空海と秦氏
- tootake
- 6 日前
- 読了時間: 5分
第788話
このブログでは、空海については、第318話:空海のルーツは内色許男命!
第516話:満濃池:空海と秦氏と台与(豊) などで紹介しています。
空海の出自から仏教修学や山林修行、さらに入唐留学や帰国後の活動、また高野山の造営や東寺の密教化や潅漑用水・港湾の修築まで、その生い立ちや行動のかげには、朝鮮半島や中国などから渡来し、農耕・土木・養蚕・機織・鉱山・治水・製銅・精錬・冶金・工芸・酒造・製塩・船運等の技術で富を築き、経済力を背景にヤマト王権以降の朝廷や西日本各地の地方豪族に大きな影響力をもった渡来系氏族のサポートがあったとされています。空海と最も深い関わりを持ったのは秦(はた)氏です。
秦氏の一団は、四国の伊予・讃岐、中国の長門・周防・安芸・備前・播磨・摂津を経て畿内に入り、河内から山背(山城)に至って太秦に本拠を構え、さらに北陸の越前・越中や東海の尾張・伊勢・美濃、そして東国の上野・下野から出羽にまで進出しています。
讃岐では、空海の出自である佐伯氏領する多度郡真野(まんの)の東方の中讃地域に秦氏が居住していました。この地は、空海の時代にはすでに水田開発に条里制が採り入れられていた。これもヤマト王権の時代この地に定着した秦氏の農業技術がもたらしたものです。
讃岐平野は秦氏の潅漑技術、とりわけ農業用水を池に溜め、それを広く田畑に引きまわす農業土木術の恵みで古くから潤っていました。讃岐佐伯氏の本家筋にあたる佐伯直のいた播磨にも同様の水田開発がみられています。
第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??では、香川県東かがわ市に水主神社(みぬしじんじゃ)があり、倭迹々日百襲姫命を祀っています。社伝ではヤマトトモモソ姫は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。
つまり四国では、空海以前にすでにヤマトトモモソ姫=台与が、様々な場所で農地を開拓していたのです。
空海の留学生の資格取得と在唐20年の資金・持参品準備には、秦氏要人の援助があったと考えられます。秦氏の要人らは同族系の勤操から要請を受け、在唐20年に必要な金品を用意したと思われます。空海はたった2年足らずで在唐20年の留学義務を破り帰国するのですが、帰国に際して、新訳の密典・儀軌・梵字真言讃をはじめ詩文・書の書籍や絵図や法具のほか筆や墨に至るまで、多大な出費をしています。出国にあたって、その担当の役所・役人にも相当な賂を用意したと思われます。空海に、そうした莫大な金品を短期間で準備できるのは、秦氏系の人たち以外には考えられませんん。
空海のような私費留学生の場合、朝廷から餞別として絁(あしぎぬ、紬に似た絹の織物)40疋(=80反(1反は幅約1尺(30㎝)×長さ約3丈(9m)×80)、綿100屯(1屯=150gの100倍、15㎏)、布が80端(80反)下賜されるのであるが、それらは彼の地で外交儀礼的交換の品として使うためのもので、長期間滞留する留学生はそれだけではとても足りず、自分の努力で相当な金品を調達しなければならなりませんでした。
今回参考にさせていただきました『空海ノート』補記 「空海と深くかかわった渡来系氏族とその周辺」|長澤弘隆のページ -エンサイクロメディア空海-によりますと留学生の資格取得と在唐20年の資金・持参品準備には、勤操のよる秦氏要人の援助があったと考えられるとされておられます。
勤操(ごんそう)は、奈良時代後期から平安時代前期にかけての大和国高市郡の出身の三論宗の僧で俗姓は秦氏です。
このブログを書き続けているうちに、秦氏とは、台与・スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のことではないかと思うようになってきました。
~第459話:hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
Painting of Chigo Daishi with Goyuigo Inscription, 15th century - Crop and contrast - 空海 - Wikipedia

味饒田命はウマシマジ
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語