野ヶ里遺跡があり、八女津媛は卑弥呼であると主張する人もいます。


水沼の県主猿大海とは、猿田彦=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米のことでしょう。


八女大王は、「八女の大王」の名前から名付けられたもので、これは北九州で6世紀初めに継体帝に滅ぼされた筑紫の君を指すともされています。彼は継体帝から逃れ、安曇族と共に信濃にたどり着き住みついたとされ、その末裔が八女大王であると考えられています。

筑後国風土記:逸文によると、上妻県(かみつやめのあがた:福岡県八女郡東北部)に筑紫君磐井の墓があるとされています。


*継体帝に滅ぼされた筑紫の君=磐井については、このブログでは台与としています。

継体天皇も台与です。


八女の地は、筑紫国の一部として古くから人の定住が見られ、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多数発見され、北側の丘陵部分を中心に300基ともいわれる古墳群があります。さらに邪馬台国論争でも、九州説では福岡県山門郡(八女市の南西で隣接)説を有力視する声もあります。


「八女の和紙」は九州最古の歴史を持ち、奈良時代 正倉院に収められた断簡の中に「チクゴ」の名が記された和紙が遺り、遣隋使・遣唐使によって伝えられたであろうとされています。


日本での紙祖(最初に紙を伝えた人物)は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。

古語拾遺によると、天日鷲神は、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(にきて)を作ったとされています。そのため、天日鷲神は紡績業・製紙業の神でもあります。

第395話:天日鷲命は、、、では天日鷲命はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米としています。

また、越前和紙の神様としては、川上御前という人物がいます。

川上とは、第457話:川上梟帥はスサノオで書いたように、台与・ウツシコオと関連のある名前です。丹波道主命は、勘注系図(海部氏系図)では川上眞稚、亦の名を川上眞若としています。丹波道主命は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。

福井県越前市大滝町に大瀧神社・岡太神社があります。

大瀧神社では、国常立尊・伊弉諾尊、岡太神社:川上御前(岡太大神)を祀っています。

御神体山は権現山です。伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したといいます。大瀧兒(おおちご)とは、美称の「大」を省くと「ちご=稚児」で稚児とは13歳でヤマト(邪馬台国)の代用に即位した台与のことです。~第552話:敢国神社2~稚き児の宮 また権現も台与です。~第720話:中臣印達神社:権現は台与


よって川上御前も台与です。


なお八女の「八」とは、「八耳」=神武天皇の子とされる神八井耳命のことでしょう。

第537話:神八耳命は台与(豊)では、兵庫県の太子町では斑鳩寺御頭会(勝軍会)聖徳太子と申也 さてまた八耳の皇子」とあることから、神八井耳命=聖徳太子=台与と書きました。


上記より、八女津媛=八面大王=八女大王は台与です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

3件のコメント

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tootake
2月05日
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tootake
2月04日
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