ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社
- tootake
- 2 日前
- 読了時間: 5分
更新日:2 日前
第697話 #タケミカズチ #フツヌシ
鹿島香取神社は、茨城県水戸市青柳町にあります。
社伝によれば、日本武尊(ヤマトタケル)によって上河原に鹿島および香取の神を奉斎したとされています。祭神は武甕槌(たけみかづち)と経津主(ふつぬし)です。言わずとしれた鹿島神宮と香取神宮のご祭神です。この二神は神話で共に行動し東国の守護神とされる共通点があります。
・タケミカヅチ(武甕槌)は、葦原中国平定においては、経津主神(日本書紀)とともに活躍したといいます。タケミカヅチは豊布都神(とよふつのかみ)とも言われています。武甕槌は台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!!
・フツヌシ(経津主)も日本の国土平定に活躍したという書紀の説話から、武神・軍神と見なされています。軍神の認識を表すものとしては、梁塵秘抄の「関より東の軍神、鹿島・香取・諏訪の宮」という歌が知られています。一方、「楫取 = かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もあります。
経津主はウツシコオです。~第589話:彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神
ウツシコオの幼名はヒコサチ(ヒコユキ)でもともとは熊野の水軍です。船の操作にも長けていたほずです。参照:ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
ところで千葉県にある香取神宮と茨城県にある鹿島神宮は、かなり近いところにあります。
第696話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(6)~熊野皇大神社で書いた熊野皇大神社は、群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町にまたがっており、本宮は伊邪那美命、日本武尊(ヤマトタケル)、長野県側の那智宮は事解男命を祀っています。群馬県側の新宮は速玉男命を祀っています。事解男命=事代主でスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。速玉男命は台与です。~第543話:熊野の神々は
第692話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社
で書いた都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は、同名神社として2社があります。
上:馬場都々古別神社(棚倉町棚倉)、下:八槻都々古別神社(棚倉町八槻)
これはどういうことか考えてみると、台与はヤマト(邪馬台国)の大王です。スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)は台与の父(あるいは祖父)で台与の宰相です。ウツシコオが実力者であることは間違いありませんが、大王である台与と同じ場所に祀るには差しさわりがあると当時の人は考えたのだと思います。台与とウツシコオは、行動を共にしており、各地で開拓を行うために、しばらくその地に留まったのです。二人はそれぞれ近くに住居(宮)を持っていたのでしょう。その住居の跡地が神社として残ったのです。
そのため、熊野皇大神社1つの神社でありながら2つの宗教法人が存在します。
都々古別神社では、それぞれ「馬場都々古別神社」「八槻都々古別神社」と呼び分けられ、明治維新後は、明治6年(1873年)に馬場社が名神大社に比定され近代社格制度において国幣中社に列しましたが、八槻社は郷社とされ、これに八槻社側が抗議したため、論争のすえ両社同格と改められ、明治18年(1885年)に八槻社も国幣中社に昇格しています。
茨城県の鹿島香取神社の隣には那珂川が流れており、たび重なる大洪水をおこしています。
台与が、河川の洪水を防ぐために各地で土木工事を行ってきたことは、すでに述べています。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2、第679話:伊豆美神社~東京都狛江市
武甕槌(たけみかづち)と経津主(ふつぬし)、つまり、台与とスサノオのコンビは武神・軍神ではなく、地域の開拓者なのです。茨城県の鹿島香取神社は「青柳夜雨」と呼ばれています。雨は洪水の事でしょうか。
<ヤマトタケル=台与の足跡をたどる>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
ヤマトタケルのイメージ www.duitang.com

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語